2013年3月30日土曜日

ライブWS、玉響、オーディオブックリーダー収録、テキスト表現ゼミ

午前中、「朗読はライブだ!」ワークショップの今期4回め。
最終ライブは「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」の公演になるのだが、そのためのシナリオを早朝から作っていた。
が、プリント用紙が足りなくなって、中途半端なところで終了。

シナリオは17ページあって、それを人数分プリントしなければならない。
余裕をみて20人分刷ろうと思って、考えたら340枚必要なのだった。
結局、9ページまでしか刷れず。

ライブWSでは宮沢賢治の「原体剣舞連」と、坂口安吾の「ラムネ氏のこと」を稽古する。
ラムネ氏がおもしろくてしかたがない。
ひとりひとりの個性・身体性が際立ち、イキイキと楽しく仕上がってきた。
こんな朗読はいまだかつて見たことない、というものが今回もできつつある。
これにゼミ生たちのパフォーマンスが加わって、前代未聞の朗読公演になることはまちがいない。
これが多くの人に届けられるとうれしいんだけど。

午後は「玉響のとき Vol5」を開催。
これについてのレポートはこちら。
⇒ http://juicylab.blogspot.com/2013/03/vol5.html

玉響が終わってから、珠央さんに足もみをお願いした。
30分くらいだったが、冷えきっていた足がぽかぽかと暖かくなった。
そして、それはいまでも続いている。
腎臓、肝臓、リンパ系、故障した膝などが喜んでいる。


オーディオブックリーダー養成講座を受講しているMさんの最終収録実習。
録音しながら聴いたのだが、驚くほど豊かで繊細な朗読表現になっていて、ちょっと驚いた。
たぶん、感受性についての感覚が鋭い人なのだろう。
私からの指摘について、ちゃんと受け止めて練習してきてくれたのだと思う。
こういう人は現代朗読の活動にも継続的に参加してくれたらいいのにな。


18時からテキスト表現ゼミ。
Mさんも残って参加。
KATがオンライン(ビデオチャット)で参加。
ほかに奥田くん、かっしー、野々宮、植森。

植森さんがすばらしい作品を書いてきた。
何か月前から参加していたのだが、再初期から徐々にグラデーションのようにクオリティがあがってきて、今日の作品は植森さんのオリジナリティをあらわすひとつの到達点だと感じた。
こういう瞬間に立ちあえることが、私の幸福のひとつだ。

「玉響のとき Vol.5」終了、時の流れる異次元空間

2013年3月30日、土曜日。
このところ暖かくなったり寒くなったりめまぐるしく気候が変化していたが、今日は寒い日の番だったらしい。
前回の「玉響のとき Vol.4」は1月20日にやったのでもちろん寒かったのだが、「次のVol.5はきっと暖かいね」といっていたのに、ちょっとあてはずれ。

午前中、現代朗読のライブワークショップがそれが13時まであったので、14時からの「玉響」のための準備がちょっとあわただしかった。
つまりそれは演奏と音響機材の準備。
「玉響のとき」はフットセラピストの徳久珠央さんと音楽家によるコラボ企画なのだが、今回は私のピアノとキーボードの即興演奏によるミュージック・メディテーションとのコラボで、ご一緒するのは3回めとなる。

キーボードはメインのヤマハのデジタルピアノを使うが、この楽器の音は使わない。
外付けのmidiキーボードとしてMacBookProにはいっているMainStageというソフトウェア音源を鳴らすために使う。
もう一台、KORGのシンセを使ったが、こちらは直接、ミキサーに出して音を鳴らす。
Pad系の音を中心にドローン的に音を鳴らすために、ペダルを踏みっぱなしにしている時間が長い。

14時すぎにスタート。
珠央さんのフットマッサージを参加者が交代で受けながら、私が連続演奏をする。
参加者の顔ぶれや、時間の経過、珠央さんの空気感、私自身の心身の変化、環境音などをすべて受け入れ、マインドフルに即興音をつむいでいく。
「いまここ」の音のほかに、今日はちょっとしたテーマがあって、春にちなんだ曲(唱歌など)を用意してそれをアレンジして演奏した。

曲を極端に時間軸のなかで分解した演奏だったので、なんていう曲かわからなかったかもしれないが、ときにはメロディラインをはっきり演奏したりもしたので、何曲かはわかったかもしれない。
フットマッサージを受ける人が交代すると、曲想も変化するのは、前回・前々回とおなじ進行だった。

途中で外で大工さんが塀を作るための金槌の音が「カンカンカンカン」と響いて聞こえてきて、それにリズムをあわせて遊んでみたりしてみた。

終わったら2時間近く、連続演奏していた。
前回・前々回もそうだったのだが、ずっとマインドフルで時間が濃密に流れ、まったく疲れは感じなかった。
玉響という空間を味わい、自分が奏でる音を楽しみ、一瞬一瞬を濃密に感じることができた幸福な時間だった。

次回「玉響」は5月か6月にまた開催される予定だ。
時の流れる速度が異なる異次元空間を楽しんでいただけると思いますよ。

2013年3月29日金曜日

音読療法のポテンシャル(もっともっとお役に立つはず)

photo credit: ccarlstead via photopincc

2級ボイスセラピスト講座を受講して資格取得した方から、こんな話を聞いた。
長女の出産後の里帰り、次女の就職と引越し、夫の単身赴任からの帰任などが重なって、多忙を極めているとのこと。
こんなとき、貴重な睡眠時間を一分でも多くとるために、寝る前に音読療法の呼吸法を使うことで入眠がスムーズなり、たすかっているとのこと。
そういう具体的な話を聞くと、私もうれしく思う。

音読療法が作る落ち着いた身体、ストレス耐性が強く集中力のあるメンタル、免疫力を高めるエチュードなど、私自身も日常で非常に役立っているのだが、もっとお役に立てることができるはずだと思っている。

受験生にどうだろうと思って、知り合いの予備校の関係者に相談してみたところ、大変興味を示してくれた。
試験本番であがらないようにしたり、集中力を高めたりできる。
また、長い受験勉強期間にも体調を整えたり、ストレスに対処できるスキルを身につけたり、免疫力の高い身体をつくったりして、しっかりと勉強できるようにすることの役に立つと思う。
また、受験生を持つ親のための音読療法プログラムもありえるだろう。

前からいってたことだが、ストレスフルでハードな職場でも音読療法は役に立つだろう。
新入社員のうつ病予防や、管理職のストレス対策、職場の人間関係、健康維持にも効果を発揮できるのではないかと思っている。
これらのことはこれまで多く開催してきたさまざまな場所での音読ケアの実感や結果をもとにしていえることである。

こういったさまざまなプログラムが実際に動きはじめたら、もちろん私ひとりでは対応は無理だし、いまいる音読療法士にも手があまることになっていくと予想できる。
なのでできるだけ早期に講師育成プログラムを立ちあげたいと思っているのだが、現時点でなかなか受講者が集まらず、停滞している。
興味がある方はまずは気軽にご相談ください。

草とり、湘南倶楽部、寺山修司、ラプラス打ち合わせ

昨日の朝は農家でもある大家さんの指導のもと、ママカフェの準備に来ていたボイスセラピストのみんなに手伝ってもらって、羽根木の家の庭の草取り。
私はやらなかったけど。
なんでも草取りにはコツがあるそうで、そのやりかたをみんなで教わった。

