2011年3月21日月曜日

東北関東大震災発生から10日がたった

95年の阪神淡路大震災のとき、私はちょうど1週間後に現地入りして、ボランティア活動をおこなった。
今回はまったく様相が違う。広範囲であり、津波被害があり、さらには原発事故が追い打ちをかけている。
現地はまだまだ緊急避難対策のまっただ中であり、私の経験則も予想もまったく通用しない事態がつづいている。

津波で浸水した地域にポンプを持ちこんで、排水している映像が流れている。
とにかく水が引かないことには復興もない。
しかし、ここにまたふたたび家屋を建てるのはどうだろう、と私は思うのだ。もちろん
無責任な考えであることは充分わかっている。しかし、津波がふたたび来ないという保障はないばかりか、いつかはまた必ず来る。復興するなら、いまからそのことも視野に入れた計画を至急立てるべきではないか。

福島第一原発の破損は、最悪の事態を崖っぷちで踏みとどまっているように見える。
このまま事態が収束してくれることを祈るばかりだ。
しかし、今日は原乳やほうれん草、カキナに出荷制限が出た。周辺地域の生産者は本当に気の毒だ。この影響はしばらく続くだろう。いつまで続くのかはわからないが。

まだまだ先のことを考えられない状況ではあると思うが、被災地から離れている地域に住んでいる者は、先のことも考えながら支援していけるのではないかと思う。
私は震災発生時から、特に原発関係のわかりにくい情報を追いかけて、なるべく知識のない人にもわかりやすいように流す、ということに多くの時間を使ってきた。
また、「災害時のメンタルケア」という文章が多くの人の役に立っていることがわかり、積極的にそれを広め、また音声化や映像化といった作業もおこなった。
羽根木の家を開放して朗読カウンセリングをおこなったり、ソマティック・エクスペリエンスの方たちにメンタルケアのワークをやってもらったり、アレクサンダー・テクニックのインストラクターにケア・ワークをやってもらったり、といったことをしてきた。それは現在もつづいている。
後方支援地ともいえる東京の人たちをまず元気にすること。災害情報に接して心身の不調におちいってしまっている人々に、平常の調子を取りもどしてもらうこと。

こういうことをおこないながら、私自身も現在進行形で学びつづけている。
いまここで学んでいることを、なるべく近いうちに被災地でも役立てられないか、とも考えている。現地入りするのもいいし、現地にいる人にワークをやってもらったり、有用な情報を届けるのもいいだろう。
引きつつぎ、私ができることで有用なことがあれば、しっかりとやっていきたい。
被災地の皆さんが一日も、早く安全で安心できる場所に落ちつかれることを願う。