2011年10月21日金曜日

家事を楽しくやれる人とやれない人の違い

 どうして家事を楽しくやれる人と、嫌でいやでしかたがない人といるんでしょうか。
 洗いものや洗濯、掃除など、家事を毎日楽しそうにやっている人を見ると、幸せな気分になります。そういう人に「なぜそんなに楽しそうなの?」と聞いても、はっきりした答えは返ってきません。せいぜい「だって楽しいから」程度の答えしか返ってきません。
 逆に家事が苦痛で、毎日いやいや、しようがなくやっている人を見ると、こちらまでつらくなります。そういう人に「なぜそんなに嫌なの?」と聞くと、「だってめんどくさいから」という答えが返ってきます。
「めんどくさい」この言葉は近代社会の発明のような気がします。
 近代・現代社会ではなにごとも効率よくすることが「よし」とされ、生産的な生活を送るためには日常的なルーティーンワークはなるべくさっさと効率よくすませてしまうことがよいとする価値観が生まれました。私たちもその価値観に閉じこめられて生きています。掃除機や洗濯機、炊飯器、食器洗い機などなど、はてしなく家事を効率化するための機械が発明され、生産され、買わされています。
 こういった「文明の利器」を使って家事を効率よくこなす、できれば家事労働などないほうがいいのだ、という価値観のなかで生活しているような気がします。それで本当に生活が楽しくなるのでしょうか。そこに幸せがあるのでしょうか。
 この項、つづく。