2016年9月30日金曜日

映画:フライトゲーム

2014年公開のアメリカ映画。
主演がリーアム・ニーソン。
助演がジュリアン・ムーア。
ベテランで固めましたね。
映画は一部始終、飛行機内でくりひろげられるサスペンスストーリーなんですが、なにしろ場面は飛行機のなかだけ。
役者の演技がしっかりしていないと残念な結果に。

その点、この映画はうまくいっているようです。
キャラクター設定にも陰があって複雑になっています。
設定がストーリーに大きく関わってもいます。
なかなかよくできた話です。

リーアム・ニーソン演じるところのビルは航空保安官。
アル中ぎみで、最愛の娘を事故でなくした過去を持っています。
ある便に乗って、順調に飛行をはじめてしばらくたったとき、ビルの携帯電話に差出人不明のメッセージがはいります。
1億5千万ドルを指定の口座に振り込め、というもので、指示にしたがわなければ20分おきに乗客のだれかを殺していく、という脅迫文です。
そうやってサスペンスがスタートします。

実際に人が死ぬ。
いったいだれがメールを打っているのか。
メールを打っている者を特定しようと、CAにも協力を求めながら策をこうじますが、らちがあきません。
事態はどんどん悪化し、こんぐらかってきます。

後半ではビル自身が乗っ取り犯人だと誤解され、戦闘機が飛行機を撃ち落としにやってきます。
もうこれ以上はないという最悪の事態におちいっていくわけです。

欧米のサスペンスストーリーはこのあたりがうまいものが多くて、手に汗にぎる事態がつぎつぎと起こるばかりか、主人公はこれ以上ないという窮地に追いこまれていって、観客はこの事態をいったいどうやって打開するのかと最後まで釣られて観てしまう、というわけです。
この映画もそういったもののひとつでしょう。

最後はアメリカ映画らしい大アクションシーンと、「これありえないよね」というご都合主義的解決にいたるわけですが、まあそこはそれ、エンディング以外はそこそこ楽しめるので「よし」としましょう。

ところで、客室乗務員を演じたミシェル・ドーカリーという女優もなかなかよかったんですが、資料を見たらジャズシンガーでもあるということですが、エミー賞やゴールデングローブ賞の受賞歴もあるなかなかの実力派のようですね。

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2016年9月29日木曜日

ぷろばんす亭の母ちゃんたち×YoshiVeggie

映画「飯館村の母ちゃんたち 土とともに」の上映会に参加した翌日は、国立〈JIKKA〉での食事会に行ってきました。
どちらも「福島とつながる種まきプロジェクトネットワーク」の「ウィークエンド福島 in くにたち」という企画の一環で、ゲストにいわきの農家レストラン〈ぷろばんす亭〉のみなさんをお迎えし、料理はベジレストランシェフのYOSHIさんが指導して用意されたものでした。

〈JIKKA〉は治療師の藤田さんに一度連れていってもらったことがあって、そのときは夏休みの子どもたちに朝ごはんを提供するという場をみなさんでやっていて、とてもあたたかい雰囲気を感じていました。
そもそもこの〈JIKKA〉は、今回あらためて認知したんですが、生活困窮女性のための包括自立支援事業として立ちあがったNPO法人・くにたち夢ファームという団体が運営しているところなのでした。

くにたちに越してきたばかりの私には、知らない人ばかりの場だったんですが、みなさんの雰囲気は私がかかわってきた人や団体の雰囲気と通じるものがあって、居心地の悪さはまったくありませんでした。

NVC仲間の春野さんの家がすぐそばということで、春野さんは留守だったんですが、〈JIKKA〉にはなじみがあるという春野さんのお母さんをお誘いして、一緒に参加しました。
ほかには前田せつ子さんが知り合いでしたが、あとは全員、はじめてお会いする方ばかりでした。

たまたま隣になった三鷹から来られた方が、きさくに話しかけていただいて、私がやっている共感的コミュニケーションの活動のことなどを話せたのがうれしかったです。

食事会の最後に、ひとりずつ自己紹介をかねて映画の感想を述べました。
そのとき、八王子でカフェに勤めているという方が、共感的コミュニケーションととても近い方針で運営されているという話をされていて、びっくりしました。
確実にコミュニケーション・シフトが起こりつつあって、かつまたそれが必要とされているんだなあとあらためて思ったりしました。

