2013年2月28日木曜日

ママカフェ、花粉症が軽くなった? げろきょ演出部発足

今日の朝ご飯。
豚肉とほうれん草の炒め物、玄米ご飯。

今日は午前中からママカフェこと「お母さんのための音読カフェ」が羽根木の家で開催されるというので、早めに羽根木の家に行って部屋の片付け。ボイスセラピストの藤沢さんやKATさん、日榮さんが中心になって、音読療法士の野々宮もサポートしての開催。
これは世田谷区こども基金の助成を受けている事業で、いちおう来月が最終開催となっているが、できれば来月以降も引き続き開催していきたい大切なイベントだ。
この事業が若いお母さんがたに必要なことだと認められて、引き続き助成を受けられるといいのだが。


このイベントは女性と子ども(ベビーシッター付き)のためのものなので、私は遠慮して、部屋の片付けが終わったらプールに出かけた。
今日は天気がよくて暖かく、春うららかな日差しのなかを歩いていると、なんともいえないのびのびとした気分になった。
そして、なんだか花粉症の症状がすっかり軽減しているような気がした。
そういえば、今日は薬を飲んでいなかった。

花粉症が軽減したとしたら、その理由はなんだろう。
玄米はずっと食べ続けていたからいまさらだし、飲み物もとくに変えてないし。
かんがえられるとしたらひとつしかない。
音読療法。
呼吸法と認知行動療法によるストレスマネージメント。
これについてはもうすこし検証してみよう。
あまりいいかげんなことを吹きたくない。

ママカフェが終わるころに羽根木の家に戻ったら、私の分のお茶セットを残しておいてくれてた。
うれしい。
これは毎回、ボイスセラピストでフードコーディネーターでもある都さんが、心をこめて準備してくれるもので、今回も見た目も内容もわくわくするようなものだった。


午後、用事で下北沢まで歩く。
ついでに花屋を冷やかしたり、カフェで自分のニーズをじっくりかんがえたり。
朝からやっていた自己共感がさらに深められて、かなりすっきりした。
私にいま必要なことがなんなのか、明快になってきた。

羽根木の家にもどって書き物など。
夜ゼミの予定だったが、参加表明がなかったのでてっきり流会だと思って油断していたら、てんちゃんとかっしーがやってきた。
せっかくの機会なので、ゆっくり話をする。
てんちゃんは3月からげろきょの新「演出部」のメンバーとなるので、そのことについていろんな話ができてよかった。

演出部は現代朗読の演出や講座指導(講師)ができる人を育てるための、私が独自に蓄積したり構築してきたすべてのノウハウを引きついでもらう研究部会だ。
興味がある人はまずはゼミにどうぞ。

公演「初恋」にご来場いただいた方々の声

先日おこなった沈黙の朗読「初恋」公演においでいただいた方々が、アンケート用紙に残してくれた声を、抜粋して紹介します。
みなさん、ありがとうございました。なによりの励みになります。

◎朗読・舞踊・音楽のハーモニーと間がとても深く心の底に響きました。特に朗読は、自分が独白しているような錯覚さえ感じるほど。沈黙の間は、心と頭の中でリフレインが浮かぶ舞台でした。舞踊の金さんも、とても強く美しく。水城さんの音楽も心に響きました。すばらしい時間をありがとうございました。

◎朗読・ダンス・音楽・照明、驚くほど呼吸が合っていて、今回も快楽の時間となりました。間近で声のひびき、ダンサーの汗を感じられて良かったです!

◎永遠のテーマに向かい、改めて、今の自分の置かれた状況と重なることが多く、興味深く楽しく観させて頂きました。朗読とダンスのコラボは初めてでしたが、斬新で楽しかったです。とても近く臨場感があり、音も照明も即興とは驚きでした。ここに来られて良かったです。

◎自分の中に定まっているもの、あたりまえに通じているもの、それを外してみるのに、いいと思いました。暗闇もよかった。沈黙もよかった。まだことばにできないけど、おもしろい室内だとおもう。いろいろ何かやってみたいと思いました。

◎今までにない新しい作品と感じることができました。映画を見てるみたいでとても面白かったです。

◎即興とは思えないほど、3人の方と照明の方の感じがあっていました。きれいなところや、嫌なかんじのところが色々あって、自分の感覚をふり返ることができる時間でした。

◎ダンスと声、音、影の同期する瞬間、ブレる時に感覚がゆれるような錯覚が心地良かったです。声が止まった時の耳がサワサワする感触や、最後の暗闇は久しぶりに味わえてうれしくなりました。

◎金さんのダンスを初めて観て、(観たくて伺って)嬉しかったです。朗読の場にいるのも初めてでしたが、本をただ読むだけではない、景色の観えるような様がとても印象的でした。それにダンスが加わると、心の中が形になって観えてくることにまたおどろきました。

◎音と踊り、声、美術が調和した、面白い公演でした。金さんの美しい肢体、しなやかな動きにも、ろうどくの方のよくようのあるうたうようなろうどくにも、魅せられました。来てよかったです。空間ともマッチしていました。

◎あっという間の時間でした。不思議であり現実的であり、とてもステキな公演でおもしろかったです。ダンスと朗読のコラボも初めてでしたが、そっきょうとは思えないぐらい流れていてとても良かった!

◎すごく面白かった。終わった後、瞑想状態みたいになった。

◎全体の一体になった感じがいいなと思いました。金さんが77の女性の心の姿のようでした。朗読と、音楽と、ダンス、アート、そして、キッドの雰囲気、照明などが、幻想的なまでに溶け合っていて、魅せられました。金さんのダンスは、追憶の中の残像、青春の幻影のようであり、魔性のように美しかったです。

◎コンテンポラリーとはこういうことか。沈黙の朗読&意味もわかりました。ふかい〜。

◎五感・六感に訴える作品でした。息づかい、感情、迷いが心地良かったです。デジタルなものに囲まれた社会の中で、素晴らしい間を感じることができました。個人的には卯妙さんの艶っぽさを拝見したかったので、とても満喫できました。

◎言葉が生きて心に響いてきました。朗読、音楽、照明、ダンス全てが素晴らしかったです。

◎初めてでしたが、とてもステキなダンスと朗読のパワーも伝わりました。暗さがはじめてだったので、おどろきました。今までにない作品を見て感じました。金さんの表現力すばらしかったです。

◎キムさんの体当たりなダンス?!が美しかった。色っぽいし魅了されます。長丁場の中、水城さんのピアノ音色が心地よく、卯妙さんの朗読の声に埋もれるように何度かうとうとしてしまいました(でも音と声は聞こえてました〜)。沈黙の時は瞑想している様な意識と無意識の間にいるような感覚になりました。きもちよかったです。(すいません、寝ぼけで書いてます)


次回の現代朗読公演は、同じキッド・アイラック・アート・ホールにて4月19日(金)夜と20日(土)昼の2回を予定しています。
そこ、空けといてくださいね〜。

流血、もうすぐ咲く蘭の花、中野新井薬師あたり

昨日。朝、鉢植えの植え替えをやろうとして、割れた鉢の割れ目のところで左の親指の付け根のあたりの手のひらをすっぱりと切ってしまって、流血。
この鉢はストレリチア・レギネの縦長の陶器鉢で、ストレリチアは水をやりすぎると根がこぶのようにふくれて鉢を割ってしまうことがあるから気をつけるように、という栽培注意がある植物で、気をつけて水を少なめにやっていたつもりだったのに、それでも多かったらしく、鉢が内側から割れてしまった。
根っこを見てみると、根の下のほうがなるほどこぶのようにふくらんでいる。
これが強い力で鉢を割ってしまったらしい。
それにしてもすごい力。

傷は3センチくらいで、きれいに切れたのでかなり血が出たが、今日はもうふさがってしまった。
もう絆創膏もいらないくらいだが、いちおう貼ってある。


名前のわからない蘭の花芽がグングン伸びてきて、もうすぐ咲きそうだ。
花穂の色から見て、黄色い花が咲くのか?
横に伸びて、それから下にむかって垂れてきた。

昼に羽根木スタジオでオーディオブックリーダー養成講座の個人セッションの人の収録実習をしたあと、いったん部屋にもどって書き物。

夕方中野に向かう。
〈スウィートレイン〉に行く前に、ゴム判作家の片岡知子さんが参加しているグループ展を観にいこうと、中野駅から新井薬師のもっと向こうまでえんえんと歩いて行ってみたのだが、なんと休廊日だった。
また商店街をてくてくと歩いてもどる。
しかし、このあたりの古い商店街はおもしろくて、なんとなく得した気分。

