2015年11月18日水曜日

他人のニーズに手を出すな

昨夜は草加でのJugem共感カフェだった。
いつもの参加者数人に加え、ひさしぶりの人、初めての人などが参加して、ひときわ楽しくやらせていただいた。

ひときわ、というのは、昨夜は私は体調はいまいちだったのだが、なにか自分のなかでいきいきしているものがあって、それはもちろんNVCでいうところの「ニーズ」なのだが、満たされているもの、満たそうとしているもの、満たされていないもの、それらのニーズがたくさん息づいているのを感じて、活力に満ちていたのだ。
最近、こういうことが多い。
マインドフルネス/気づきの状態が平常で継続し、深まることが増えてきたからのように思う。

昨夜もいろいろな話が出たのだが、博子さんが持ちだしたトピックで、相手のニーズを満たそうと気遣うあまり自分のニーズがおろそかになりがち、そういうときはどうしたらいいのか、ということが話題になった。

私たちはだれもが人の顔色をうかがう天才で、最近ではそれを「空気を読む」などといって要求されることもあるが、幼いころから親の、先生の、友だちの、上司の顔色を無意識にうかがってしまう癖を身につけてしまっている。
不機嫌そうな人がいると、なんとなくそれを自分の責任のように感じて、なんとかしようとご機嫌をとる行動に出たおぼえはないだろうか。

そんなとき、相手のご機嫌をとる前に、まずは自分自身につながる必要がある。
自分が感じている不安、落ち着きのなさ、もやもやした気持ち、それらはいったいなんのニーズから来ているのか探り、つながる必要がある。
そうした上で、相手のニーズを推測したり、実際に聞いて共感してみる。

相手のニーズにつながったとしても、そのニーズを満たすことに責任を感じる必要はない。
相手のニーズは相手にしか満たせない。
相手のニーズを知り、尊重することは大事だが、自分のニーズと相手のニーズとは別のものであって、切りはなしておく必要がある。
もし自分のニーズに、相手のニーズを満たすためのお手伝いをしたい、というものがあればそういう行動に出ればいいが、なければ相手の不機嫌さに責任を感じる必要はないのだ。
しっかりと自己共感して、マインドフルになって自分の落ちつきのなかにいたい。

そんな話をみなさんと共有して、楽しくいきいきとすごさせてもらった。
帰りはがら空きの電車のなかで、途中まで参加者といっしょにおしゃべりしながら、そしてあとはのんびりとひとりでひさしぶりに音楽を聴きながら帰ったのだった。