2012年1月28日土曜日

音楽という形式の奇妙な印象

昨夜の下北沢・音倉のオープンマイクは大変おもしろかった。げろきょはトリで出演して、太宰治の二作品を構成した「悶々貨幣」という演目をやらせていただいた。これについてはあらためてレポートすることにするが、それとは別に気づいたことがあるので書いてみたい。

音倉は音楽ライブのカフェなので、オープンマイクも当然ながら音楽の人がほとんどだ。ギターの弾き語り、ジャズピアノ、ピアノの弾き語り、ピアノとバイオリンのユニットなど。私たちも朗読といいながら、実は気分は音楽と全然区別していない。そもそも私はピアノを弾くわけだし。

昨夜は出番が最後だったせいで、最初からの出演者全員の演目を聴かせてもらうことができた。そのとき、奇妙なことに気づいたのだ。

いや、これを奇妙というのはおかしいかもしれない。奇妙と感じるのは私だけかもしれず、ほとんどの人はそんなことは気にもしていないのかもしれないから。

気づいたことというのは、出演者には一枠15分の時間が与えられているのだが、すべての出演者が3曲演奏していたということだ。つまり、5分前後の曲を3曲。この曲の時間と三曲という形式で全員がやっていたのが、とても奇妙に思えた。もっとさまざまな長さの曲や曲数があってもいいように思ったからだ。

実際、私たちげろきょは、30分1本の演目をやらせてもらったのだった。