途中の、これまだ無造作な食堂に入って夕食。
これがまたなかなかおいしかったのだ。

そのあと〈スウィートレイン〉で中村和枝さんのトイピアノライブに行く。
その模様についてはこちらに書いた。

スウィートレインから帰るとき、中野駅前で変な手作り楽器で演奏している外人のにいちゃんがいた。
割り箸ピアノとかいって、割り箸をならべて鍵盤にしているのだが、弦がたくさん張ってあって、かなり複雑な構造。
両足では電子ドラムのようなものを鳴らしているが、こちらもおそらく完全手作り。
執念を感じる楽器の作りこみだった。

オーディオブックリーダーの収録実習をおこなった

昨日の昼はオーディオブックリーダー養成講座の個人受講者の収録実践だった。この養成講座は、まず最初に一日かけて講義や実技などを受講してもらうのだが、そのあと収録実習までの約1か月の間、現代朗読協会のゼミ生とおなじ扱いになって、現代朗読のゼミやワークショップなどに自由に無償で参加できる。
昨日のMさんも何度かゼミに参加していた。

養成講座には当然「オーディオブックを作りたい、読みたい」という人がやってくるわけだが、なかにはもっと漠然と「声の仕事をしたい、声で自分を表現したい」というような人もいる。
だから私はまず講座の最初にその人のニーズをじっくり聞くことから始める。
Mさんもじつはオーディオブックにはこだわらなくて、音声表現について漠然とした関心があってやってきたのだということがわかっていた。
じゃあ、どんなことをやりたいのか、というと「これ」とはっきりわかっている人はいいのだが、ある程度時間をかけていっしょに探してあげたほうがいい人もいる。

結果的にオーディオブックにこだわらなくてもなにか表現がしたいのだ、朗読がしたいのだ、ということがわかって、そのまま現代朗読のゼミ生になってしまった人も何人かいる。
逆に、オーディオブックですぐに生活することは難しいということがわかって、それきりになってしまう人もいる。
Mさんもオーディオブックにこだわるわけではなく、もうすこし時間をかけて自分のやりたいことを見つけていきたいようだったので、ゼミ生になってはどうかと提案してみたが、遠方なのと仕事をされているのとでゼミに参加できる時間を取れるかどうかがわからないということだった。

ともあれ、とにかく収録だけはやってみた。
収録してみるといろんなことがわかる。
自分ができること、できないこと、あるいは思いもよらないことに気づくこともある。
一度もゼミに参加せずに、丸1か月間があいてしまった人がいきなり収録すると、たくさん練習してきているのはわかるのだがその方向性がおかしなことになっていて、まるっきりつまらない読みになってしまっていることがある。
もったいないので、1か月の間にできるだけゼミには出てもらいたい。
一日の講座よりはるかに多くのことを学べるはずだ。

それにしても「オーディオブックリーダー養成講座」という講座名は変えたほうがいいのかもしれない。
すぐにはいい名前を思いつかないが。
次回「オーディオブックリーダー養成講座」は3月26日(火)の開催です。
詳細はこちら

中村和枝と仲間たちによるトイピアノライブに行ってきた

昨日は中野〈スウィートレイン〉まで中村和枝さんのトイピアノライブに行ってきた。出演は中村さんを中心に、バイオリンの安田紀生子さん、トイピアノと鍵盤ハーモニカの河合拓始さん、作曲と小物演奏の伊左治直さんの4人。
こじんまりしたスウィートレインが20人以上はいって、立ち見も出る超満席。

トイピアノが3台。
シェーンハットの黒いグランド型、白のキティちゃん柄のアップライト型、そして黒い重厚な感じの白川ピアノ。
それを見ているだけでも、始まる前からわくわくしてしまった。

最初はラモー、バッハ、ビバルディと古い曲からはじまって、いきなりサティ、そしてジョン・ケージへ。
トイピアノとバイオリンのデュオから始まって、トイピアノソロ、トイピアノデュオ、いろいろな楽器を使った伊左治さんの初演を含む組曲など。

非常に限定された楽器群でかなでられる曲は、ほんとうにかわいく、ミニチュアとか豆本を見るときのわくわく感に近い。
小さくてもそこからイメージはふくらみ、受け取るこちらはちゃんと音楽の宇宙を旅できる。
曲目も、演奏形態もバラエティがあって、きっとプログラム作りは苦労したんだろうなと思いつつ、まるでおもちゃ箱をあけたようなライブを楽しませてもらった。

来週水曜日3月6日は、今度は私もここで演奏するのだが、いろいろな刺激をもらうことができた。
来週の現代朗読・野々宮卯妙と私の即興音楽によるスウィートレインのライブは、こちら
満席とはいわないまでも、何人か聴きに来てくれるとうれしいな。

2013年2月27日水曜日

雇用から自立するために(音読療法マスターコース)

おおげさないいかたをすれば、私は音読療法には「雇用創出事業」の側面があると思っている。まだまだ認知度は低いが、音読療法はそのすぐれた手法とシンプルさによって、かならず社会認知度があがってくるはずで、またそれが必要とされている社会状況である。
その実感は、音読療法をさまざまな場面で実施するたびに、ますます強まっている。
高齢者福祉施設、学校、被災地、職場、個人相手など、いろいろな場面で音読療法が力を発揮している。

音読療法には現在「2級ボイスセラピスト」と「1級ボイスセラピスト」、そして「音読療法士(マスター)」という資格がある。
このなかでもとくに「音読療法士」は、音読療法のすべてを習得し、あらゆる場面に対応できる経験を積んだ人に授与される資格だ。
これを取得するのはかなり大変で、軽々しくだれにでもすすめられるものではないが、しかし音読療法士が育っていってくれることを私は切実に願っている。

音読療法協会に個人セッションをもうしこんでくる人がいる。
先日も受け入れをおこなったのだが、その様子についてはこちらに書いた。

心身の不調をうったえる人、うつ予防を期待する人、手軽な健康法を知りたい人、人間関係に悩みがある人、さまざまな状況で問題をかかえている人に音読療法士は対応できる。
もちろん重篤な症状におちいっている人については、病院で受診されることをおすすめするが、病院に行く前に音読療法で解決できることがたくさんある。
そして、みなさんがもっとも恐れている病院での薬物治療を回避できる可能性が高い。

現在は個人セッションを音読療法協会で受けているが、音読療法士なら個人で開業することができる。
現在、お勤めをしていて、雇用関係に悩みがあったり、仕事がつらいと感じている人は、音読療法を身につけて雇用関係から自立することを検討してもらいたい。
また、専業主婦や被扶養者など、とくに生活には困っていないが、精神的・経済的な自立の必要性を感じている方にも検討してもらいたい。
音読療法をおすすめするなによりの理由は、これが「社会貢献」の仕事であるということだ。
だれかのお役に立つことで生きていく、これほど誇りが持てる仕事はないだろう。
そして私もこの仕事を胸を張っておすすめできるわけだ。

明日は音読療法士マスターコースの無料受講説明会をおこなう予定だが、残念ながら参加申し込みがあまりない。
ひとり、ふたりでも、丁寧に説明するし、冷やかしでもかまわないので、興味を持たれた方は気軽に申しこんでいただきたい。
ネット経由でも説明会を受けられるようになっている。
詳細はこちら

岩名雅記さんと「夏の家族」上映後にトークします

あさって3月1日から明大前キッド・アイラック・アート・ホールで舞踏家の岩名雅記さんが作られた新作映画「うらぎりひめ」を含む3本の映画の上映会がおこなわれます。3月4日の夜は前作「夏の家族」が19時から上映されますが、上映後、岩名さんと私と野々宮卯妙でアフタートークをおこないます。
どんな内容の話になるのかわかりませんが、いまから楽しみにしてます。
ご都合のつく方はどうぞいらしてください。

なお、「うらぎりひめ」の私のレビューはこちら

2013年2月26日火曜日

メーター振り切れそう

さきほど、GQPowerの集まりが羽根木の家であって、私は参加してないのだが、参加者のひとりの浅輪くんから、「痩せました?」
と訊かれた。
痩せてない。体重はほぼ変化なし。
ただし、自分でも鏡を見て、痩せたというより「やつれた」感じがした。
無理もない。

