2015年9月27日日曜日

自分の存在の複雑さに耳をかたむける

2015年9月18日夜、明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のギャラリースペースでおこなった「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演の当日パンフレットに書いた文章を紹介させていただきます。

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 ものごとにあるルールやアルゴリズムが与えられると、それが勝手に動きはじめ、どんどん増殖していくことがある。
 たとえば、自分を複製するプログラムを与えられたロボットは、材料さえ供給されれば、どんどん無限に増殖していく。たとえば、無限成長というプログラムを内在した経済は、資源をむさぼりつくすまで無限に成長しつづけようとする。こういうものを「システム」という。
 自然界にもシステムはたくさん存在し、さまざまな生命活動そのものがシステムといえるかもしれないが、自然界のシステムは人の理解がとてもおよばないほど複雑な構造を持ち、しばしば自浄作用がそこに働く。一方、ヒトがかんがえだしたシステムは単純で、自浄作用がそこに働かない場合、爆発的に、とめどなく暴走する。
 私たちはいま、そういうものに取りこまれている、と理解している。
 私たちがヒトそのものであり、みずからが作りだしたシステムに内包される存在であるとき、私たちにはなにができるのだろうか。システムから下車し、本来みずからも自然界の複雑系の一部である複雑で豊かな個々の存在に立ちかえることはできるのだろうか。
 もう一度、自分自身の存在の複雑さに耳をかたむけ、他者と世界の複雑さにも敬意をはらい、どのような個々のありかたがあるのか、浅知恵ではなく、深い気づきの沈黙と瞑想のなかにはいっていく必要があるように思う。
                        (みずきゆう)