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2018年4月19日木曜日

睡眠時間6時間になってきた

Sleep Cycle という睡眠記録アプリを目覚まし時計代わりに使っている。
目覚まし時計としても便利なのだが、ほかにもいろいろ機能がある。
たとえば、睡眠の深さを波形表示で記録してくれる。

たぶん、振動を見ているんだろうと思うが、布団の下や近くに置いておくだけで、睡眠の深さを計測してくれる。
あまり動かないときは波形が深くなり、睡眠も深い、もぞもぞと寝返りを打ったり動きがあるときは波形が浅くなり、睡眠も浅いというわけだ。

これを見ているといろいろおもしろいことに気がつく。
一般にいわれているように、REM睡眠とノンREM睡眠のリズムは本当に90分くらいのサイクルで繰り返されているようだ。
眠りはじめのときが一番深く、サイクルを繰り返しながら徐々に浅くなっていく。
最後は完全に目が覚めてしまう。

完全に目がさめるのが、最近は眠りはじめから約6時間になってきている。
よく歳をとると睡眠時間が短くなるといわれるが、私の場合、どうやら本当らしい。
ただし、6時間睡眠だと昼間にかならず眠くなるので、ほんの10分だけタイマーをかけて昼寝する。
それであとは夜まですっきり。

夜の10時か11時くらいに就寝して、朝の4時か5時には起きて、プライムタイム。
ゆっくりお茶入れて、集中して仕事して、しっかり朝食とって、雑事もすませて、運動する。
午前中はこんな感じですごしたい。

ところで、夜型人間は朝型人間より10パーセントも短命らしいね。

2018年4月17日火曜日

iPadにすばやくPencilでメモする方法

iPadとApplePencilの組み合わせで、手書きメモやお絵かきなど楽しく使っているが、これは知らなかった。

iPadに手書きでメモを取ろうとするとき、これまでは、iPadのホームボタンを押して指紋認証と同時にホーム画面を表示させ、メモやノートアプリなどを起動して新規画面を追加し、そこにPencilで書きこむ、という手順だった。
あらためて書いてみるとわかるが、けっこうな手間で、手順が多い。

最近知った方法。
iPadの電源オン/オフスイッチを押し、待ち受け画面にする。
Pencilで画面を二度タップする。
これだけ。

自動的にメモが立ちあがり、すぐにメモが書ける新規ページにすでになっている。
そこに必要なことを書きつければ、メモに蓄積されるし、クラウドで同期もされる。
追加されたメモはあとで整理できるし、MacBookやiPhoneからも閲覧できる。
これからちょくちょく使うことになるだろう。

あたらしい企画やら依頼やらたくさん(嬉)

昨日は国立春野亭での韓氏意拳養生功講習会を、駒井先生をお迎えしておこなった。
月に一回の講習会だが、昨日は参加者が全員女性だった。
女性でも参加しやすい武術の稽古なのだが、稽古がすすんでいけばそれなりに厳しい世界へも進入することができる、奥行きのある体系だ。
私はもう五年やっているが、飽きるということがない。

それ以外に、今日はあたらしいコラボ企画や提案を思いついたり、そのことについて人と相談できた日だった。
数年前から共感カフェに参加してくれているひさこさんと、彼女が専門としているハンドマッサージとアロマテラピーを私の共感イベントとコラボできないかと思いたって、訊いてみたところ、可能性が広がって楽しくなってきている。

個人セッションの依頼があいかわらずつづいている。
基本的に国立においでいただいたり、オンラインで話を聞いたりすることが多いのだが、なかには自宅から離れることができない事情があるかたもいるので、そういうときは私から出向くことになる。
ここ数日、そんな依頼が複数つづいている。
必要とされている場におもむくのはうれしいことだ。

ほかにもまだ形がはっきりしていない企画や、はっきりして告知するばかりという企画が進行中だ。
若い人との協力関係や遠方の人とのやりとりもあって、わくわくするのはいいが、またスケジュールが窮屈になって集中できなくなってしまうおそれもある。
きちんと整理してクリアにしていきたい。
こんなときこそマインドフル手帳術——あらため共感手帳術か。

