2014年6月29日日曜日

韓氏意拳羽根木講習会6月29日

今日は現代朗読協会「羽根木の家」で内田秀樹先生による韓氏意拳初級講習会だった。
参加者は5名だったが、私をのぞけばほかは全員が女性という、なんとなく華やか、かつソフトな雰囲気。
現代朗読協会をはじめ私の知り合いを中心にご案内しているということもあってか、毎回女性の参加者が多いのだ。
とはいえ韓氏意拳は、拳法といっても実際に打撃を人に向けて放ったり、受けたりする稽古はなく、組み手もないので、痛い思いをするようなことはまったく皆無、性別を問わず、また年齢を問わず、取りくみやすい体系になっている。

今日はまず、站椿《たんとう》の挙式(手をあげる動作)からはいり、自分の行ないが「状態」に注目したものではなく、型や形状に目を向けているものになっていないかどうかをよく検証しながら、講習が進んでいった。
つづいて、形体訓練。
初参加の人がひとりいたので、なにをやっているのか、どうやっていいのか、まったくわからずにとまどっているようすがあり、それは私にも心当たりのあることなのだった。
「わからない」ということにたいして不安や危険を感じて引いてしまうか、逆にそのことに好奇心を持ったりおもしろがれるか、というところが、韓氏意拳を引きつづきより深く学んでいけるかどうかの分かれ道のひとつであるような気がする。
今日の人は、最後のほうではとても興味深く、おもしろく参加していたように見えた。

それはともかく、私自身のことでいえば、毎回軽く落ちこむ(笑)。
もう1年以上つづけていて、個人練習もそこそこやっているつもりだが、ある程度できるようになったと思っても、講習に出るとまったくできていないことにぼろぼろと気づいて、愕然《がくぜん》とする。
今日は、自分では企《たくら》まず身体の状態に深く注目し、身体の自然な要求がもたらす形状や動きにしたがっているつもりでも、じつはなにかを「効《き》かせよう」としていたり、うまくいく方法をさぐっていたり、型をなぞろうとしている思考が働いていることを先生にいとも簡単に見抜かれてしまう。
自分ではそんなことをしているつもりはないのだが、指摘されてみればたしかにそのような思考が働いていたことに気づく。
思考を手放し、身体のかすかな声に耳を傾けていくことがとても難しく、まだまだ足りないと実感させられた。

来月は羽根木の家の土日のスケジュールに余裕がなく、初めて平日の夜に開催してみることになった。
そして、私の知り合いを中心に案内していたのだが、より広くみなさんにご案内することになった。

来月7月の開催は22日(火)の夜19時からです。
お申し込みはこちらから。
お問い合わせ内容に「その他」を選び、メッセージに「韓氏意拳」と書いてください。