2009年12月1日火曜日

ものごとを計る尺度を変えよう

 きょうびの世の中、ゼニである。どんなものごとでも、あるいはどんなことをしても、お金に換算することでその価値をはかる。
「それ、いくらになる?」
 ある芸術文化的な団体の会合で、えらい人が最初にスピーチをした。その人は芸術のすばらしさについていくつかの具体的な事例をあげて語ったのだが、どういうふうにすばらしいかというと、話は全部、
「結局、こういうふうに芸術文化を大切にしたから、お金がたくさんはいってきたのです」
 というところに落ちていくのだった。
 たとえば、過疎の村が芸術祭を開催した。それによってたくさんの人が来るようになり、村は「金銭的に」潤った。人口減少も止まり、税収も増えた。
 そうじゃないでしょう、と私は思う。とくに文化芸術の分野においては、お金がどれだけ回ったかよりも、人がどれだけ成長し幸せになったかが重要ではないかと思うのだ。
 単位をつけ、計量的に見るのは難しいけれど、教育を含む文化や芸術は人を成長させるためにある。なにも子どもだけの話ではない。大人だってお年寄りだって、成長できる。また、成長するために生きている。昨日より今日の自分が、今日より明日の自分が、わずかでもよりよい人間になれるように努力しながら生きている。成長努力ができることこと、生命に鮮度があることの証明になると思う。
 では、なぜ人は成長するのか。
 もちろん、幸せになるためである。自分の幸せ、家族の幸せ、社会の幸せ、そして地球全体の幸せ、それらをイメージしめざすとき、人は成長努力をする。
 よって「幸福度」は価値基準ではなく、「成長度」こそ価値基準だと思うのだ。そんなものがもし計量化できれば、の話だが。

 現代朗読協会には本当に勉強の好きな人ばかり集まっている。みんな、よりよい自分になるため、よりよく自分を表現するため、よりよく人と共感を分かち合えるようになるため、真剣に語り合い、伝え合っては勉強をつづけている。
 このような成長の場に立ちあえていることを、このうえなく幸運に感じる。