なかでも一番大きな新企画が5月22日夜に国立市の公民館で開催する朗読と音楽のコンサートだ。
私たち現代朗読協会が表現としておこなっている朗読のアプローチについてもっと知ってもらいたいのと、そもそも朗読と音楽をさまざまな人に楽しんでいただきたいという願いで、無料開催するものだ(公民館はそもそも有料イベントができないらしいが)。
みなさん、ぜひおいでいただきたい。
詳細は近日発表します。

2018年4月15日日曜日

2年前のブログ記事を読み直して驚いた

フェイスブックのタイムラインに、時々何年か前の自分のトピックが勝手に発掘されて表示されることがある。
先日は自分が2年前に書いた共感的コミュニケーションについての覚書というか記事が再掲載されてきた。

読んでみると、内容もその書き方――語り口――も、いまとはだいぶちがう。
私のように日常的に大量の文章を書いている人間でも、二年でその語り口はけっこう変化するものなのだなあと、ちょっとびっくりした。

読んでみると、いまとはちがうのは、明らかに自分とは違うかんがえにたいする軽いいきどおりがふくまれていたり、いらだちが見え隠れしている。
まだまだ自分とのつながりが薄かったんだなあ、と思う。

じゃあ、いまはどうなんだ、と自分を問うてみれば、それははっきりわからない。
二年後にこの文章を読みかえすと「まだまだ」と思うかもしれない。
いやたぶんそう思うだろう。

なにかを書いて残すというのは、現時点での自分自身のかんがえであり、それを表現することにベストを尽くすしかないわけだ。
数年後の自分の成長や変化を見据えて先取りして書くなんてことは、もちろんできない。
いまこの瞬間の自分から出てくるものを、正直に、ありのまま差し出すしかない。
それとて、本当にきちんとやろうとすると、けっこう大変なのだ。
だから、きちんとやりたいという自分のニーズは理解しつつも、楽しんでのびのびとやれたらと思うのだ。

その点、作家はライターやジャーナリストとちがって気楽なところがあるといえる。
作家でよかったな、と思う。

2018年4月14日土曜日

人から頼られるということ

ここ数年、つづいていた定期開催の共感カフェをいくつか閉じはじめているが、それと反比例するように個人セッションの依頼が増えてきた。

10年くらい前にマーシャル・ローゼンバーグのNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)というものを知り、学び、練習し、自分でも気づいたことを書くようになった。
この「書く」という行為は、その過程でNVCにたいする理解を深める役にたった。
なにごとかを書いてみようとするとわかるが、なんとなく理解していたり、体験したりしていることを、そのまま人に伝えるためには書けない。
人に伝え、理解してもらうためには、そのことにたいする理解と体験を整理し、クリアなストーリーにしておく必要がある。

もともと書くことが仕事だった私は、さらに書くことで人に伝えたくて、自分自身の体験の場を広げていった。
多くの事例を知るとともに、私自身の共感練習にもなったと思う。
共感的コミュニケーションは知り、学ぶだけでなく、実際に練習し、実生活のなかで試み、身につけていく必要がある。

その過程で、ひと前で話せるような一般的な事例だけでなく、非常にプライベートで扱いがデリケートだったり難しかったりする問題について、相談されることが増えてきた。
個人的で精神的な問題な、内密にしたい対人関係の問題など、オープンな場では話せないような問題を抱えている人が、私を頼ってくれるようになってきた。

とてもありがたいことだが、そこには緊張もある。
その人にとっては重大な人生の問題を、私が共感し聞くことで、その人自身がなんらかの解決策に気づいたり、自分自身につながるお手伝いをするわけだ。
いいかげんな態度で接することはできない。
かといって、身を乗り出して相手にプレッシャーを感じさせるようなことでもいけない。
私はただ私自身でありつづけ、厳しくその場にいつづけることで、安全で安心な共感の流れを作ることをこころがける。

韓氏意拳という武術から学んでいることだが、自分の能力を最大に発揮するためには力んでもだめだし、かといってだらけたり、ばらけたりしていてもだめだ。
すみずみまでゆきわたり、充満した気づきが必要だ。
おなじことが、対人共感においてもいえる。