このところ、現代朗読ゼミ、基礎講座、音楽塾、テキスト表現ゼミ、音読療法個人セッション、いきいき音読ケア、ネットライブ、共感的コミュニケーションの勉強会、沈黙の朗読「初恋」公演、2級ボイスセラピスト講座、音声表現スキルアップ個人セッションとつづいて、今日は丸一日オーディオブックリーダー養成講座とオーディオブックの収録だった。
これらすべて、カリキュラムなしの即興的進行で、あたまと身体と感受性をフル動員しての仕事、消耗しないわけがない。
それらと並行して毎月の支払いの心配ものしかかってくる。
ストレスフルな毎日を、共感的コミュニケーションのおかげでなんとか乗りきっている。

共感的コミュニケーション(共コミ)といえば、私も参加しているトランジション世田谷・茶沢会というグループに「共感的コミュニケーション部会」を(勝手に)作ることになって、部会を開催することになった。
コミュニティ・ビルディングというのだが、こういう組織運営においても共コミは非常に力を発揮する。
私のような人間が現代朗読協会と音読療法協会というふたつの組織をオーガナイズできているのも、共コミのスキルが多少なりともあるからだ。
もちろん組織運営だけでなく、日常における人間関係においても強力なスキルとなる。

こんな目の回るような毎日だが、かつて職業小説家をやっていたときに比べると「自分を生かしている」という感覚が格段に大きい。
職業小説家をやっていたときは、とくに後半、パソコン通信の小説道場のようなコミュニティに関わるようになったときには、まさに自分自身をすりへらし、自分を殺し、消費しつくされていくような感覚があった。
おそらく回りからは楽しげにやっているように見えていたに違いないと思うのだが。
あのときの犠牲と傷から立ちなおるのにこの15年が私には必要だった。

いま(経済的には苦しいが)なんとかやれているのは、ゼミ生のみんなやボイスセラピストたちをはじめ、私を大切にしてくれる人がたくさんいるからだ。
この人たちには本当に感謝してもしたりない。
今日も収録が終わって、消耗しきって、つぎの公演をどうする? もう時間がないぞ、チラシを刷ってる暇はないぞ、という問題に直面して、げろきょ仲間の唐ちゃんと玻瑠さんが助け舟を出していっしょにかんがえてくれたことがどれだけうれしかったことか。
ありがとう。

あれれ?
いそがしいという愚痴を書きはじめたつもりだったのに、最後は感謝の気持ちにたどりついてしまった。
かんがえてみれば、自分の能力をフルに使いきってだれかのお役に立てている毎日、こういう時間をすごしているという人生も悪くはない。
悪くないどころか、とてもいいじゃない。
完全に燃焼しつくしてこの世とお別れできることが、私の最終的な望みだ。

写真見るとやつれているでしょ?
そうでもない?

2013年2月25日月曜日

渋谷イメージフォーラム、墨田区教育支援ネットワーク・フォーラム

午前中から渋谷のシアター・イメージフォーラムまで行って、映画「先祖になる」を観る。この映画のレビューはこちら

映画は11時からで、14時から墨田区役所に行く予定があり、余裕のスケジュールだと思っていたのだが、映画がなんと2時間を超える長さで、ちょっとあせった。
銀座線に飛びのって、浅草へ。
墨田区役所の会場に14時数分すぎに到着したら、あらら、まだ全然人が集まっていないではないか。
よく見たら、14時半スタートなのだった。

現代朗読協会は墨田区の教育支援ネットワークというプログラムに協力登録をしていて、小学生相手の朗読・音読授業にボランティアで出かけている。
そのネットワークの報告会のようなフォーラムだった。
私たちは教育委員会や学校から呼ばれれば、直接現場に行って子どもたち相手に授業をおこなうのだが、教育支援ネットワークというものがどのような組織なのか、あまり具体的なイメージを持てていなかった。
それが今日のフォーラムに参加したことで、商工会議所や観光協会、役所、教育委員会、学校、保護者などの有機的な結びつきによって立体的に構成されていることがわかって、とても具体的なイメージを持つことができた。

ところで、このようなネットワークがあるのは墨田区だけなのだろうか。
ほかの区や自治体にも、この仕組みがあるととてもいいのに、と思ったのだが、すでにあるかもしれないし、ないのかもしれない。
ともあれ、げろきょの本拠地である世田谷区には、そのような仕組みがあるのかどうか知らない。
もしあれば、もちろん積極的に参加したいところだ。
もしすでにその仕組みがあって、しかし私たちがそれを知らないというなら、それは情報発信不足といえそうな気がするのだが、どうだろう。
どなたか情報をお持ちの方がいたら、教えてください。

今日も非常に寒かった。
寒いなか、震えながら午後5時すぎに帰宅。
明日はオーディオブックリーダー養成講座の日。
詳細はこちら

映画「先祖になる」を観てきた

渋谷のシアター・イメージフォーラムまで池谷薫監督のドキュメンタリー映画「先祖になる」を観に行ってきた。通常なら私のアンテナにまず引っかかることのないタイプの映画だが、今回観に行ってみようと思ったのは、徳久珠央さんがFacebookで絶賛していたからだ。

私は珠央さんの嗅覚を信用できると思っている。
それは「玉響のとき」という合同ライブをやったときの肌感覚といってもいいし、それまでにも何度かお話させていただいたときに感じたとても自分に正直な、しかしとても開いて風通しのいい感受性の方だという印象にも根ざしている。
だから、行ってみた。

陸前高田の気仙町に住んでいる77歳のじいさんに終始焦点があてられている。
消防団員だった息子をなくし、家も二階の床上まで津波に襲われたが、家はなんとか流されることなく残った。
とはいえ、見たところ、とても不自由なく暮らせるような状態ではない。
つまり、ぐちゃぐちゃ。
そんなことをものともせず、自分は山男だから水と米さえあれば生きていける、といって、平然とそこに暮らしている。

役所からは避難所への移動をなかば強制されているが、がんとして動かない。
動かないどころか、そこで暮らしながら、農業を再開し、山仕事のためにチェーンソーなどの機械を取り寄せ、そして新しい家を建てようとまでしている。
一貫した哲学があり、それにもとづいて揺らぎない人生を歩んでいる。
それに共感し、たったひとりじいさんを支えている男がいる。
この人がまたかっこいいんだ。
役者さんみたいで、ちょっと渡瀬恒彦に似ている。

街のけんか七夕の様子や、町内会の若い者、始まった山仕事の様子などを交えながら、じいさんの生活がこれでもかと接近して撮られている。
説明は一切ない。
音楽もなければ、ナレーションすらない。
愚直に感じるほどだが、しかし実は凄腕で編集されている。

こういうじいさんの生き方は、もちろん現代社会では受け入れられがたく、妻からもうとまれて別居状態になってしまう。
あまり多くは語られていなかったが、たぶん地域の人たちからも「あのどうしようもないがんこじじぃ」とうとまれている面もあるのではないか。
しかし、たったひとり、自分の支持者がいることで、じいさんは自分の人生をがんこに歩みつづけることができている。
人とはそういうものなのだ。
たったひとりでいいのだ。

そしてもうひとつ、重要なことは、じいさんが山にせよ農業にせよ、自分の仕事について100パーセント誇りを持ち自分自身を信頼していること。
はたして現代社会にどれほどこれだけ自分自身を信頼できている人間がいるだろうか。
私はできない。

山にはいれば20代のころと変わらないといいきり、チェーンソーをふるって杉の大木をいとも簡単に、正確に伐り倒していく。
そして倒した木にたいする礼儀と感謝も忘れない。

映画を観終わったあとかんがえたこと。
この生き方はもはや私たちには無理だろう、でもなにかできることはあるだろう。
自分に正直になること、正直になりつづけること、自分に誇りを持つこと、自分を信頼すること、自分自身を信頼できる人間にすること。
むずかしいが、それはたった一度の自分自身の人生にとって価値のあることではないだろうか。
そんなことを教えてもらった映画だった。

渋谷のシアター・イメージフォーラムにて上映中。
詳細はこちら
そして、徳久珠央さんとの「玉響のとき Vol.5」は3月30日午後の開催です。
予約定員に限りがあるので、早めにお問い合わせ・お申し込みください。

2013年2月24日日曜日

リップノイズ対策の音声表現スキルアップ個人セッション

5時、起床。ゼミの音声記録の編集とアップ。
朝食に豚バラとブナしめじの炒め物と玄米ご飯。
名前のわからない蘭の花芽が、このところ急激に伸びてきて、もうすぐ咲きそうだ。
どんな花が咲くのか楽しみ。