今回、全員の方と話せたわけではないんですが、くにたちにも持続可能な循環社会を大事に思っている人がたくさんいるんだなということを確認できて、ありがたかったです。
今回のみなさんといずれまたどこかでつながることができたらうれしいなと思っています。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(10.8)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を10月8日(土)におこないます。

2016年9月28日水曜日

いま読んでる本:もしも、あなたの言葉が世界を動かすとしたら

『もしも、あなたの言葉が世界を動かすとしたら』
 マーガレット・ウィートリー
 杉田七重・訳
 PHP研究所

帯には、
「戦争や、憎しみや、経済力ではなく、対話(カンバセーション)で世界を変える本」
「あなたにもできる、未来に希望を取りもどす方法」
とあります。

ある日、安納献くんが自分の共感的コミュニケーションの講座のなかで、この本の著者のマーガレット・ウィートリーが講演している映像を紹介しながら、英語で話されているその内容を通訳してくれたことがあります。
そのとき私はこの方の名前をはじめて知ったんですが、有名な人のようです。
ハーバード大学で教えるかたわら、世界中を飛びまわって超有名企業のコンサルティングをつとめたり、慈善団体のベルカナ研究所を創設・運営したりもしているそうです。

『リーダーシップとニューサイエンス』というやや専門的な著書もあるんですが、本書はまったくやさしいことばで語られていて、だれにでも読める内容になっています。
たぶん小学校高学年以上なら子どもでも読めるでしょう。

文字どおり「世界を変える方法」について書かれた本です。
しかも、だれもがいますぐに実行に移せる具体的な方法を提案しています。
希望に満ちた本です。

簡単にいえば、
「つながりあいましょう。お互いに話をしましょう。スマホから目を離していっしょにいる時間を作りましょう」
ということです。
本書に書かれているのはこのことに尽きます。

私の共感カフェに参加してくれた人から、あるとき、
「水城さんって過激ですよね」
といわれたことがあります。
ちょっとびっくりして、その意味を聞き返してしまったんですが、
「だってそうじゃないですか。政治運動もテロ行動もせずに、巨額のお金も使わないで、世の中をひっくり返そうとしていますよね。みんなが自分の大切にしていることに気づいて、おたがいに共感でつながって大切におもいやりを持てるようになったら、紛争も犯罪も差別も格差もなくなります。それをなにげなく、気づかれないようにひそかにやっているわけですから、過激ですよ」

たしかに。
私もそうですが、このマーガレット・ウィートリーが提案することも、まさにそういうことです。
いまの社会体制をそのシステムのルールのなかでひっくり返すのは大変ですが(政治運動をやってみればわかりますよね)、共感スキルを身につけてだれかとつながっていくことはだれにでもいますぐにできそうですよ。

10月開催の次世代作家養成ゼミ(10.2/16/23)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。オンライン(zoomシステム使用)のみのクラスで、単発参加も可。

2016年9月27日火曜日

映画:飯館村の母ちゃんたち 土とともに

国立《くにたち》の福島とつながる種まきプロジェクトネットワークが主催の映画上映会で、標題の映画を観てきました。
まだ国立には知り合いがあまりいないんですが、この種まきプロジェクトには国立から羽根木みつばち部に参加されている前田せつ子さんがいらして、そんなこともあってうちから徒歩20分以上の福祉会館まで行ってきました。

監督は古居みずえという方で、ほとんど全編をひとりで取材・撮影したのではないかと想像します。
パレスチナの女性や子どもたちに焦点をあてた映画を撮りつづけてきた方として有名なようです。
私は残念ながらまだ観たことがありません。

「母ちゃんたち」とタイトルにありますが、映画ではほとんどひとりの女性にスポットがあてられています。
菅野榮子さんという方で、当時79歳。
現在もお元気だということですが、81歳は超えていますね。
榮子さんは飯館村で農業をやりながら暮らしていたんですが、原発事故のあと住めなくなって仮設住宅に移りました。
それでも畑仕事をやりつづけるのです。