本当に自分の能力をまんべんなく発揮できる機会をいただいて、緊張すると同時にありがたいと思っている。
いかんなく自分を発揮して、結果的にそれがだれかの役に立つことが、私の最大のニーズのひとつといっていい。

ギフト制によるレッスン/個人セッション
対面でもオンラインでも、レッスンや個人セッション(ボイスコーチング)をおこなっています。メールでもメッセージでも気軽にどうぞ。お待ちしてます。興味のある方はこちらの詳細ページをご覧ください。

2018年4月13日金曜日

今日は実家音読カフェ

北陸の実家のリビングで近所のかたに声をかけて、毎月一回、音読カフェを開催している。
今日はその日。
毎回、常連のかたがほとんどで、私と同年齢から80歳のかたまで比較的高齢。
高齢ではあるけれど、それなりにお元気なかたばかりなので、音読ではちょっと追いこんでみる。

前回、夏目漱石の『永日小品』から「火事」という短編を全編、みんなできっちり音読し通して楽しかったので、今回は宮沢賢治をやってみる。
前回の「火事」では、小説家の私ならではの視点から作品解説をちょっとやってみたところ、大変好評だったので、今回も作品解説をやってみようかな。

音読療法では、音読トレーナーたちに自宅カフェの開催をおすすめしているが、それぞれ自分の持ち味を生かした内容にすればいいと思う。
私なら小説家の視点から文学作品の作品解説を、料理が得意な人はなに一品出したり、朗読やお芝居が得意な人はちょっとした表現発表をしたり、紙芝居やミニゲームをしたり。
いろいろ楽しくする工夫ができるだろう。

今月末はボイスセラピー講座と音読トレーナー養成講座を開催するので、興味があるかたはご参加ください。
音読セラピー仲間をもっと増やしたいと思っている。

4月28日:ボイスセラピー講座@国立
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を学び、身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。4月28日(土)14時からJR国立駅徒歩5分の会場にて開催。

4月28・29・30日:音読トレーナー養成講座
介護予防や健康促進ワークに最適な音読ワークをファシリテートできる「音読トレーナー」の資格を取得するための2泊3日の合宿形式講座を4月28日(土)午後から30日(月/振替休日)の三日間にわたって、JR国立駅徒歩5分の会場で開催します。

自分のからだのことで最近気づいたこと

ずいぶん前から一日二食生活に落ち着いている。
もう十年以上つづいているんじゃないだろうか。
一日三食とらなきゃというのは、現代人にすりこまれた強迫観念で、産業革命以降に作られた社会習慣だ、日本も江戸時代以前は一日二食だった、というような話を読んだり聞いたりして、たしかに運動量もそんなにない現代人は一日二食か、ひょっとして一食でもいいんじゃないかと感じていた。
そしてたしかに、一日二食でまったく不都合はなかった。
不都合がなかったばかりか、体重は増えもせず、減りもせず、ぴったり安定していて、これでいいのだと思っていた。

しかし、ここしばらく、なんとなく違和感をおぼえている。
その違和感は武術をはじめたここ五年くらいに生じてきたようだ。

体重は安定しているのに、運動したりトレーニングして当然つくと思っていた筋肉が、いっこうにつかないのだ。
まあ年齢もあるし、筋肉がつきにくいのはしかたがないなと思ったりしていたのだが、それにしてもおかしい。
私としては、体脂肪を落として筋肉量を増やしたいのだ。
その結果、体重が多少増えるかもしれない。

ごく最近気づいたのは、運動したりトレーニングして筋肉量を増やそうとしても、それに見合っただけのインカム(タンパク質摂取)がないので、増えないのかもしれない、ということだ。
年寄りによくある、筋肉量が落ちていく感じのやせかたになってしまっている。
もっとも、運動量が少ないので、体重の減少を脂肪量の増加でおぎなっている。

ようするに、食べる量が少ないのだ!