9時半、羽根木の家へ。
今日は2級ボイスセラピスト講座の一日。
これについてはこちらにUPずみ。

午後5時すぎに講座終了。
ひといきつくひまなく、午後6時に音声表現の個人セッションの方がやってくる。
この方はナレーションの勉強をしていて、最近マイク収録の機会が何度かあったのだが、リップノイズに苦しんでいて、その解決策を求めて私のところに来てくれた。
リップノイズ対策は私の長年の経験が蓄積しているもので、得意とする分野でもある。

実際にマイク収録をして、彼女のリップノイズのタイプを分析・特定しながら、その対策をかんがえていった。
彼女の顎の構造や体格を見て、口腔内のスペースと舌筋群の柔軟性の対策が有効と判断、その対処法をやってみる。
実際にやってみると、確実にリップノイズが軽減したので、その方向性でトレーニングするようにお願いしてみた。

ほかに、呼吸法。
これはボイストレーナーに教えられたものがなかなか有効なので、そのままつづけてもらいたいが、客観的知見が欠如していたので、呼吸筋群についての知識を補足してから呼吸法の確認。
そのほかにも気になることなどいくつか確認して、1時間のセッション終了。
多少なりとも私の経験がお役に立てたのではないかと思う。

プロのための音声表現スキルアップ個人セッションの詳細はこちら

今日は2月の2級ボイスセラピスト講座だった

今日は2級ボイスセラピスト講座の一日。
何年か前にげろきょ公演にダンスで参加してくれた岡田さんが来てくれた。
全然変わっていなくてびっくりしつつ、うれしかった。
NVC仲間のくろりこさん、ゼミ生の徳永さん、ほか再受講の玻瑠さん、植森さんらも参加。

午前中は音読療法の概要、位置づけ、基本的な内容、心理学的な基礎知識の講義、そして実際の呼吸法、発声・音読の実践。
昼休憩にみんなで近所のパン屋に行き、パンを買ってきて羽根木の家で食べる。

午後はまず、ふたり一組になっての実践確認。
呼吸法と発声、それから音読エチュードもやる。
今日は唱歌「春の小川」の歌詞を使ってのいろいろな音読エチュード。
そのあと、共感的コミュニケーションの勉強。

音読療法の柱のひとつでもあり、特徴的である共感的コミュニケーションは、やはり初めて接する人にはインパクトが大きいようだ。
また、すでに何度か受けている人も、繰り返して学ぶことで深めることができるし、また日々練習して深めていく必要がある。
2級ボイスセラピスト資格を取得した人は何度でもおなじ講座を無償で受けられるので、繰り返し学んだり、知識と経験を更新してもらいたいと思っている。

来月の2級ボイスセラピスト講座は3月24日(日)に開催します。

詳細はこちら

2013年2月23日土曜日

鉢植え爆発、六本木ヒルズ、ヴィエント・アスールのレコ発ライブ

昨日は一日、キッド・アイラック・アート・ホールでの「初恋」公演で、日付が変わる少し前に帰宅したのだが、なぜか全然疲れがなかった。
心地よい余韻。
ウイスキーを2杯飲みながら、メールやツイッターの返事を書いたり、公演のレポートを書いたりしてから、午前2時くらいに就寝。

今朝は8時すぎにすっきりと目覚めて起床。
午前中は鉢植えの世話やら、雑用の片付けやら。
極楽鳥花ことストレリチアが、水をやりすぎたのか、根のコブが張ってしまって、鉢が内側から割れてしまった。
すごい植物の力だ。
替えの鉢を注文したのだが、まだ届かない。

昼にカーシェアリングで車を借りて、キッド・アイラック・アート・ホールまで昨日の使用機材を引き取りに行く。
ついでに早川くんに4月公演の日程を確認。
予定どおり19日夜と20日昼に決定。


ゼミ生の弓子さんがマネージメントをしている服部龍生とパーカッショニストの大久保宙のデュオユニット〈ヴィエント・アスール〉のCD発売イベントのために、六本木のテレ朝まで行く。
渋谷から六本木はなんとなく行きにくいと思っていたのだが、バスだと直通で行けることが判明。

早めに六本木ヒルズに到着して、ランチの店を探そうとしていたら、やはりイベントに来たゼミ生のまぁやとばったり遭遇。
いっしょにランチ。
ゼミ生とすごす時間は自分自身のままでいられて、本当に楽しく、ありがたい。

時間になったので、イベント会場へ。
助っ人でゼミ生のみぞれちゃん、KAT、玻瑠さんが手伝っていた。
丸さんも撮影で助っ人。
これ、げろきょイベントじゃないよね(笑)?

200人近いイベントスペースが満席に近く、〈ヴィエント・アスール〉のライブがおこなわれた。
これは弓子さんの努力と、大久保さんの魅力なのだろう。
私自身のニーズを確認しながらふたりの音を聴く。
子どもたちがたくさん来ていたのは、大久保さんの生徒さんだろうか。
子どもがいるライブっていいなあ。

前回の年末のげろきょ公演にも、藤沢辿さんの娘さんが来てくれてうれしかった。
そっか、私は子どもたちのためのライブをやりたいのか。
私は子どもが好きなのだ。

終わってから、ちょうど来ていたバスにひとりで飛びのって、渋谷にトンボ返り。
バスのなかで突然腹痛に見舞われ、切羽詰まる。
信号詰まる。
バス詰まる。
姿勢と呼吸を工夫してなんとか渋谷にたどりつき、さてトイレと高速で思考回路をめぐらせ、もっとも空室率が高そうなマークシティの5階のホテルのロビーへ。
外来者お断りの立て札を無視して、清潔なトイレにかけこみ、コトなきを得た。
この手のクライシスはひさしぶりの経験であった。

それをツイッターに書いたら、ゼミ生の晩さんが心配してくれたが、いまはもうなんともない。
たぶん、信号待ちのたびのエンジンを停めるバス車内が寒かったので、お腹が冷えたのだろう。
いまはもうなんともない。

明日は朝から2級ボイスセラピスト講座。

振り返り日記:2月20日、21日

まとめ振り返り日記。
2月20日(水)。
共感的コミュニケーションの昼の勉強会。
復習をかねたゼミ生とボイスセラピストもいたが、まったくの初心者もいて、基本的なことから確認しながらお勉強。
前日にひきつづき、充実した時間となったように感じた。
あとで「わかりやすかった」といわれて、私の貢献のニーズが満たされた。

夕方、オーディオブックリーダー養成講座の個人受講者の収録実習。
事情があって一度もゼミに参加できなかったせいで、かなり思いこみのつよい読みこみをやってきて、努力したのはいいが方向性がずれていて残念。
養成講座はげろきょゼミの参加とセットでないとうまく機能しないことを確認した。

新宿でハンバーガーショップで夕食。
クーポンがあったのだ。
そのあと、中野の〈Sweet Rain〉での板倉克行さんのライブに行く。
いつものかっしーはともかく、ゼミ生の佐藤くんが来ていたのは驚いた。
例によって野々宮とかっしーが後半、朗読でセッションに参加したが、私も板倉さんにこわれて一曲、野々宮とセッションをやらせてもらった。
ベースは海道さん。
クレバーで音楽的アイディアを次々と出してくるタイプのベーシスト。
おもしろかった。


2月21日(木)。
朝ゼミ、昼ゼミ、夜ゼミの、げろきょ三昧の日。
その合間に、やたら眠いのを短い仮眠でやりすごして、翌日の「初恋」公演の当日パンフレットの文言を書く。

朝ゼミでは、今月末28日におこなわれる「ママカフェ」の打ち合わせ。
主催の藤沢さんが集客に苦労していて、とくにリピーターがいないことを悩んでいるので、みんなで方法をかんがえる。
子育て中のお母さんたちにとってとても大切なことをお伝えする音読カフェなので、たくさん来てくれるとうれしい。
フードコーディネーターの都さんによるスイーツとお茶のサービスもすばらしいのだ。子育て中のお母さんでなくても、興味のある方はぜひ来てね。
詳細はこちら

ランチは藤沢さんのリクエストで、東松原のカレー屋〈アイキッチン〉へ。
なぜか混んでいて、しばらく待たされる。
ここはもう常連になっていて、我々が行くといつも飲み物をサービスしてくれる。
ただでさえ安いのに気の毒なくらいだ。

午後は昼ゼミ。
みぞれちゃんと新ゼミ生の徳永さんのふたりだけ。
なので、掘りごたつでまったり。
徳永さんのたくさんの疑問に答えたり、徳永さん自身の話を聞いたり。
おもしろかった。
いろいろ質問されることで、こちらも現代朗読についてのかんがえがより明確になるのもありがたい。