彼女には親戚の菅野芳子さんという友人がいて、このふたりの友情が映画の軸となっています。
ことばでは説明できない長年の友情について、映画では雄弁に語られて(描写されて)います。
友情のほかにも、家族について、ふるさとについて、農業について、自然について、ことばすくなではあるのに雄弁に語られていきます。
とてもつらく苦しい立場に置かれた人の視線をとおして、それを補助線のようにして豊かなものが、あるいは失ってしまった豊かさが語られていきます。

古居監督はなにかを声高に主張するのではなく、ただそこに寄り添い、見守るという位置に自分を置くことで、豊かさを映画で提示することに成功しているように感じます。

そして特筆すべきは、榮子さんの生きる力です。
80にならんとする女性がひとりで畑をたがやし、おどろくほどたくさんの作物を育て、収穫し、始末し、そして最後には料理する。
たとえたったひとりの食卓でも、彼女は手を抜かずに料理して、びっくりするほどのおかずが並ぶのです。

耕し、育て、作り、食べる。
それらをあまさずやり抜くことで、生きる力を獲得しているのだ、ということが伝わってきます。
現代生活を送っているわれわれの多くが失ってしまっている力です。
しかし、それは取りもどすことができるのだ、というメッセージを、映画を観る者は榮子さんから受け取ります。

けっして派手な映画ではありませんが、じわりと心に残る映画で、そしてきっと長く忘れられない映画でもあることでしょう。
機会があればみなさんもご覧ください。

一日集中自力出版講座@国立(10.1)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを半日集中講座でシェアします。会場はJR国立駅から徒歩5分の某所。ランチをはさんで7時間、がっつり学んでください。

10月の講座・勉強会

北陸の実家に昨日から帰省中です。
お墓まいりに行ったら、彼岸花が満開でした。
秋刀魚と野菜の棒寿司を食べました。

今朝は夜明け前に一瞬だけ朝焼けが現れました。
ほんの五分で消えてしまいました。

水城がかかわっている10月の講座や勉強会、コンサートの開催情報をまとめてみました。
興味があえばどこかでお会いしましょう。


【共感的コミュニケーション】

カフェ・オハナ(三軒茶屋)で共感的コミュニケーション(10.4)
10月4日(火)夜7時半から、恒例の三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーション・ワークショップを開催。朗読と音楽のミニライブ付き。参加費1,000円+ワンオーダー。

寿美ちゃんち共感おはなしカフェ@東松原(10.6)
東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さんが、共感おはなしカフェを主催してくれます。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし会です。

水城ゆうのオンライン共感カフェ(10.6/11/16)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、10月の開催は6(木)20時/11(火)14時・20時/16(日)20時です。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(10.8)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を10月8日(土)におこないます。

国立での共感おはなしカフェ(10.22)
水城ゆうがファシリテートする共感おはなしカフェ、国立での初開催です。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。


【現代朗読(ウェルバ・アクトゥス)】

10月開催:音声コンテンツ製作コース「収録実践編」全3回(10.2/16/23)
オーディオブック、ラジオドラマ、ポッドキャスト、YouTubeやニコ動、Ustreamなどの動画配信など、音声を中心としたコンテンツを収録したり製作・配信するためのコースです。
毎月3回、テーマごとに完結するシリーズで、2016年10月は「読み手の技術編」ということで全3回開催します。

げろきょネットライブ (10.3)
現代朗読協会がお送りするネットライブを10月3日(月)夜に開催します。自宅や外出先からネット経由で観るもよし(無料)、ライブ会場まで直接ご観覧にいらっしゃるのも(参加費500円)歓迎です。

10月開催:朗読生活のススメ「朗読本の世界」編全3回(10.8/15/22)
すべての人が表現者へと進化し、人生をすばらしくするために現代朗読がお送りする、3回完結の講座です。2016年10月は「朗読本の世界」というテーマで8日/15日/22日の3回、それぞれ土曜日の午後6時半から、世田谷区内某所にて開催します。


【自力出版・テキストライティング】

一日集中自力出版講座@国立(10.1)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを半日集中講座でシェアします。会場はJR国立駅から徒歩5分の某所。ランチをはさんで7時間、がっつり学んでください。