しかし、食べる量を増やすと、体重が増えてしまう。
いやいや、筋肉で体重が増える分にはかまわない。
脂肪を増やさずに筋肉量を増やすには、食べる量を確保しつつ、より運動負荷を増やせばいいのだ。
ということに、最近気づいた。

そんなにたくさん食べられない、というときには、プロテインなどという便利なものもある。
タンパク質の摂取量を増やせばいいのだろう。
運動負荷も増やしつつ。

というわけで、運動量と運動負荷を増やしつつ、タンパク質の摂取量を増やしていったら、どんなふうな変化があらわれるか、ちょっとやってみようと思っている。
なにか変化が見えたらまた報告する。

2018年4月12日木曜日

手帳で共感練習、文章で自分につながる

マインドフル手帳術ワークショップと共感文章講座をつづけて開催した。
手帳術はつぎの日曜日・15日に名古屋天白の〈アロマファン〉でも開催するし、本格的な講座が5月末にスタートするので、興味があるかたはそちらもどうぞ。
近日告知スタートします(5月27日から4週連続で)。

マインドフル手帳術のワークショップは3年くらい前から断続的にやっていて、活動拠点を国立春野亭に移してからは今年になって再開したものだ。
あらためてやってみたところ、参加のみなさんからはとても喜んでもらえたり、あるいは内容についての気づきをいただいたりして、私自身もさらに充実した方向で体系化できるのではないかという手応えを感じている。
しっかりと体系化した上で、あらためてワークショップというより講座の形でみなさんにお伝えできればとかんがえているところだ。

体系化ということでは、共感文章術もそうだ。
テキストコミュニケーションにおいてマーシャル・ローゼンバーグのNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)のかんがえかたを導入したとき、どのようなことができるのか、その可能性を明らかにするための体系化をやってみたいと思っている。
すでに何度かワークショップをおこない、参加のみなさんの協力をいただいて知見が蓄積しているし、なにより私自身の長年の作家活動やネット活動の経験の蓄積もたっぷりとある。

もっとも、経験を積んでいるからといってそのことを体系化できるかどうかはべつの話となる。

ともあれ、マインドフル手帳術で共感的コミュニケーションを実用レベルで身につけ、本当の意味で身体化したり、自己共感を習慣化できることを、それを必要とする人に知ってもらいたいと思う。
また、共感文章術でテキストコミュニケーションにおいてトラブルを回避したり、あるいは対立を解消したり、自分自身を伝えることをおそれなくなったり、といったことを身につけてもらえればありがたい。
そのような世界が自分のまわりにあると、私自身楽しいし、みなさんといきいきとつながることができるだろうと思うからだ。

2018年4月11日水曜日

映画:アトミック・ブロンド

2017年公開の合衆国映画。
監督はデヴィッド・リーチで、キアヌ・リーブスの「ジョン・ウィック」の制作に関わったりもしているスタントマン出身。
主演はシャーリーズ・セロン。

いわずと知れた美人でスタイリッシュな女優だが、近年はなぜか非常に癖の強い配役が多く、またそれが印象強い。
とくに「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で演じたフュリオサ大隊長役は強烈な印象で、メインキャストであるはずのマッドマックスを完全に食っていた。
そして大ヒットした。

この大ヒットが、セロンの影響力を高めたらしい。
セロンは自身は出演していないキアヌ・リーブス主演の「ジョン・ウィック」が気にいっていて、その監督であるデヴィッド・リーチを「アトミック・ブロンド」の監督に指名したという。

私としては「ミニミニ大作戦」の繊細な錠前破り役や、「プロメテウス」での悪役が印象に強いが、「ダーク・プレイス」での複雑な陰影を持つ汚れ役もよかった。

「アトミック・ブロンド」についていえば、鍛え抜かれたセロンのアクションや姿態を存分に発揮された作品だとは思うが、ストーリーが複雑で、ストレートな楽しみはそがれているように感じた。
舞台設定が1989年の壁崩壊直前のベルリンを中心としていることもあって、現代史を踏まえたエピソードが織り交ぜられていて興味深い部分もあるが、スパイ合戦を描いていて敵と味方が入り混じるややこしさがある。

とにかく、美しいセロンが痛めつけられるシーンが多く、それは意図的なのだろうと思うし、観客サービスの一種なのだろうが、痛いシーンが苦手な人にはつらい映画かもしれない。
エンタテインメント映画としては、やや手放しでは楽しめない部分がいなめないだう。