夜ゼミは徳島からのオンライン参加のたるとさんをはじめ、東京組は昼ゼミからひきつづきみぞれちゃん、てんちゃん、佐藤くん、かっしー、オーディオブックリーダー受講中の宮崎さん。
宮崎さんの読みについて身体性との結びつきを試みるアドバイスをいくつか。
変化が現れた。
佐藤くんが介護予防アーティスト講座の実習でやる予定だという歌謡曲の歌詞朗読のことで、みんなでえらく盛り上がる。
歌謡司会の口調はなにをどうすればああいう感じになるのか、とか、昭和な印象の語り口とか。おもしろかった。

翌日「初恋」公演なのだが、もともとのきっかけは私と野々宮による槐多朗読だった。
が、ホール公演になったことや、ダンス、美術をげろきょの外に依頼したことで、いくつか処理しなければならないことができたり、クリアしなければならない問題が生じたりと、予期しなかったことが出てきた。
共感的コミュニケーションを共有しているげろきょメンバーだけの作業はとても楽で、逆に外部の人となにかをやるときはそれがデフォルトでないのがときにとまどいとなる。
げろきょの成長のためにはそれをもクリアしていきたいが、いまはまだその時期ではないのかも、と感じている。
ホールの早川くんに渡す台本と照明指示を作る。

「初恋」公演は無事に終了した。
そのレポートはこちら

沈黙の朗読「初恋」公演が終わった

2013年2月22日。
演奏や記録用の機材を運ぶために、いつものようにカーシェアリングで新代田で車を借りてくる。
羽根木の家から明大前キッド・アイラック・アート・ホールまで運ぶ。

この公演の出演者は朗読の野々宮卯妙、ダンスの金宜伸、演奏の私という3人きりで、装置もなく、美術は丸山純子さんにお任せだったので、準備は楽だとタカをくくっていたのだが、当日のスタッフをだれにも頼んでいないことに気づいた。
いや、受付をゼミ生のてんちゃんとみぞれちゃんに頼んであったのだが、搬入・搬出、会場準備の人手をかんがえていなかった。
とくに、美術で粉石鹸を使うので、床にリノニュームを張る必要があり、その人手がたりないのだった。

昨日、その話をゼミで聞いていたみぞれちゃんが、自主的に手伝いを申し出てくれ、てんちゃんも手伝ってくれることになった。
あとで思ったのだが、このふたりが手伝ってくれなければどうにもならなかった。
とても助かった。
と同時に、いくら小規模のものとはいえ、スタッフ体制は最初からしっかりかんがえておかなければならないなと思った。

車に機材を積んで明大前まで行くと、すでにてんちゃんとみぞれちゃんがホールに到着していたので、積み降ろしを手伝ってもらって、私はそのまま車を返却に。
取って返すと、丸山さんも到着していて、ホールの早川くんの指示のもと、全員で床張り作業が始まった。
これはかなり大変な作業で、全体にきっちりすきまなく張り終えるのに午前中いっぱいかかった。
それでも無事に終わってほっとひと息。

客席を作り、演奏機材をセッティングし、音響確認。
羽根木で印刷物の作業をしていた野々宮も合流。
ひとりで黙々と照明のセッティングをしている早川くんにあとをまかせ、昼食に出る。

ホールの斜め前にあるうどんチェーン店の〈なか卯〉にはいる。
ミニうどんと親子丼のセット。

ホールにもどると、ダンスの金さんも到着していた。
ウォーミングアップやら、私は使用音源の確認など。
開演まで余裕があったので、なんとなくのんびりと落ち着くことができた。

14時半、開場。
ゼミ生がたくさん来てくれたほか、前ゼミ生のまりもちゃんが来てくれたのもうれしかった。
ゼミ生はいったんやめるとぱったり来なくなってしまう人がほとんどなのだが、まりもちゃんやくぼりかのようにげろきょにつながりつづけてくれる人がいるのはほんとにうれしい。
映画「うらぎりひめ」の監督であり舞踏家でもある岩名雅記さんがいらしてくれたのもうれしかった。
岩名さんとは3月4日夜のキッド・アイラック・アート・ホールでの映画上映のあと、トークをさせていただくことになっている。
みなさん、来てね。

15時、時間どおりに開演。
暗転のなか、私の演奏からスタート。
真ん中のスポット照明があがると、そこには椅子に座った金さんがいて、ゆっくりと踊りはじめる。
野々宮の朗読はホールの上の空間にあるバルコニーのような場所から最初は始まる。
そのあとはお互いの即興セッション。

しだいに沈黙に向かっていく。
非常に時間をかけて、沈黙が増えていく進行は、予想していた時間を大幅にオーバーしてしまった。
終わったら100分近くが経過していた。
お客さんがよくがまんしてくれたと思う。
しかし、終わってからは好意的な感想をたくさんいただいた。

夜の部にそなえて腹ごしらえを買いに出る。
今度は吉野屋のテイクアウトで丼。
ホールにもどって食べる。
それから昼の部の後片付けをしたり、客席を作ったり。
夜は昼より予約者が多いので、客席を増やした。

19時半、開場。
ゼミ生や私の即興レッスンの生徒さんのほか、深川〈そら庵〉の東海明子さんが来てくれた。
「槐多朗読」に何度も来てくれている画家の内村さんも来てくれた。

20時、時間どおりに開演。
夜の部はなるべくコンパクトに、シャープにやろうということになり、昼の部より大幅にテンポアップ。
その結果、75分で終演。
昼も夜もそうだったが、終わったらなんとなくぼーっとして言葉が出てこない、といった風情の人が多く、こういうとき私はパフォーマンスがうまくいったんだなと感じる。
「槐多朗読」をはじめとする沈黙の朗読は、こんな感じで終わることが多かった。
言語活動や論理思考をする部分ではなく、脳の別の場所を刺激するらしいのだ。

終わってからゼミ生が何人か残ってくれて、後片付けを手伝ってくれた。
とくに粉石鹸がリノや壁にこびりついて落とすのが大変だったのだが、みんなで手分けしてせっせと片付けたので、短時間で終わった。

ゼミ生の平田くんが羽根木までの荷物運びに付き合ってくれた。
家にもどったとき、長い一日だったのだが、なぜかあまり疲れを感じていなかった。
今回関わってくれた出演者、スタッフ、お客さん、そして応援してくれていた皆さん、すべての人に感謝。
またひとつ、ステップを進めることができた。

2013年2月20日水曜日

ヴァレリー・アファナシエフ『ピアニストのノート』

帯の文句が「世界的ピアニストによる選書メチエのための書き下ろし」とある。アファナシエフというピアニストは知らなかったが、旧ソ連モスクワ生まれ、現在はフランス在住らしい。
はっきりいって読みにくい。
が、音楽とピアニストであること、世界の街を旅すること、時間、沈黙、聴衆、文学のことなど、縦横無尽というと言葉はいいが、脈絡なく語られていく。
音楽家の思考過程をそのままのぞきみるようなおもしろさがある。

理路整然とした論文ではないし、読みやすいエッセイでもないが、断片的にイメージを喚起されるような刺激があって、文字を読むことそのものの楽しみを思いださせてくれる。
けっしてだれにでもおすすめできる本ではないが、私は楽しめてよめた。
ピアノ好き、音楽好き、思考好きの方にはおすすめ。


オーキッド、オーキッド!

昨日買った蘭は小さなものばかりだったが、いずれも東南アジアの原種らんで、学名がちゃんと記されている。
蘭の多くがそうであるように、着生蘭、つまり木の上や岩肌などに着生する種類だ。
かっこいいでしょ(写真)。

名前をネットで調べてみたら、花の写真や生育環境が出てくるので、いやいや便利な時代だなあ。

Den. microbulbon タイ
Tachiophyllum obtuse タイ
Thrixspermum histrix インドネシア
Chilochista viridiflava(yellow flower) ミャンマー

この4株。
まだ冬株なのでバルブや葉はしわしわだけど、これから元気になって花芽を伸ばしてくれることを祈る。
とりあえず今朝は水を張った鍋にどっぷり浸けこんで給水してみた。

2013年2月19日火曜日

共感的コミュニケーションの勉強会、でした

今夜は共感的コミュニケーションの勉強会・夜の部だった。
昼の部は明日開催。

この勉強会は去年からやっているのだが、もともとボイスセラピストと現代朗読のゼミ生のためにはじめたこともあって、一般参加者はいなかった。
今年から一般にも開放して、より開かれた勉強会にしたのだが、先月は一般参加はなかった。
しかし、今日はボイスセラピストやゼミ生以外の参加者が4人来られた(ゼミ生も来た)。
ちなみに、明日の昼の部はもっと参加者が多い。