ママカフェのあとは、下北沢にあたらしくオープンした〈湘南倶楽部〉というレストランまで歩いて、みんなでランチ。
気持ちのいい店で、しかもランチが安い。
私は煮込みハンバーグを食べたのだが、なかなかおいしかった。

その後、みんなは4月19日・20日の公演「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」のチラシ置きに行ってくれた。
私は寺山修司展を観に、世田谷文学館へ。


寺山修司の作品は何本かオーディオブック化している。
その際、カルメン・マキさんにも手伝ってもらった。
マキさんは劇団「天井桟敷」の初期のころ、まだ高校生で入団し、間もなく寺山が作詞した「時には母のない子のように」が大ヒットし、スターとなった。
会場にはそのレコードジャケットも展示されていた。

今回の展示の目玉は、膨大な量の手書きの手紙類。
いずれもお世話になった中学の先生や、高校時代の同人に出したもの。
もちろんほんの一部が展示されているだけだが、驚くほどの筆まめだった。
長く病気で入院生活をしていたというのもあるかもしれない。

大人になってからはそれに原稿書きが加わる。
寺山のなかからは無限の言葉とイメージがわいて出て、詩、シナリオ、ラジオ台本、小説、評論、エッセイと、次々と書きつづけていった。
ジャンルもさまざまで、寺山修司という人はナニ屋なのだという特定ができない。
まさに「寺山修司という職業」を生きた人だった。

そしてもうひとつの目玉は劇団「天井桟敷」のことだろう。
短編のドキュメンタリー番組を会場で流していて、それを観たのだが、おもしろかった。
私自身は天井桟敷を現代朗読についつい重ねて観てしまった。
気づくことも多かった。

もうひとつの大きなトピックとしては、カルメン・マキさんがわざわざ来て合流してくれたことだった。
寺山修司展でマキさんと会って直接お話をうかがうなんていう贅沢がほかにあるだろうか。
文学館内にある喫茶室〈どんぐり〉でゆっくりお話をうかがえた。
そういえば、小室等さんもご夫婦で来館されていたな。


夜は下北沢タウンホールに行き、ミーティングスペースのある〈ラプラス〉で新田さんらとミーティング。
「下北沢+被災地 命つなごうプロジェクト」という人たちのミーティングで、4月14日(日)に下北沢の真竜寺で映画の上映会を含むイベントをおこなうことになっている。
そこに音読療法協会としても参加して、ミニワークショップをやることになったのだ。
映画は「原発の町を追われて〜避難民・双葉町の記録〜」というもので、この連続上映会&交流会にはトランジション世田谷も協力している。

どんなニーズがあるのかを聞かせてもらい、なにができるのかをいっしょにかんがえた。
あいにく私はちょうどその日、東京を留守にしていて行けないのだが、音読療法士が行くことになっている。
午後1時から音読ケアのワーク、午後2時ごろから映画の上映、上映後は監督の堀切さとみさんとの交流会。

ママカフェ第一期終了、音読療法新企画

昨日は朝からママカフェこと「お母さんのための音読カフェ」の、助成金をいただいて開催してきた今期の最終回だった。

子育て中のお母さんが、子どもや夫のために毎日をすごしているばかりではなく、ときには自分自身をきちんとケアしてあげよう、その方法を身につけてもらおう、という目的で、ボイスセラピストの藤沢さんが中心になり、藤沢さんが運営しているグループの主催という形で助成金を申請し、開催してきた。
告知や準備が大変で、参加者を集めるのにだいぶ苦労されたようだが、得るものも多く、私も音読療法の有効性をあらためて確認できてありがたかった。

藤沢さんがリードした今期は終了したが、ママカフェは交代しながらつづけていこうという話になっていて、次期の開催についてまたあらためてアナウンスできるときが来ると思う。
そして音読療法については、もっとさまざまなニーズが掘り起こせるはずと感じていて、あたらしい企画を始動させる予定だ。
たとえば「受験生のための音読療法」といった企画ね。

ほかにこういう企画をやってほしい、というものがあれば、気楽にご相談ください。

2013年3月28日木曜日

水色文庫新作「子どものころの七つの話」

photo credit: VinothChandar via photopincc

著作使用権を開放している朗読作品集「水色文庫」に新作「子どものころの七つの話」を登録しました。

 「一 風呂の焚きつけの薪の話」
 「二 川に流された妹の話」
 「三 父と釣りに出かけた話」
 「四 ミミズの話」
 「五 蜂に刺された話」
 「六 夏の話」
 「七 砂場の糞の話」

これは現代朗読公演「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」のために書きおろしたものです。

2013年3月27日水曜日

オーディオブックリーダー個人セッション、七つの話、シナリオ執筆

今朝はオーディオブックリーダー養成講座の個人セッション。
すでに某事務所でナレーターとして仕事をしておられる方が、音声表現のスキルアップをもとめて私のところへ来られた。
サイトに掲示してある私とアイ文庫の考え方に共感されたのだという。

個人セッションではこちらからなにかを一方的に教えることはせず(グループセッションでもおなじだが)、その方がどんなことを大切にしているのか、どのようなニーズがあるのか、なるべくじっくり話を聞くようにしている。
とはいえ、すぐに心をひらいて自分のことをいつわりなく話してくれる人は少ない。
それはそうだろう、初対面の人間にすぐにうちとけられる人はそう多くない。

今日の方は交換可能な現場のスキルとオリジナリティの問題、そして優等生的にまわりの期待に応えようとして生きてきた自分の表現が本当に自分のやりたいことなのか、ついつい評価や反応を気にしすぎて自分をストレートに表現できない怖れを持ってしまうことの危惧を持っておられた。
その話まで踏みこむのは時間がかかったが、なにを大切にしているのかにつながりつづけていくシンプルな方法をいくつか提案させてもらった。
といっても、いつも現代朗読ではみんなにやってもらっていることなのだが。
すこしでもお役に立てればうれしい。

私とアイ文庫がやっている個人セッションは「次世代オーディオブックリーダー養成講座」「プロのための音声表現スキルアップ個人セッション」などがある。
興味がある方はまずはお問い合わせください。


午後は来月の現代朗読公演「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」のシナリオに使うオリジナルテキスト「子どものころの七つの話」を書く。
五つまで書きあげてあったので、残りふたつを書きあげ、執筆終了。
ひさしぶりにまとまった分量の小説を書いた感がある。

それをいれこんだシナリオを構成・執筆開始。
このところの現代朗読公演のシナリオはいつもそうなのだが、今回のシナリオもまるでパズルを組むような感じがあって、楽しいけれど苦しくもある作業。
明日中くらいには完成できるかな。

2013年3月26日火曜日

オーディオブックリーダー講座、キッズ3稽古

午前10時からオーディオブックリーダー養成講座。
参加者が2名とミニマムなパーティーとなったが、どちらの方もとても熱心に興味を示してくれて、やりがいがあった。
オーディオブックが直面している現状、アイ文庫がかんがえている今後の展開などを解説したあと、実際にオーディオブック収録にあたって必要なことをひとつひとつ検証しながら伝えていく。

