2011年10月20日木曜日

ノイズのなかにこそものごとの本質がある、かも

「ノイズ」という言葉があります。
 先日、ジョン・ケージのインタビュー本を読んでいて、そのなかで「騒音」という言葉が頻繁に出てきてすごく違和感を覚えたんですが、これはたぶん「noise」という単語をそのように訳してしまったんでしょう。「ノイズ」と「騒音」ではだいぶニュアンスが異なります。
 私はノイズという言葉がけっこう好きで、ノイズのないコンテンツというのはちょっと信用ならないところがあると思っています。
 音楽でいえば、ノイズのない演奏。クラシックの演奏だと、ノイズというと、バイオリンの弓が弦にあたる音符ではないところにある音。ホルンがちょっと裏返ってしまう音。指揮者のタクトが譜面台に触れてしまったときの音。ピアニストが思わずあげてしまったうなり声。ジャズなどではわざとノイズを混入させておもしろがることもあります。
 スタジオできれいに作られて音楽からは、たいていノイズが丁寧に削ぎ落されています。意図的に歌手のブレスノイズを残すこともありますが、それはノイズの魅力をわかっているからでしょう。
 いまの世のなかは、音楽に限らず、さまざまなノイズを取りのぞいて清潔にしてしまおうという傾向が強いですが、ジョン・ケージはノイズの部分にこそ真実が見えるのではないか、という提唱を、音楽の分野からおこなった人でした。