今夜は共感的コミュニケーションについてよく知らない人が多かったので、基本的なことからやった。
私の本『共感的コミュニケーション〔入門編〕』を読んで来てくれた方もいた。
しかし、本で読んで頭で理解するのと、実際に勉強会に出てもらって身体で納得してもらうのとではだいぶちがう。
基本原理とプロセス、実践と、初歩的なことばかりではあるが、きちんと押さえられたのではないかと思い、終わってから充実感を覚えた。

この勉強会は来月もおなじ日時で開催する予定だ。
まったくの初心者も歓迎。
詳細はこちら

世界らん展を観に東京ドームまで行ってきた

午前10時に水道橋でつきみちゃんと待ち合わせ。待ち合わせ時間がすでに気合いはいってる。

世界らん展には10年以上前から一度は行ってみたいと思っていたのだが、らんそのものにはそれほど興味はなかった。
それが、去年、福岡のらん店〈プラセール〉が東京で臨時に出店したのをたまたま見に行って、はまってしまった。
そのときもたまたまつきみちゃんといっしょで、いっしょにはまってしまった。
東京ドームも一度も行ったことはなく、今日が初めて。

ドームに足を踏み入れ、回廊からかいま見える会場の様子が目にはいった瞬間、一気にテンションがあがる。
すげー、広大な会場がらんで埋めつくされている。

ざっと見たところ、一点ずつの優秀作品や珍しいらんが展示されているコーナー、団体がかたまりで華やかに展示しているコーナー、らん専門店の出店コーナーに分かれているらしい。
まず一点ものをざっと見ていく。

まだ知識は浅いのだが、らんは大きく「属」で分けられることは知っている。
おもな属として「カトレア」「シンビジューム」「ファレノプシス(胡蝶蘭)」「デンドロビューム」「バンダ」「バルボフィルム」などがある。
私がすでに持っているのはカトレアとバルボフィルムの一種だ。
それにしても本当に多様な種類があって、おもしろい。
一株一株見ていったらきりがない。
しかし、たくさん見ていくうちに、自分の好みがはっきりしてくる。

私はどうやら、きれいで派手な贈答用にあるようならんではなく、原種に近い、地味なもの、可憐なもの、あるいは野生を感じさせるものが好きらしい。
そういうものはメインの展示にはなく、しかしらん専門店にはけっこう扱っている店が多い。
日本の店も何店かめずらしい野生らんを扱っていたが、外国の店が充実していた。
台湾、タイ、ブラジルなど。

かなり興奮ぎみに見てまわったので、すぐに消耗してしまった。
うまく育てられるかどうかわからないので、ごく安い原種の小さな株をいくつか買ってみた。
めずらしいものばかりで、ふつうの花屋の店頭ではけっして見かけないものだ。

2時間くらい回って、とても全部見きれなかったが、つきみちゃんもかなり満足したというので、あっさりと解散。
買った株はまだ包みも解いていない。
これからゆっくりとながめて楽しむことにする。

2013年2月18日月曜日

〈メディカルホームまどか富士見台〉でいきいき音読ケア

西武池袋線沿線の富士見台にある〈メディカルホームまどか〉まで「いきいき音読ケア」に行ってきた。ボイスセラピストの片岡さん、ピリカさん、野々宮卯妙と4人で。
ピリカさん、片岡さんと先に富士見台駅で待ち合わせて、昼食がてら軽く打ち合わせ。
ピリカさんとひさしぶりに会うので、近況など聞く。
食事はランチ営業をやっている居酒屋で海鮮定食など。

食事が早く終わったので、コーヒーでも飲もうと商店街をうろつく。
なんだかやる気のない商店街で、カフェがなかなか見つからない。
ピリカさんがクリーニング屋で訊いてくれて、コーヒーショップを発見。
なんだか由緒ありそうな古色蒼然とした〈珈琲専門店ヒロ〉という店。
ここのコーヒーはなかなかおいしかった。
店主の女性に話を聞いたら、開業40年とのことで、昔は富士見台もとても栄えていたのだそうだ。
なぜこんなにさびれてしまったのかは聞きそびれた。

卯妙さんが合流して、みんなで〈まどか〉に行く。
いつものグランドピアノがある3階の広いフロア。
ピリカさんがファシリテーターをつとめて、コミュニケーション、呼吸法、発声、音読、音読エチュードをやる。
今日は前回までより参加者がやや少なかったが、みなさんの反応がとてもよく、いきいきとしたワークができた。
最後に私がピアノを弾いて、春の唱歌を何曲かいっしょに歌う。

富士見台、池袋、渋谷、新代田と戻ってきて、今夜はこれから羽根木の家でネットライブ中継。
出演はてんちゃんとみぞれちゃん。
詳細はこちら

個人セッションと音読療法士(マスター)

photo credit: Marc Wathieu via photopincc

昨日は音読療法の個人セッションがあった。

個人セッションにはさまざまなニーズを持っている人が来る。
なにか問題を抱えている人、たんに音読療法に興味があるだけという人、健康法を身につけたい人、このようなセッションやセミナーに出ることがなかば趣味のようになっている人。
昨日の人も自己啓発系のセミナーおたくなんです、と自分のことを称していて、さまざまなセミナーやワークショップに参加しているらしい。
そのなかでもとくにNVC(非暴力コミュニケーション)のワークショップが気にいったとのことで、そこからのつながりで音読療法にも来てくれたとのことだった。
そして個人セッションが終わってからもとても喜んでくれて、『音読・群読エチュード』の本をさっそく買いもとめてくれたほか、また受けたいともおっしゃった。

音読療法のセッションでどんなことをやっているのかと時々尋ねられるので、少しだけ内容を紹介しておく。
初めてセッションを受ける方は、まず最初の20分を「お試し」として受けていただく。
20分たってさらにつづけたいかどうかをご本人に判断してもらう。
20分でもう充分、という方はそこで終了となるが、料金は発生しない。
つづけたい方はさらに30分、全体で50分のセッションを受けていただく。
音読療法のセッションは50分で1セットとなっている。

昨日の方はまず私がお話を聞かせていただき(共感的コミュニケーションを用いる)、ご本人の感じている問題点やニーズに気づいてもらった。
その後、音読療法について簡単に説明し、20分が経過したのでつづけたいかどうかをお聞きしたところ、つづけたいという希望だったので、音読療法士の野々宮に交代して身体のありようや呼吸法をおこなった

ご家族とのコミュニケーションの問題、それから自分が尊重されたり存在を認められたいというニーズが強まるあまり、身体が緊張したり、声が不必要に大きくなったり、呼吸が浅くなったり、という問題を自覚されていたので、それにそって脱力法や呼吸法をおこなった。
とくに吐く呼吸法(ボトムブレス)を中心におこなった結果、ご本人もびっくりするくらいの気づきと効果があらわれた。
こちらもお役に立ててうれしかった。

音読療法は表面上、とてもシンプルで簡単なことしかおこなわないが、非常に効果的であり、こころと身体の問題に対して予防的でもある。
ボイスセラピストの最上級資格である音読療法士(マスター)まで取得すると、昨日のような個人セッションを仕事としておこなうことができるし、個人クリニックを開業してもいいだろう。
また、セミナーを企画したり、講師の仕事を受けたりもできる。
音読療法のすべてを習得している人が音読療法士(マスター)なので、自分でどんどん仕事を作って、積極的に社会貢献してもらいたいという願いが、私にはある。

4月からはあらたにマスターコースがスタートする。
興味がある方のために2月27日に無料説明会もおこないます。
くわしくはこちら

2013年2月17日日曜日

「自分とのお祝い」と「自分へのご褒美」のちがい

photo credit: Tracy O via photopincc

「音読日めくり」というブログをちょうど一年間、毎日欠かさず書きつづけた。
これは私がオーガナイズしている音読療法について気軽に親しんでもらおうと思ってはじめたものだ。
毎日声を出して読んでもらうために、有名な文学作品の冒頭部分や童謡・唱歌の歌詞を引用してある。
ほかにスケッチや写真と、音読療法にかんする一口メモも毎日掲載する。
ちょっとしたブログ記事なのだが、一日も欠かさずに書きつづけるのはかなり根気とパワーの必要な仕事だった。

先日それがただの一日も欠落することなく連載が終了できたので、自分自身にたいしてお祝いすることにした。
近所の寿司屋に行って食事を楽しんできた。
これは一見、よくある「自分へのご褒美」に似ているが、心理的作用はまったくちがう。

「自分へのご褒美」は、それが「結果」にあたえられる分にはかまわないのだが、「事前」に設定された場合、あまりよくない作用をもたらす。
「音読日めくり」についていえば、私のニーズがまずあり、そのニーズにつながりつづけることができたからこそ欠かさずに連載をつづけられた。
その結果を自分自身で祝福したのだが、事前に「ご褒美」が設定されていた場合、どうなっただろうか。

一日も休むことなく連載を終えられたら寿司屋に行ってもよい、というご褒美を最初に設定しておく。
私はたぶん、寿司屋に行きたくて毎日せっせとブログを書くことだろう。
しかし、ある日、ご褒美の価値が目減りしてしまったらどうだろう。
たとえば、だれかから急に高級寿司店に誘われておごってもらえることになった、とか。
自分が設定してあったご褒美が思いがけず別のところから舞いこんできたとき、ご褒美がほしくて努力するという前提が崩れてしまう。
あるいは、あまりに努力することが大変で、ご褒美なんかもういらない、と思ってしまったとしたら?