昼休みは3人でピピカレーに行って昼食。

午後は実際に収録したり、言葉のこと、呼吸や姿勢のことなど、実技をまじえながら進めた。
年齢差があるおふたりだったが、そんなことは関係なく表現作品を作ることについて熱意があって、私もやりやすかった。
このふたりには最終収録実践の日まで約1か月強、ゼミ生とおなじ扱いになるので、チャンスを作ってたくさんゼミに参加してもらいたいと思う。


養成講座を全力でやって、今日の仕事は終わったつもりになっていたら、夜、キッズ・イン・ザ・ダーク公演の稽古があったのだった。
午後7時から。
7名が参加してくれて、ゼミ生がやる後半の部の人数がそれなので、一種のフルメンバーでの稽古ができた。

この時期の稽古はまだ演出がかたまっておらず、毎回の稽古でみんなといっしょに演出を作っていく段階なので、とても重要かつ刺激的。
私も楽しんでやらせてもらった。
今夜は「原体剣舞連」のゼミ生ハイパーバージョン一本のみの稽古。
リズム、音程、タイミング、一般的な朗読にはありえない難しい音楽的要素があって、苦労したが、なんとか形は見えてきた。
基本形を今日作れたので、ちょっとひと安心。
今後の進化が楽しみ。

福井県立病院・春のピアノコンサートのお知らせ

福井県立病院でソロピアノのミニコンサートをおこないます。
前回は2012年10月に秋にまつわる曲などを中心に、エントランスロビーに置いてあるグランドピアノを演奏しました。
今回はどなたもよくご存知の、日本の春の唱歌や童謡などの懐かしいメロディーを、私なりの自由なアレンジでお送りする予定です。

どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2013年4月15日(月)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

2013年3月25日月曜日

富士見台いきいき音読ケアと……

今日は午後から西武池袋線の富士見台駅もよりの〈メディカルホームまどか富士見台〉でのいきいき音読ケアに行ってきた。
渋谷に出てから、埼京線で池袋へ。
西武池袋線で練馬まで行って、普通に乗りかえて富士見台まで。
ちょうど1時間くらいの移動。

前回、偶然に見つけた富士見台の古い喫茶店〈HIRO〉で、音読療法士の野々宮卯妙と佐藤ピリカと待ち合わせ。
ピリカさんは最近、プライベートで大変なことがいろいろあって、考えるところがたくさんあるというので、話を聞かせてもらった。
話の内容はともかく、正直に話をしてもらえるのはとてもうれしい。

時間が来たので、急いで〈メディカルホームまどか〉に行く。
いつものように控え室で待っていたのだが、いつもの担当者ではなく、担当者が変わったのか、勝手がちがっていて、音読ケアのスタートがずいぶん遅くなってしまった。

卯妙さんがトークと呼吸法からはじめ、ピリカさんが発声をやり、また卯妙さんが音読エチュードをやる。
時間が押していて、予定のプログラムをこなせなかったが、最後に私がピアノを弾いて全員で「花」を歌った。
今日の参加者はとても意欲的な方が多くて、呼吸法も発声も音読もいつも以上にしっかりとやれて手応えがあった。
私としてはもうすこしピアノ演奏で歌ってもらえる時間があればうれしかったが、それはまたの機会にゆずることにしよう。


富士見台から明大前に直行して、キッド・アイラック・アート・ホールの上のギャラリーでの絵の展覧会を観る。
これについてはこちらに書いた。

ついでに事務所に寄り、5月22日にブックカフェ〈槐多〉で「槐多朗読 Vol.8」を、9月23日(月/秋分の日)に「沈黙の朗読」の新作をやることを決めてきた。
その前に4月19日・20日に「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」と、7月27日に「キッズ・イン・ザ・ダーク〜夏の陣〜(仮)」をおこなうことが決まっている。
「春の宴」の詳細はこちら

キッド・アイラック・アート・ホールで「k.a.n.a.展」を観てきた

会期が今日までというので、富士見台でのいきいき音読ケアの帰りに直行して、キッド・アイラック・アート・ホールで開催されている絵画展「k.a.n.a. solo exhibision 『room』」を観てきた。
kanaという人がどういう人なのか知らない。
この展覧会もどういう経緯があるのかも知らない。
キッド・アイラック・アート・ホールから案内をもらったので、なんとなく気になって参加ボタンを押し、会期最終日の今日行ってみただけ。

これほど見事に先入観なしになにかを観るというのは、かんがえてみればめったにないことのような気がする。
まったく前知識なしの展覧会に、会期最終日に行って、ただそこにかかげられている絵を観る。
貴重な体験だったかもしれない。

なにかを観に行くとき、否が応でもなんらかの事前情報が仕込まれてしまうことが多い。
とくに情報が氾濫している現代においては、耳をふさいでいてもはいってきてしまう情報がある。
それがまったくなしで展覧会を観られるというのは、私にとっては新鮮な経験だった。


キッド・アイラック・アート・ホールの上にギャラリーがあることは知っていた。
が、まだ一度も足を踏み入れたことはなかった。
事務所が3階にあるので、3階と4階にまたがってあるギャラリーは少し知っていた。
が、5階のギャラリーは見たことがなかった。

エレベーターで4階にあがり、外階段をのぼって5階まで。
コンクリート打ちっぱなしの四角い部屋のギャラリーがそこにあった。
明るい。
そこにkanaという人の油画や、ライブペインティング作品らしいものがかけられていた。

幼い女の子を連れた若い男性がいて、親子らしく、女の子と話したり遊んだりしていた。
展覧会のお客さんというより、なんとなく人待ち顔で、差し入れらしい紙袋がギャラリー中央にいくつか並べられた折りたたみ椅子のひとつの上に置かれていた。
作家の知り合いなのかもしれないと思った。

入ったところのすぐ左に、プリントアウトされた作家の略歴が貼りつけられていた。
私はそれを見てはじめて、この作家がどういう人なのか、わずかな知識を得た。
作家はまだとても若い人で、芸大出ではなく、しかしすでに何度か個展をやったり、ライブペインティングをたくさんやったり、身体表現にも関わっている人だと知った。
もっとも、実をいうと、作家のプロフィールを見たあとで作品を見るのは好きではなく、略歴を読んだのはひととおり作品を見てからだった。

作品、というよりペインティング、もしくは身体の動きの記録ともいえる作品は、フレッシュなものだった。
気持ちがいい、というだけではなく、心の奥の陰影をかきおこされるようなところがあった。
具象と抽象の中間のように感じたが、そういう区分は必要ないものだろう。
私は個人的に、入口正面の左壁面の大きな絵(タイトルを失念した)と、入口のすぐ右脇の下にあった、小さな、ちょっとルオーを想起させる色使いの絵好きだと思ったが、その理由について言葉で説明するのはむずかしい。


そのあと、3階の事務所に寄って、槐多朗読の日程を決めさせてもらった。
早川くんに、
「こういう若い作家を応援するのはうれしいね」
と伝えた。
私はそう若くもないが、現代朗読協会は誕生してまだ7年めの若い表現集団であることを意識して、そういったのだった。

