2009年10月13日火曜日

女座頭市と初代座頭市

 座頭市のシリーズを2種類、続けて観た。昔から座頭市シリーズのファンなのである。当然、たけしの座頭市も観たけれど、あまり印象には残っていない。
 今回観たのは、まず、女性が座頭市役というおもしろい設定の「ICHI」。発想はおもしろいと思った。主人公に扮したのはいまをときめく綾瀬はるか。監督は曽利文彦。ほかに、剣を抜けなくなってしまった剣豪役で大沢たかお、適役のボスに中村獅童なども、脇をそれなりに個性的な俳優がかためている。
 それなりによくできていると思って、楽しんで観たのだが、そのあとに元祖座頭市を観てしまったのがいけない。
「座頭市物語」
 勝新太郎が初めて主演し、いきなり大スターにのしあがるきっかけとなった作品だ。1962年製作というから、いまから47年も前に作られたもので、モノクロフィルム。
 映画のなかに人間が生々しく生きている。体臭や息づかいまで感じられる。こりゃ大スターになるわな。
 それに比べると「ICHI」はまるで記号の寄せ集めだ。軽い。その軽さが、現代にはウケるのかもしれないが。

 ふたつを見比べて思ったのは、かつての情熱をつぎこんで人々が必死に作っていた時代から、映画は50年を経て確実に著しく「劣化」しているのではないか、ということだ。
 劣化しているのは映画だけではないだろう。私たちはともすれば、昔より現在のほうがどんなものごとも進んでいて、あたらしいもののほうがすぐれているという錯覚におちいりがちだが、昔のほうがすぐれていたことはいくらでもあるということを自戒し、学びの姿勢を忘れてはならないと自分にいい聞かせている。