仮にうまくご褒美の魅力が持続しつづけて無事に休まずに連載を終えることができたとしても、またなにかおなじように努力を必要とすることが出てきたとき、ご褒美を設定しなければ動けないという癖が身についてしまうかもしれない。

私が「音読日めくり」の連載をつづけることができたのは、ご褒美が設定してあったからではないし、ご褒美目当てでもなかった。
毎日、自分のニーズにつながりつづけることに成功したからだ。
人がなにかをやるとき、その動機としてただたんに「楽しい」とか、「夢中になってしまう」とか、「だれかに喜んでもらいたい」といった報酬を期待するのではなく、純粋な喜びや衝動でおこなえると、それはつよい力を持つ。
報酬をぶらさげられているからやる、というのは、とても弱い。
報酬システムが崩れたとき、その行動も消えてしまう。


「自分へのご褒美」が自分の行動の結果としての祝福であることが望ましい。
報酬が設定されていなければできない行動があるとしたら、それはたぶん「いやいや」やっていることであり、できればやらないほうがいいし、ひょっとしていやいややることで不幸な結果を招いてしまうこともあるかもしれない。
逆にいえば、自分の行動をチェックするとき、これはご褒美がなくても喜んでやれることなのか、ご褒美がないとやりたくないことなのか、とかんがえるとすっきりするだろう。

基礎講座最終回、「原体剣舞連」、昼ゼミ、音楽塾、テキストゼミ

昨日は朝から現代朗読基礎講座。6回シリーズの最終回。
前回の5回めから植森さんの希望で読みはじめた宮澤賢治の「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」を、最終回では朗読と音楽のパフォーマンスとしてひととおり仕上げてみる。
おもしろいものができた。
来月から始まる「朗読はライブだ!」ワークショップでもこのプログラムを入れてみたい。
ちなみに、次回の現代朗読基礎講座は5月11日スタート。

午後3時から昼ゼミ。
ここでも「原体剣舞連」をみんなでやってみる。

午後5時から音楽塾。
伊藤さやかが来たので、弾き語りのアドバイス。
それから曲のコード進行の分析と解釈の実践編。

午後6時からテキスト表現ゼミ。
奥田くんはハングアウトでオンライン参加。
あい子さんは仕事でお休み、つきみちゃんも体調不良で休み。
いつもの佐藤くんと、イタリア帰りのかっしー、久しぶりにくぼりかが顔を出してくれた。
さくさくと作品読みをして、7時半には終了。


今日は朝から音読療法の個人セッションのために羽根木の家に来た。
私と正・音読療法士の野々宮がセッションをおこなう。
2級ボイスセラピスト講座はつぎの日曜日の開催です。

2013年2月15日金曜日

美登利寿司、羽根木公演、ロシアの隕石

1年間、毎日配信していた「音読日めくり」が終わったので、なんだか気が抜けてしまった。毎朝目がさめると、一瞬反射的に「日めくりの配信をしなきゃ」と思うのだが、「しなくていいんだ」と気がついて気が抜ける。
ありがたいような寂しいような。
で、気を取りなおして次に行く。

その前に、自分とのお祝いをしておこうと思った。
「自分とのお祝い」と「自分へのご褒美」はとても似ているが、実は全然ちがう。
これについては共感的コミュニケーションのコラムとして近く書こうと思う。

そんなわけで、梅丘の美登利寿司まで寿司を食べに行ってきた。
お祝いといっても、回転寿司より安いくらいの美登利寿司なのでささやかなものなのだが。
美登利寿司は握りをお腹いっぱい食べても2,000円いかないくらいのリーズナブルな値段。
カンパチ、シマアジ、あん肝の軍艦、大名鯖などいろいろ食べたが、今日は炙りトロがおいしかった。

梅丘に行く途中、羽根木公園を通りぬけた。
12月、1月と寒かったので今年も梅は遅いだろうなと思っていたが、意外にたくさん咲いていた。
美登利寿司を出ると雨が降りはじめていた。

自分の部屋にもどり、ゼミの記録音声の編集など。
アマゾンからまだ読んだことがなかった『ナボコフの文学講義』が届いたので、楽しみに読みはじめたのだが、編者の前書きとアプダイクの序文だけで50ページもある。
なかなか本文にたどりつけない。

今夜はこれからケンちゃんのアレクサンダーテクニーク講座。
ロシアで隕石が落ちて大変な騒ぎになっている。
ネットに映像がたくさん出てきている。

2013年2月14日木曜日

「初恋」の打ち合わせ、初ゼミ参加2人、濃かった夜ゼミ

めずらしく木曜朝ゼミのメンバーがKATさんひとりしかいなかったので、お願いして昼ゼミに変更してもらい、朝ゼミは休講。
『音読療法の基礎』のファイル整理作業。
これをしっかりやっておくのとおかないのとでは、執筆のはかどりかたがまったく異なる。

昼、22日の沈黙の朗読「初恋」の打ち合わせ、たぶん最終。
美術の丸山純子さんとダンスの金宜伸さん、朗読の野々宮卯妙と、時間をかけてコンセプトの確認。
紆余曲折があるが、それもまた大切なプロセスであって、クオリティの高い公演をめざす全員の必要としている時間だ。

15時から昼ゼミ。
今日初参加の徳永さんと平田くん、それに朝ゼミからこちらに時間を変更してくれたKATさん。
基本的なこと、原則的なことをいくつか検証したり、実験したりできて、おもしろかった。
写真は読みの音程の高低と身体の高低をシンクロさせて読むというエチュードを試しているところ。

19時から夜ゼミ。
昼ゼミからKATさんが残って、少し参加。
ほかにてんちゃん、徳島のたるとさん(オンライン参加)、イタリア帰りのかっしー、野々宮。

たるとさんは朗読パフォーマンスで賞をいただいたらしい。
ご褒美として、大きなホールで、もっと大人数で演目をやれることになった。
その演目の演出内容についていくつかアドバイスさせてもらう。
てんちゃんは低い声と高い声を使うときの声帯の筋肉の癖についての分析。
かっしーはその独特のリズムについての検証。
ひさしぶりに独特の読みを聞かせてもらっておもしろかった。

最後に野々宮が「初恋」のテキストを読む。
77歳の老女の独白という形式をとっているのだが、もちろん老女の声をなぞるはずはない。
ひとりの老女のなかに存在する少女性、中年性、男性性、老人性、人の多様性、多面性を表現していくのは、このテキストを書いた私の本望であり、私ひとりの狭小な想像を超えた表現であって、喜びである。
当日が楽しみだ。

内田樹『街場の文体論』

文体論とかクリエイティブ・ライティングとかいいながら、文章の書き方についてはあまり出てこない。相変わらず構造主義などを中心にしたフランス現代思想のかみくだいた解説と、それを適用した日本社会の読み方が、内田独特の語り口で語られていて、おもしろいといえばおもしろい。
しかし「街場」シリーズのなかではかなりジャンルが限られていて、私のような物書きはおもしろがれたけれど、これを一般読者がどこまでおもしろがれるかは疑問だ。
ま、そんなことは余計なお世話だろうが。

「生き延びるためのリテラシー」という項でこんなことが書いてあっておもしろかった。
なにか問題を提起されたとき、「あなたはそう問うことによってなにが知りたいのか」という逆の問いを立てられるかどうかが重要という。