私が見ているものと人が見ているもののギャップ

photo credit: Tjflex2 via photopincc

常々思っていたことだが、いま私たち現代朗読の仲間がやっていることは、ほかのどこもやっていない表現についての研究と実践だ。
とくに「朗読」と呼ばれている表現ジャンルについては、私たちはほかとはまったく異なるアプローチで、まったく異なる地平へと到達した実感がある。

朗読表現についての原理的な私的思考と実験は、たぶん2004年ごろからはじまって、2010年ごろに佳境にはいった。
それが一気に実践的なレベルに落としこまれたのは、2011年の東日本大震災がきっかけだ。

私が55年かけてやってきたこと。
音楽。
テキスト。
音声表現。
パフォーミングアート。
現代思想と芸術評論。
バラバラで並行していたことが、突然ひとつのつながりを持ち、別の顔を現わしはじめたという感触がある。
それが2013年の今年、くっきりとした成果として現れてきた。

現代朗読についての原理的で根源的な論理的解釈。
これは世間一般でおこなわれている漠然とした「朗読」という行為とははっきりと一線を画する、表現としての朗読に命と地位を吹きこむ基盤になりうると自負している。
日本語の発音・発声や文章解釈といったちまちました表層的技術を越え、より普遍的な深層的技術体系を作りうるものに手が届いた実感がある。
なにを見ても、なにを聴いても、なにをやっても、統一感があって、ものがクリアに見えはじめているという実感でもある。
だてに歳をとったわけじゃない、という喜びもある。

いま私がいちばん危惧しているのは、せっかくここに届いたこの実践的成果を、だれにも伝えられずに消えてしまうのではないか、という残された時間との葛藤だ。
私が見ているものと人が見ているもののギャップが、あまりに大きいという危惧がある。
それをどうやって埋めることができるだろう。

ひたすら伝えていくしかない。
伝えていくプロセスのなかでまたあらたな気づきがある。
それをまた伝えていく。
伝えても伝えても追いつかないかもしれない。
それは私にとって、死の瞬間まで喜びに満ちた時間であることを意味する。

2013年3月24日日曜日

今日は一日2級ボイスセラピスト講座だった

今日の2級ボイスセラピスト講座は、受講者が午前中はおひとり、午後はふたりというほぼマンツーマン状態となった。
受講者も緊張するだろうと思ったが、そうでもなく、とても好奇心と学びのニーズが大きな人で、しっかりと付き合ってくれてこちらもやりやすかった。

昼は羽根木公園の桜が満開ということで、出かけていって、環七沿いにあるラーメン屋でお昼を食べてから花見。
そこへ1級ボイスセラピスト(候補)の植森さんも合流した。

満開の桜を堪能したあと、桜が植わっている家々を伝って帰路につく。
午後は共感的コミュニケーションと呼吸法、発声・音読プログラムの確認。
残りの時間は共感的コミュニケーションをさらに深めて、予定の時間をちょっとすぎてしまった。

終わってから、
「呼吸法や共感的コミュニケーションを知ったことで気持ちが楽になりました」
といってもらえて、こちらもうれしかった。
繰り返し再受講してもらって、ボイスセラピーのスキルをあげていってほしい。

次回の2級ボイスセラピスト講座は4月21日(日)に開催します。
詳細はこちら

キッズ公演はとんでもない朗読の進化形となるだろう

昨日の土曜日。
朝からライブワークショップの今期3回め。
最終ライブ実践となる「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」のための演目として、宮澤賢治の「原体剣舞連」と坂口安吾の「ラムネ氏のこと」をやることになった。
基礎的な準備のあと、その両方の稽古。
少しずつ形になってきた。

近所のパン屋でパンを買ってきて昼食。

午後は2時から昼ゼミ。
ゼミもキッズ公演のための稽古が中心になる。
ゼミ生たちの演目は、宮澤賢治の「毒もみのすきな署長さん」、私の「温室」、坂口安吾の「ラムネ氏のこと」、そして宮澤賢治「原体剣舞連」ハイパーバージョン、
「原体剣舞連」を除いてひととおりやる。
とくに「毒もみ」はちょっととんでもない演出案が飛びだして、そのとおりにやるかどうかはまだわからないが、もしやるとしたら前代未聞の朗読になるだろう。

それにしても、ライブワークショップもゼミも、このままいけばキッズ公演はまさにコンテンポラリー朗読のだれも見聞きしたことのないようなものになるはずだ。
現代朗読は去年の年末公演でひととおりの完成形を見たと思っていたのだが、いやいやとんでもない、まだまだ進化していくらしい。

午後4時から演出ゼミ。
表現とはなにか、技術とはなにか、表層的技術と深層的技術、表現の場でおこっていることなどについて。

桜がもう満開になってしまったというので、夜は何人かと夜桜見物に羽根木公演まで出かけた。
風があって、ちょっと寒かった。
真冬の格好をしていってちょうどよかった。

2013年3月22日金曜日

足もみワークショップ、下北沢ランチ、開かずの踏切最後の日

午前中、フットセラピストの徳久珠央さんによる「花粉症に効くセルフ足もみワークショップ」が羽根木の家で開催されたので、参加する。
私の花粉症を心配して急きょ開いてくれたもので、あまり集客に協力できなかったのだが、かっしー、うたえ、それと珠央さんの知り合いのタイ式マッサージの方が参加してくれた。

足つぼのレクチャーを受けながら、自分で足つぼを刺激していく。
自分でやるとどうしても手加減してしまうのだが、時々珠央さんにつぼの場所や押し方を確認するためにやってもらうと、驚くほど痛かったり気持ちよかったり、つぼに的確にはいったりと、びっくりしてしまう。
珠央さん自身もアレルギー性鼻炎の持ち主なのだが、私と珠央さん以外はだれも花粉症はなく、ワークショップの名義にしては妙な参加者構成なのだった。
でも、全員で楽しく足もみ。

おかげで、午後からぽかぽかと足が暖かくなり、これを書いているいまだに(夜)、柔らかい感触で楽なのだ。

足もみワークショップのあとは、かっしー&うたえと下北沢に行き、ランチ。
そういえば小田急線の下北沢駅は明日から地下駅がオープンする。
今日が最後の地上駅、そして例の悪名高い開かずの踏切も今日が最後なのだった。
この踏切よりもうひとつ新宿寄りの踏切が、沢木耕太郎の出世作『一瞬の夏』の冒頭シーンに登場してきて、私にとっても印象的で忘れられない場所だ。

ランチは南口のほうにある古い定食屋〈千草〉で。
そのあと、旅カフェ〈GIFT〉という店でコーヒー。
初めてはいった店だが、お客さんがたくさん出入りして、繁盛していた。
路地の奥まったところにあるビルの3階にある店だが、繁盛しているのは、店がさまざまな営業努力をしているためだということが、しばらくいたらわかってきた。
フェイスブックページに「いいね」したらドリンクをサービスしてもらったり。

ちょっと下北沢をぶらぶら散策して、羽根木の家にもどる。
共感的コミュニケーションを練習するための手帳、というものをかんがえていて、その内容を作ってみた。
名前が「共感的コミュニケーション手帳」では長ったらしいので、どうしようかと思っている。
これを手順にのっとって使うことで、かなりシステマチックに共感的コミュニケーションを身につけることができる、というものだ。
実用化できるとおもしろいのだが。

