2011年9月14日水曜日

形式(フォーム)から自由になろう

朝10時半からテキスト表現ゼミ。
水曜午前のテキストゼミは、基本、参加者は三人だけなのだが、今日はそれにかっしーと、最近ゼミ生になったまゆみさんが加わって、五人。
先週土曜日のテキストゼミもそうだったが、このところ「ふなっち化」するゼミ生が続出している。つまり、無意識領域からの信号をキャッチして、辻褄や論理性を度外視したストーリーとイメージをそのまま言語化したおもしろい作品が次々と出てきている、ということだ。
たとえばみぞれちゃんは、宇宙人に仕込まれた特殊チップの耳あかから、悪事が次々とばれるのではないかと怖れる少女を描いた作品。かっしーも、二十年来飼っていた水槽のプレコが死んだことに着想を得たプレコの焦点話で、従来作品のハードルをついに越えてきた。
初参加のまゆみさんの感想によれば、相当高度なことをやっているように見えるらしいが、 みんなにその自覚はない。常に表現の本質と原点に立ちもどっているだけだ。

早めに終わって、そのままみんなで下北沢の〈Com.Cafe 音倉〉へ。ランチタイムコンサートへと無理矢理私がみんなを誘ったのだ。みんな、いいやつだ。
私のソロピアノ演奏では、オリジナル曲や唱歌、スタンダードナンバーなど、四曲ほど演奏した。それと、野々宮卯妙との朗読セッションで「眠らない人」をやった。
曲はみんなフォームが決まっている曲で、つまり、小節、コード進行、リズムなど、決められたものをそれほど逸脱しないように演奏する。世の中にある音楽はほとんどそういうフォームがあるものなのだが、これがどうも窮屈に感じはじめているらしい。フォームのない朗読セッションにはいったとたん、自由でのびのびと楽しくなった。
かんがえてみれば、フォームがある曲だって、インプロビゼーションの部分はフォームにとらわれず自由にやればいいのだ。朗読セッションのように、ソロプレイでもフォームにとらわれることなく自由にやれないかどうか、そこが今後の課題だと思った。
幸い、ランチタイムコンサートは毎月第二水曜日の予定。来月はなにか成果が出せるといい。

羽根木の家にもどり、伊藤さやかと東北ツアーの曲目の打ち合わせ。
そのあと、これからの音楽のありかた、行く末、私たちの生き方、ありよう、NVCの話など、とめどなく夜10時まで話して、ようやくさっき解散したところ。いろいろなことを考えて整理できた。さやかには感謝。