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 自分自身を含む風景を、いわば「鳥瞰的に」見下ろすような視野の広さが求められ。
「僕はいったいここで何をしているのか?」というような反省する力、一歩ステップバックして、少し遠い目をして、自分が参加しているゲームの成り立ちやルールを考察する能力、これは汎用性の高い知力だと思います。「使える」知恵です。
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なるほど、これは物書きには必要な資質かもしれない。
「遠い目をする能力」を育てる方法は現代教育制度のなかではかなり失われてしまっているような気がする。


2013年2月13日水曜日

東京戻り、宇宙からながめた地球、音読療法の教科書を書く

北陸の実家から東京への移動日。福井県奥越地方は朝から雪。
湿った雪がぼちぼちと降っていて、たいして積もりはしない。
今年はこれで終わってくれると大変助かるのだが、まだ油断は禁物。

小松空港から羽田空港へJAL便でフライト。
機窓からの風景が、まるで宇宙から地球をながめた光景のように美しかった。

帰宅して鉢植えに水をやったり、蘭に葉水をしたり。
さて、今日から本格的に音読療法の教科書『音読療法の基礎』の執筆を進めていく。
ちょうど昨日で「音読日めくり」の連載が終わり、今日からは毎日の配信のない生活になった。
その分のエネルギーを今度は教科書執筆につぎこむ。
その自分のニーズをしっかりとつかんでおこう。
「音読日めくり」も結局最後までニーズにつながりつづけたことで一日も欠けることなく連載できたわけだから。

夜、羽根木の家で献ちゃんによる「共感的コミュニケーション(NVC)講座」。
さすが献ちゃん、毎回10人以上の盛況で、今夜は「自分にとって聞きにくいメッセージを聞く」というテーマ。

明日は一日、現代朗読ゼミの日。
新ゼミ生がひとり来ることになっている。

2013年2月12日火曜日

帰省中にできたこと、帰京後にやりたいこと

(写真は氷が張った実家の池)

今回の帰省は雪が少なくて助かった。おかげでたくさん仕事がはかどった。

「音読日めくり」の連載を無事366回で終えることができた。
これはいずれ本にまとめたいと思っている。
帰省前から思いついて書きはじめていた電子ブック『デジタル出版で生きて行く』を書きあげ、BCCKSとアマゾンKindleストアで配信スタートできた。
音読療法の教科書となる『音読療法の基礎』の執筆にようやく取りかかることができた。
これはできれば今週中には脱稿してしまいたい(無理か)。

明日は東京にもどる。
来週は月曜日に「げろきょネットライブ Vol.9」がある。
火曜日と水曜日に「共感的コミュニケーション勉強会」がある。
金曜日22日はいよいよ「沈黙の朗読——初恋」公演だ。

ざっと見たところ、3月5日までただの1日も休みはない。
その3月5日だってなにが飛びこんでくるかわからない。
もうすこし落ちついてじっくりとものごとを進めていきたいと思っているのだが、4月からは音読療法マスターコースも始まることだし、当分は落ちつけないのかな。
ともあれ、忙しかろうが暇だろうが、一瞬一瞬を大切に、マインドフルにすごしていきたいものだ。

新刊電子ブック『デジタル出版で生きて行く』

私の電子ブックの新刊『デジタル出版で生きて行く』が、アマゾンKindleストアとBCCKSの両方でリリースされました。
この本は、少し前に書いたブログエントリー「個人がデジタル出版で生活できる時代がすでにやってきている」をもとに、一気に書きあげた電子ブックで、実質的には所要時間2、3日ほど。
400字詰め原稿用紙にすると70〜80枚程度でしょうか。
こういう分量でも書籍の体裁でリリースできるのが電子書籍のおもしろいところです。

以下のような内容です。
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どこにも所属していない、あるいはほかに職業を持っている一個人が、電子書籍やオーディオコンテンツ、映像コンテンツで充分に食っていける時代がすでに来ている。それは生活の糧を得るために会社や組織や時間にしばられ、非人間的な通勤電車に詰めこまれて出勤しなければならない人生から解放されることを意味する。
一貫してフリーランスで生きてきたため組織依存しないことの苦労と幸せの両方を知っている水城ゆうが、その実感のなかからあえていま、だれにも雇われることのない自立した生活を選びたいと思っている人のために、その可能性と方法を提示する。
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KindleとePub3形式が読める端末、アプリで読めるほか、BCCKSでは直接紙本も注文できます(割高になりますが)。
アマゾンKindleストアでの購入はこちら
または下の画像をクリック。



BCCKSでの電子閲覧または紙本の注文はこちら

オリジナルショップ(Gamroad)でのePubデータのダウンロードは下のボタンから。
デジタル出版で生きて行く

「音読日めくり」366回(終了)を振り返る

「音読日めくり」は今朝の配信をもって366回めとなり、2012年(うるう年)2月13日からスタートした配信が丸一年となって、終了した。いやいや、我ながらご苦労さん。
ただの一日も欠けることなく配信できた。
(スケッチは第一回配信のシマトネリコの葉っぱ)

スタートした当初は、

・文学作品の引用(おもに冒頭部分)
・音読療法に関するひとことメモ
・手描きのスケッチ

の3点セットだった。
楽しくスタートしたはずが、始まって数日後には「これはえらいことを始めてしまった」と後悔の念にかられることとなった(冗談っぽく書いてるけど半分ほんと)。
一番大変だったのは、もちろん「手描きのスケッチ」。

あまり負担にならないように、と思って、そのへんに落ちていたり生えている植物の葉っぱのスケッチを気軽に始めたのだが、実際にやってみるとこれがなかなか大変。
まず、葉っぱはきちんと描こうとすると、形も色もけっこう複雑だ。
もっと大変なのは、その葉っぱがなんという名前の植物のものなのか、特定すること。

樹木の名前を葉っぱから検索する図鑑を何冊か買った。
それでもわからない。
カエデとかツバキとか、よく知っている樹木ならいいのだが、唐種招霊(カラタネオガタマ)とかいった日にはまったくお手上げだ。
すぐに葉っぱから日和って、身の回りの小物とかお菓子とかでもよい、ということにした。

このスケッチは楽しくもあり、苦しくもあったのだが、たぶん私のこれまでの人生でもっとも手を動かした期間だと思う。
150点以上のスケッチができたので、下北沢の〈Com.Cafe 音倉〉で展示させてもらったり、ついでに「音読日めくり」にちなんだ朗読ライブをやらせてもらったりもした。
音倉でのスケッチ展はこの期間に2回やらせてもらった。
幸い、好評をいただいたのでうれしい。

お盆前後くらいからだんだん息切れしてきて、暑いこともあって、とてもスケッチは毎日つづけられないと判断、写真に切り替えることにした。
スケッチは毎日小一時間、ものによっては一時間以上紙の前に拘束されてしまうが、写真だったらシャッターを押すだけですむ。
無理な負担を押しきって中断してしまうより、とにかくつづけられることのほうを優先した。
それでも、毎日の作品選びとひとことメモはあるのだ。

作品選びは最初のころはなにも問題はなかったが、回を重ねるにつれネタ切れとなっていった。
終わりのほうはどの作品を掲載するのか、毎日とても苦労していた。
最後の回は夏目漱石と決めていた。
音読療法についてのひとことメモも、毎日のことなのでネタには苦労したが、これは思ったほど大変ではなかった。
音読療法のことについてなにか書こうとキーボードに指を置くと、自然になにかしら浮かんできて書くことができたのだ。

連載がスタートして間もなく、日めくりを朗読して、それをネットに流してくれる人が何人かあらわれた。
これはうれしかった。
そこまでしなくても、毎日読んでくれている人がいることは、ありがたく、つづけていくための原動力となった。

残念だったのは、これだけ毎日つづけていても、ブログ読者の数はほとんど増えなかったということだろうか。
このブログは毎日4、500人の方が読んでくれているのだが、日めくりブログのほうは100に達しないことが多かった。
徐々に増えてくれるだろうと想像していたのだが、ずっと横ばいで、拡散もされなかった。
たぶん、大きなニーズがなかったということだろう。

どんなに苦しくても毎日の配信を欠かさずつづけてこれたのは、私が自分を大切にすることができたからだと思う。
そのことについて自分自身にお祝いしたい。
自分がなにを大切にしているのか、そのためになにができるのか、なにをしたいのか、ということを毎日毎日くりかえし確認する日々だった。
もちろんこれは読んでくれていた皆さんとのつながりがあってはじめてできたことでもあった。
あらためてみなさんには感謝したい。


追伸。
「音読日めくり」はこれで終了しましたが、3月からはまたあらたな企画がスタートします。
近く発表しますが、またお付き合いいただけるとありがたいです。
そして拡散に協力していただけるともっとうれしいです。