2013年3月21日木曜日

七つの話のふたつ、いよいよキッズ春公演の演出と稽古がたけなわに

今日は木曜日で、一日げろきょデーなのだが、朝ゼミが休講になったので、4月公演「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」のオリジナルテキスト部分を執筆する。
「子どものころの七つの話」という7パートに分かれている話で、その1と2を書く。
ついつい熱中してしまって長くなりすぎた。
これだと公演自体が非常に長時間になってしまうので、残りのパートはコンパクトに書こう。

ゼミ生の弓子さんがひさしぶりに顔を出してくれた。
シモキタまでランチに行く。卯妙さんも。
カフェでランチ。
アボカドと温玉のタコライス。
積もった話を聞く。

そのまま羽根木の家にもどって、昼ゼミ。
珪子さんと唐ちゃんも来る。
キッズ公演のテキストの読み合わせなどする。
珪子さんにマインドフルネスについての解説をする。

夜ゼミ。
徳島からたるとさんが参加。
ほかにてんちゃん、明香ちゃん、菜穂子さん、かっしーも参加。
たるとさんの「チャレンジ徳島」の話を聞いたあと、キッズ公演のテキストの読み合わせと演出プランの説明。
だいぶ形になってきた。
今回の公演もおもしろくなりそうだ。
さまざまなしかけをほどこせそうなのが、私の楽しみのニーズを満たしてくれてわくわくする。
観に来てくれる人はたぶん、初めての人もリピーターの人も、びっくりしてくれるだろう。

予約席数に限りがあるので、興味がある方はお早めにご予約ください。
詳細はこちら

2013年3月20日水曜日

豚汁、つきみ、共コミ勉強会、ラルテ、玄米、ユキヤナギ

昨日。
朝から一日、ジャブジャブ紙芝居のイソップ物語8本に音楽をいれ、マスタリングする作業。
ピアノで即興的に音入れしたあと、編集し、朗読とタイミングとバランスを合わせる作業。
最終的にマスタリングして各9ファイルに分割し、計72本の納品を無事に終えた。

合間に昼食用に豚汁を作る。
ずっと使わずに置いてあっただいぶ傷みかけている里芋と人参、こんにゃく、大根を使って。
野菜が古いせいか、おいしさはいまいち。

朝からつきみちゃんが来て、アイ文庫のサイトのリニューアルの仕事を手伝ってくれる。
手伝うというより、ほとんど任せきり。
大変頼もしい。
しかし、ふだんはちょっと意味がわからない行動に走ることがしばしばある、頼りがいがあるという言葉とはもっとも遠いところにある人で、しかしいるとなぜか安心する。
不思議な人だ。
気がついたら、もう20年来の付き合いになるのだ。
最近は蘭仲間でもある。
写真はコタツの上にならんだ3台のMacBook。

夜、共感的コミュニケーションの勉強会。
といっても、ボイスセラピストの和田さんひとりしか来なかったので、こたつでプライベートセッションに近い形でやる。
と思ったら、ミキティが遊びに来たので、共感的コミュニケーションについてちょっと懐疑的で距離を置いている彼を引っ張りこむ。
最初は警戒していたが、話をするうちにだんだん食いついてきた。
彼のこの態度は私もかつてそのようにしていたことがあって、理解できる。
最後には「今日が一番よくわかった。おもしろかった」と、共感的コミュニケーションの真髄を伝えることができたようで、私も満足。
和田さんもおもしろがってくれた。


今日は春分の日ということで、世間は休みらしい。そのことにまったく気づいていなかった。
あたたかくて、花粉や黄砂が舞っているらしい。
私は症状はほとんど出ていなくて、これは本当に音読療法のおかげで花粉症が軽くなったのかもしれないと思いはじめている。
証明できるだけのエビデンスがないのではっきりとは公言できないが。

昼すぎに外苑前の〈ラルテ〉に行って、髪を切ってもらう。
今日の担当はリュウくん。
髪がやや伸びているのだが、その長さを保ったまま軽くしてもらう。
たぶん技術力が必要な処理だろうと思う。
かっこよく仕上げてくれた。
ラルテではいつも、担当はお任せなのだが、それぞれがそれぞれの個性で仕上げてくれるので、毎回、今日はどんなふうにしてくれるのだろうかと楽しみだ。
自分では「こういうふうにしたい」というものはあまりない。

帰ってから遅い昼食。
玉ねぎとワカメの味噌汁を作り、へしこを焼いて、玄米ご飯で食べる。
玄米は田舎から完全無農薬のものを送ってもらっているのだが、これも花粉症の軽減に役だっているのかもしれない。
そういえば、先日、たまたまコンビニのサラダを買って食べる機会があったが、ひどい味がして食えたものではなかった。
よく知られている事実だが、カット野菜を長持ちさせたり食中毒予防のために、野菜は次亜塩素酸ソーダに浸けてから、それを水洗いしている。
それが微量に残っていて、変な味やにおいがするんだろう。
洗い流す前提なので、成分表示にはそのようなことは書かれていない。

夜になって雨が降ってきた。
写真はユキヤナギの一種だと思うが、近所に咲いていた大変愛らしくて美しい花。

もうすぐ。花粉症に効く?セルフ足つぼワークショップ

どうやら呼吸法が花粉症の症状を軽くしている可能性がある、ということを体感しているところで、今年はこれほどひどい花粉の飛散量なのに私はあまり症状が出ていない。
さすがにここ1週間くらいは、まったく症状がないというわけにはいかず、医者から処方された薬を最小限服用してはいるが、たいしてつらいということもない。
いっそこのまま完治してくれないかと思っているのだが、呼吸法以外にも足つぼマッサージが効くらしいことを、フットセラピストの徳久珠央さんがおっしゃっていて、花粉症に悩む人のためのセルフ足つぼワークショップをやっている。

セルフ足つぼワークショップとは、自分で自分の足つぼをマッサージする方法を教わるワークショップで、覚えれば毎日自分で足つぼマッサージができる。
ついでに足つぼのさまざまな知識を資料をもとに解説してもらえる。
あさって3月22日(金)の午前10時半から2時間、現代朗読協会「羽根木の家」の古民家座敷で開催するので、興味がある方はどうぞ。

参加費1,500円。
資料とスペシャルブレンドティ付き。
ただし、定員が少数なので、早めにご連絡ください。
詳細はこちら


この珠央さんと、フットセラピーとミュージック・メディテーションのコラボイベントを3月30日(土)に開催する。
題して「玉響のとき Vol.5」。
詳細はこちら

玉響のとき Vol.5 @羽根木の家(with ミュージック・メディテーション)

フットセラピストの徳久珠央さんがおこなっているフットセラピーと音表現のコラボ企画「玉響(たまゆら)のとき」の第5弾が水城ゆうのミュージック・メディテーションとのコラボで開催されます。

即興演奏による瞑想音楽、フットセラピー、そしてご参加いただく方々とがともに響きあい、また羽根木の家という古民家環境そのものと相まって空間全体がもみほぐされ、またたがいにもみほぐすような経験を提供します。
ゆったりとたおやかな時間を共有できれば幸せです。

◎日時 2013年3月30日(日) 14:00〜15:30
◎場所 羽根木の家
    世田谷区羽根木1-20-17
    京王井の頭線「新代田」駅下車徒歩2分
◎参加費 フットセラピー/お茶・菓子付き 2,500円
     ライブ/お茶・菓子付き 1,500円

フットセラッピーについて……
・おひとり10分程度を演奏中に順番におこないます。
・参加人数に限りがありますので、ご希望の方は早めにお申し込みください。
・定員になりましたら締め切らせていただきます。
☆ライブのみの参加も歓迎です♪

※ご予約はこちらまで
 MAIL : info@roudoku.org
 TEL : 090-9962-0848
 FAX : 03-6893-0595

「玉響のとき Vol.2」の抜粋映像がこちらで見れます。
また、「玉響のとき Vol.4」で水城が演奏した音源をもとに作られた音楽アルバム「quiet pictures 2」はこちらで全曲視聴できます。

名古屋での現代朗読ワークショップが決まった

ここ何年かの恒例になっているのだが、ゴールデンウィークはゼミ生たち何人かと丸さん運転するワゴン車に同乗して名古屋に行き、劇団クセックACTの連休公演を観劇することになっている。
今年も行く。
そのついで、といってはなんだが、今年も名古屋で現代朗読のワークショップができないかと思い、名古屋の仲間にあたってみたところ、会場が確保できたので、開催することにした。

5月4日にクセックの劇「オルメドの騎士」を名古屋芸術劇場小ホールで観劇したあと、私は名古屋に泊まり、翌5月5日にワークショップを開催する。
その詳細はこちら

すでに5名の方の参加申し込みをいただいていて、早々とありがたい。
定員があるので、興味がある方は早めにお申し込みください。
私も楽しみにしている。

2013年3月19日火曜日

4月の共感的コミュニケーション勉強会

『共感的コミュニケーション〔入門編〕』(電子ブック&オンデマンド紙本)の著者である水城ゆうが、わかりやすく共感的コミュニケーションについて解説するとともに、実践的なワークを通してスキルを身につけていただくための勉強会を開催します。

◎日時 2013年4月25日(木)14:00-16:00
    (夜の部を三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉で19:30〜21:30にやります)
◎場所 昼の部は音読療法協会・羽根木の家(京王井の頭線新代田駅徒歩2分)
    夜の部の詳細はこちら
◎参加費 2,000円

※どなたも参加できます。まったくの初心者も歓迎。
※ボイスセラピスト資格取得者は参加費500円。更新ポイント1点加算。

※お申し込みはこちら
※書籍『共感的コミュニケーション〔入門編〕』のご案内はこちら

共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に、水城ゆうが整理したものです。
職場、学校、家族、パートナーなど、あらゆる場面での人間関係の向上に役に立ちます。
また組織運営や紛争解決にも大きな力を発揮するでしょう。
共感的コミュニケーションのスキルを身につけることで、人間関係のストレスを取りのぞき、生きいきと人生の荒波を楽しめるようになります。

カフェ・オハナで共感的コミュニケーション勉強会(三軒茶屋)

4月25日、カフェオハナ(三軒茶屋)にて、『共感的コミュニケーション〔入門編〕』の著者である水城ゆうがわかりやすく共感的コミュニケーションについて解説するとともに、実践的なワークを通してスキルを身につけていただくためのワークショップを開催いたします。
水城と野々宮による朗読と音楽のミニライブもあります。

◎日時 2013年4月25日(木)19:30-21:30(オープンは19:00)
◎場所 ふろむあーすカフェ・オハナ(三軒茶屋)
◎参加費 1,000円+要オーダー(*予約制)

※予約・問合せはこちらのフォームよりお願いします。

【お店情報】
ナチュラル&ピースSHOP + オーガニック・ベジCAFE

ふろむ・あーす & カフェ・オハナ
東京都世田谷区三軒茶屋1-32-6 (駅徒歩2分, 246通り沿い1F)
Tel/Fax (03) 5433-8787
ウェブサイトTwitterfacebook

【共感的コミュニケーション】
アメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも
使いやすくすることを目的に、水城ゆうが整理したものです。
職場、学校、家族、パートナーなど、あらゆる場面での人間関係の向上に役に立ちます。
また組織運営や紛争解決にも大きな力を発揮するでしょう。
共感的コミュニケーションのスキルを身につけることで、人間関係のストレスを取りのぞき、生きいきと人生の荒波を楽しめるようになります。

イソップ童話のオーディオブック製作

すでに朗読の収録がすんでいたとはいうものの、昨日と今日とでイソップ童話8話・計72ファイルの音楽製作とマスタリングを集中的におこなった。
へろへろ〜。

これは音声ペンというもので聴く紙芝居方式のオーディオブックで、すでにアマゾンでは何作か出ている。
こちらの「iPenで聴ける!紙芝居」で概要をご覧いただける。

アイ文庫オーディオブックリーダーたち数人に手分けてして、個性的な読みをすでに収録ずみだったのだが、それに音楽をつけてマスタリングをおこなうという私の仕事が残っていた。
商品なので音楽もなんとなく商品っぽい既成の打ち込みな感じの曲を作りかけていたが、時間がないこともあっていつも朗読ライブで即興的に音楽をつけているのとおなじ方式でやったらどうか、というアイディアがあったので、それでやってみた。
8話で計30曲くらい入れたと思うが、全部ピアノで即興演奏して製作。
おもしろく仕上がったのではないかと思う。
そして私も楽しくやれたし、私らしい感じになったと思う。
これでいいのだ。

最後は音楽の仕上げ、そして全体のマスタリング作業。
長時間の集中を要する作業だったが、なんとか仕上げて納期に間に合わせることができた。
めでたい。

2013年3月17日日曜日

テキスト表現ゼミの深層的技術、介護予防講座、そら庵のオープンマイク

昨日。
羽根木の家の玄関前の杏の木の花が一斉に咲いた。

午前中から「朗読はライブだ!」ワークショップの2回め。
ストレッチ、呼吸、発声のあと、宮澤賢治の詩を使った音読エチュード。
これをだんだん公演バージョンへと近づけていく。
感受性のエチュード。
そして公演でライブワークショップ組がやるもうひとつの演目のテキストを渡して、輪読。

午後は羽根木の家で「Wen-Do」という女性のための対暴力講習会をやるというので、私は退去。
自宅にもどって、書き物をしたり、遠方の知り合いとSkypeミーティングをしたり。

夕方、羽根木の家にもどる。
夜はテキスト表現ゼミ。
奥田くんが今回もすばらしいテキストを書いてきた。
このところいいものがつづいているので、彼も完全に一皮むけたと見ていいだろう。
すこし時間がかかったけれど(2年近く?)、独自の深層的技術を身につけた書き手が誕生したことが、私はとてもうれしい。


今日。
午前中から池袋の東京芸術劇場のミーティングルームに行き、介護予防アーティスト養成講座の最後の講義をおこなう。
即興演奏法の講義だったが、参加者がすくなかったので、自由な感じでやらせてもらった。
最後にみんなでiPhoneのアプリを使って、野々宮に朗読してもらってのフリーセッション。

私の担当は午前中で終わりだったので、お先に失礼して、中国家庭料理の店〈楊〉に行く。
汁なし担々麺と焼き餃子、小籠包で昼食。
かなり食べすぎて苦しい。

清澄白河まで移動し、〈そら庵〉に行く。
オープンマイクの朗読イベントに参加する。
詩人の渡さんもいらしていた。
私は野々宮と自作の「繭世界」のセッションを、鍵盤ハーモニカを使ってやる。
この模様はネット中継されたのだが、録画されたものがこちらから観ることができる(私たちの出番は13分すぎくらいから)。

夕方、羽根木の家にもどる。
夜はケンちゃんによるアレクサンダーテクニーク講座。
なんとスタートはモールによるトンボのモビール作りから。

2013年3月16日土曜日

高校生の男組と女組での朗読授業

昨日は東横線の東白楽にある神奈川工業高校まで朗読授業に行ってきた。

授業は午前9時50分からだったので、渋谷経由で9時台の東横線に乗る。
なんだかやたらにホームで写真を撮ってる人がいるなあと思ったら、この地上ホームの最後の日なのだった。
翌日(今日)からは東横線は地下ホームになり、副都心線と乗り入れることになる。

東白楽を白楽とまちがえて降りてしまったが、駅員が親切で追加乗車賃はいらなかったし、高校のことも教えてくれた。
時間にゆとりをもって出発したために、無事に遅刻することもなく到着。


音楽教室を確保しておいてもらったのだが、ブラスバンドが毎日練習をしているとのことで、椅子や楽器が指揮台を中心に放射状にならんでいて、ピアノはその背後にある。
時間もないことだし、まあこれでもいいかと、そのままやることにする。

時間になり、まずは男組というか機械科のクラスがやってくる。
この年齢の男子は、私自身もおぼえがあるが、まああまり先生のいうことなどききたくないし、統制されたくもない。
ようするに授業などはだらだらしたいわけだが、こちらの生徒たちは純朴で、けっこうこちらの話を聞いてくれたし、朗読のエチュードにもまじめにつきあってくれた。
最後のほうはさすがに集中力が切れかかったが、難しい宮沢賢治のテキスト「原体剣舞連」を使ったというのにおもしろがってくれた生徒もいたようだった。

10分の休み時間のあと、女子クラスともいうべきデザイン科のクラスがやってくる。
女生徒たちに協力してもらって、椅子の配置をピアノ向きに変えてもらう。
女生徒たちはさらにまじめで、しかし知的好奇心でいきいきしていて、興味しんしん。
とてもやりやすく、こちらも楽しくやらせてもらった。
私がピアノを弾くとは思っていなかったらしく、それがうけたのと、進行がスムーズにいったので最後に野々宮と即興パフォーマンスをおなじテキストを使ってやったのがおもしろがってもらえたらしい。
教師も何人か見学に来ておられたが、どのような感想を持たれたのだろうか。

おこなったのは男子クラスも女子クラスも、ともに、テキストの群読エチュードだった。
リピート群読のあと、リズム読み、輪唱読み、ピアノと合わせての群読など、現代朗読協会のゼミやワークショップでいつもやっているようなエチュードを生徒たちにもやってもらった。


終わってから担当の先生と駅前の喫茶店で、意外に(というのは失礼か)おいしいランチとコーヒーをいただく。
ちょっとした達成感と充実感があって、しあわせな気分だった。

東横線に乗って渋谷までもどると、撮影する人はさらに増えていた。
そのあと、ホームは混雑を極める状態に突入していったらしいが、私は無事にすりぬけて帰宅した。

2013年3月14日木曜日

東京へ移動、キッズ3の出演者と進行内容・演目、ブルース・ハノン

北陸の実家から東京への移動日。
小松空港経由で羽田へ。
途中、雲海の上に頭を出した山脈群と空が息をのむほど美しかった。
写真の手前は白山山系、奥のほうにならんでいるのは立山連峰。

正午に羽田到着。
いったん下北沢の部屋にもどる。
荷物を置き、おもに蘭の水やりなど植物の世話。

羽根木の家へ。
げろきょの昼ゼミ。
日榮さんとKATと野々宮だけだったので、ゆっくり話をする。
とくに後半は4月の「キッズ・イン・ザ・ダーク〜春の宴〜」(通称キッズ3)の出演者の確認やら、進行内容の構想やら。
二日間あるそれぞれの出演者の把握がうまくできていなくて、混乱している。

夜は夜ゼミ。
佐藤くんが『ブルース・ハノン』を持ってきたので、弾いてもらう。
いやいや、なかなかブルースになっているではないか。
びっくり。
少しだけアドバイスする。

キッズ3の出演者確認。
みんなに手伝ってもらって、なんとかほぼ出演者の確定ができたが、まだ確認しなければならない部分がいくつかある。
まあ、なんとかなるだろう。
いつものことではある。

進行内容の説明をざっとしたあと、演目のテキストを回し読みしてみる。
坂口安吾の「ラムネ氏のこと」や、宮沢賢治の「毒もみのすきな署長さん」など。
これらをどのようにやるかは、これからゼミでやっていくことになる。
この過程が楽しいのだ。

朗読が「上手くなる」とはどういうことか

photo credit: eschipul via photopincc

私たちはなにか表現行為をしようとしたとき、「もっとうまくなりたい」とかんがえる。
それは非常に漠然としたかんがえで、そもそもうまくなるとはどういうことなのか、具体的にかんがえていることは少ない。

朗読がうまくなりたい。
歌がうまくなりたい。
文章がうまくなりたい。
絵がうまくなりたい。
ダンスがうまくなりたい。

なんとなく「うまくなりたい」と口にするのだが、では実際になにがどうなれば「うまくなった」と判断することができるのだかろうか。
「うまくなる」には客観的な判断基準はあるのだろうか。


朗読にかぎってかんがえてみたい。
そもそも「うまい朗読」とはなんだろう。
朗読がうまい、とはどういうことなのか。

カルチャーセンターや放送局がやっている朗読教室に行くと、朗読技術を教えてくれる。
それはまず「日本語の正しく美しい発音発声技術」であり、ルーツは大正14年のラジオ放送開始から徐々に整備されてきた「放送技術」である。
朗読教室では共通語イントネーション、明瞭な発音(滑舌)、鼻濁音、無声化などといった放送技術上の決まりごとを習うことになる。


これは「技術」であるから、その出来不出来を数値化したり優劣をつけることができる。
そしてだれでも習得して「うまく」なることができる。
しかし、これは表現とは関係ない。

では、表現とはなんだろう。
いずれのジャンルの表現も、ある行為をおこなうことで自分の「あるもの」もしくは「すべて」を他人に伝えようとする行為が表現であろう。
19世紀以前は、自分自身が「すぐれていること」を他人に見せることが表現行為だった。
自分がいかにすぐれた才能を持っているか、あるいは努力の結果人とは異なった特別なことができるようになったのか、その優位性を誇示することが表現行為であった。

20世紀以降、モダンアート、コンテンポラリーアートと表現の歴史が遷移していくなかで、表現行為は自分の優位性を誇示するのではなく、ユニークさを伝えるためのものとなった。
自分が人よりどれだけすぐれているのかを示すのではなく、自分が人とはどれほど異なってユニークな存在であり、またオーディエンスもそういう存在であり、個々が貴重な存在であることに気づき尊重しあうのが、表現行為の場とかんがえられるようになってきた。

現代朗読はその流れのなかで朗読表現についてもアプローチしている。
したがって、現代朗読は朗読技術や、ましてや放送技術を誇示することはしない(見ればわかるか)。


コンテンポラリー表現において「うまい(と感じる)」とはどういうことだろう。
表層的な技術でないことはたしかである。
身体性や表現者のありよう、アイデンティティなど、より本質的で深層的な技術があるとしたら、それに関係することかもしれない。

表現は「伝える」ことだから、よりよく伝わることが「うまい(と感じる)」ことにつながることはまちがいない。
朗読において「伝わる」ものは、表層から深層までいくつかのレベルがある。
表層から順に、

 お話(ストーリー)
 言葉
 音声
 身体
 感情など表現者のこころの状態
 表現者の全体性

現代朗読ではこの順に上から深めていき、最終的には朗読者の全体性が朗読表現をとおしてオーディエンスに伝わることをめざす。

朗読を聴いたとき、オーディエンスが「どんなお話なのか」を理解するだけでなく、その読み手がどのような人間であり、いまこの瞬間どのような「(身体もこころも含め)動き」をしているのかが伝わることをめざす。
それをもって「きみ、うまいね」ということがある。
そのとき、表層的技術の上手下手は問題にされない。
むしろ、表層的技術が深層的技術の邪魔をすることすらある。
もっとも、すぐれた朗読者は表層的技術と深層的技術のバランスをつねに最良にたもち、自分の全体性を伝えるために必要なコントロールを即興的におこなっているはずだ。

2013年3月11日月曜日

優先順位をつける癖を手放す

photo credit: anselm23 via photopincc

私たちは「やらなければならないこと」についてほとんど無意識に優先順位をつける癖がある。
「ゴミを出す」
「顧客におわびのメールを書く」
という「TODO」があると、ほとんど自動的に「メールを書くほうが大事」と優先事項としてマークする。

手帳をつけている人ならより自覚的にそれをおこなう。
ほとんどの手帳には「TODOリスト」という項目があるし、紙の手帳でなくてもTODOリストを管理するためのアプリが無数に出ていて、いかにTODOリスト管理のニーズが高いのかがわかる。
つまり、人々は「やらなければならないこと」を整理する必要性を強く感じているわけだ。
それほど、日々、やらなければならないことが多く、次々と迫ってくる、ということだろう。
たしかに私もそのように感じていた日々が過去にあった。

最近の私は、TODOリスト(これそのものがなくなったわけではない)に優先順位をつけるのをやめている。
これについてはすでにこちらに書いた。
⇒ http://juicylab.blogspot.jp/2012/08/todo.html
優先順位ではなく、ニーズを書きこむのはとても有効であることはすでに確認している。

そもそもTODOリストというのは、どっちみちやらなければならないことのリストであって、優先順位をつけようがつけまいが、いずれは片付けるものごとなのだ。
ゴミを出すのも、顧客におわびを出すのも、どちらも結局はやることになることであって、そもそも優先順位をつけることそのものがナンセンスである、ということになかなか気づきにくい。
それなのに優先順位をつけようとする心の働きは、いったいどこから来るものだろうか。

優先順位の低いものは「できればやりたくない」という消極的なマインドが働いている。
これはまちがいない。
それで、先延ばしてしていれば、いずれ「やらなくてもいい」ことになるかもしれないという、淡い期待がある。
しかし、そんな期待はめったに実現することはない。
結局、どうにもこうにもならなくなって、切羽詰まっていやいややることになるのだ。
そんな事態に追いこまれる前に、喜んでやってしまえばいいではないか、というのが私の提案である。

手帳に書きつけてあるTODOリストを、上から順番に、そのニーズだけをかんがえながら、とにかく片付けていく。
なんとまあ爽快なことか。
ゴミを出すのに5分。
顧客におわびのメールを書くのに15分。
しめて20分。
どちらを先にやろうが、かかる時間は20分。
どちらを先にやろうかかんがえているくらいなら、思いついたほうから片付けてしまえばすっきりする。
結局は両方ともやるのだから。

また福井県立病院でピアノを弾きます(4.15)

昨年・2012年10月に福井県立病院のエントランスホールで無料ピアノコンサートを開催したが、来月4月15日(月)にふたたびやることになった。
詳細はこちら(「公演・ライブ情報」の下のほう)。

昨年は秋だったので、日本のよく知られた秋の曲を中心に演奏したが、来月は春なので、春の曲を中心に演奏したいと思っている。
前回のコンサートは、たまたま来院された方や入院されている方のほか、わざわざ聞いて駆けつけてくれた方もいらっしゃって、楽しく演奏させてもらった。
心身に痛みや傷害を負っている方々がいくらかでも癒しを感じてくれればと願って、そのような演奏をこころがけるつもりでいる。
お近くの方はおいでください。そしてお声がけください。

2011年(2年前)の今日のブログ


あの日がやってきた。
2年前のブログ記事を見てみたら、
「連載「今日のみずきさん」の練習:楽しいゴミ出し」
などというのんきなことを書いていた。
もちろん震災が起こる前の時間だ。

翌日には、
「福島原発の事故で我々はどうすればいいか」
という危機感むき出しの記事を書いているので、一夜にして状況が一変したことがよくわかる。

ところで、「楽しいゴミ出し」の記事も、あらためて読むと気になることが書いてある。
ちょっと引用してみる。

------------
「今日はゴミを出さなければならない」と考えるから苦痛になる。だから、「今日はゴミを出せる」と考える。それだけ。
簡単でしょ?
実にささいなことだが、それだけの思考転換でおどろくほど気分は軽くなる。嘘だと思うならやってみてほしい。
------------

簡単ではないのが「核のゴミ」。
これを出せるゴミの日はない。永久にない。捨てる場所もない。

くしゃみとピアノ演奏

今年は花粉症の症状がずいぶん改善されて楽になったのだが、さすがにここ数日は大変だった。
飛散量が半端でないので、やむをえないだろう。
処方薬を飲んで、マスクをして出かけた。
そうすればだいぶ楽になる。

ところで、先日、びっくりしたことがある。
先週の水曜日に中野のジャズライブバー〈Sweet Rain〉で「ののみず」ライブをやっていたときのことだ。
ピアノを弾いているさいちゅうに急に鼻がむずむずしてきて、つぎの瞬間くしゃみが出た。
長いことひと前でピアノを弾いてきたが、演奏中にくしゃみが出たのは初めてのことだ。
しかし、かんがえてみれば、これまで一度も演奏中にくしゃみが出なかったことのほうが不思議といえる。

ひと前で演奏しているときは緊張していて、くしゃみをする余裕もないのだろうか。
ぎゃくにいえば、先日のライブはリラックスしすぎてくしゃみが出てしまったのか。
たしかに大変リラックスして演奏できていたけれど。
リラックスできても、演奏中にくしゃみが出るのはこまる。
クラシックピアニストではないので、楽譜どうりに弾いているわけではなく、くしゃみが出た瞬間にはそれに合わせた音というかアドリブをして、なんとかやりすごせた。
それでも、聴いている人にはわたしがくしゃみをしたことがはっきりとバレていて、あとで笑われてしまった。
私もおかしかったけれど。

今度くしゃみが出たときにはどんなフレーズを弾いてやろうかね。