10月開催の次世代作家養成ゼミ(10.2/16/23)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。オンライン(zoomシステム使用)のみのクラスで、単発参加も可。

自力出版講座、全3回@オンライン(10.17/24/31)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを全3回でシェアします。ネット会議システムを利用したオンライン講座なので、どなたも居ながらにして参加できます。10月17(月)/24(月)/31(月)、いずれも19時から2時間。


【その他】

福井県立病院・秋のピアノコンサート(10.19)
2016年10月19日(水)午後1時半から、水城ゆうのピアノコンサートが福井県立病院で開催されます。秋の童謡・唱歌などの懐かしいメロディーやオリジナル曲を自由なアレンジでお送りします。無料。

身体表現者のための韓氏意拳講習会@東松原(10.21)
「身体表現者のための」という切り口で、全身の連動や運動の緊密さ、身体のありように緻密にアクセスし、本来の自分のなかにある可能性に気づいていく武術講習会です。アート表現をおこなっている人や表現に興味がある人におすすめ。

2016年9月26日月曜日

女性に(も?)おすすめ韓氏意拳

今月の世田谷での韓氏意拳会員講習会は、代田区民センターでの開催でした。
以前からの会員の方々のほかに、表現者向けの講習会に参加して興味を持ち入会を決めた寿美ちゃんと美緒さんも初参加でした。
今回も女性率高し。

それはともかく、表現者向け講習会から会員になる率も高くて、嬉しいんですが、表現者向けの講習会のリピーターがあまりいなくて、参加者を集めるのに苦労するという傾向む若干あったりして、ちょっと苦労してます。
いいんだけどね。

今回は初参加が2人いたこともあって、形体訓練からはじまりました。
韓氏意拳の指導者はみなさんそうなのですごいなーと思っているんですが、いつも参加者の練度に応じてぴたりと指導内容を適合させていきます。
その人ができることのちょっとだけ難しいところを要求してくる。

指導者は手把手《ショウバショウ》という、手をかるく触れたりそえたりする方法で参加者を観るんですが、これがじつに巧妙なのです。
たとえば挙式という站椿があります。
両足をそろえて立って、ただ両手を上にあげるだけの「式」なんですが、そのとき指導者にかるく手を押さえられます。
ほんとに軽く押さえられるだけなんですが、それだけのことで両手をあげられなくなってしまうのです。

なぜあげられないかというと、自分で腕をぶつけに行っているから。
自爆しているようなもので、指導者の手をどかそう、その邪魔な手を押しのけて自分の手を思ったように動かそう、といういわば「我」を押し通そうとするかんがえが、自分の動きを逆に縛っているのです。
そうではなく、自分の「状態」に注目し、その状態から呼応する全身の運動のなかで、ただ手があがっていくところに向かいます。

今回、私の場合、内田秀樹先生からヒントをもらって、自分の身体が状態の密度があがっていくなかで響いてくる声を聞きとり、「意」に呼応していくようすをかいま見ることができたような気がして、今後の稽古に生かせるかもしれないとよろこんでいます。

今回の講習会もとても濃い密度でみっちりと、座学をはさみながら形体訓練、平歩站椿へとすすみ、全員心地よい疲れを感じながら稽古を終えたのでした。

来月10月の世田谷会員講習会はお休みです。
代わりに身体表現者のための講習会は開催されます。
もし興味とご都合があえば、気軽にご参加ください。
殴ったり蹴ったり、あるいは息がきれるような激しい運動などは一切ありませんので、女性にも安全・安心の講習会です。

身体表現者のための韓氏意拳講習会@東松原(10.21)
「身体表現者のための」という切り口で、全身の連動や運動の緊密さ、身体のありように緻密にアクセスし、本来の自分のなかにある可能性に気づいていく武術講習会です。アート表現をおこなっている人や表現に興味がある人におすすめ。

2016年9月25日日曜日

「死にたい」と子どもがいったらどうするか

不登校の子どもを持つお母さんやお父さん、あるいはその友人や近い親戚の人から、子どもとの対応について相談を受けることがあります。
話を聞いていくと、対応する大人の側にもいろいろなかんがえや立場があることがわかります。

不登校を自分たちの「恥」だと思っていて、なんとか学校へ行かせたいと思っている人。
子どもが不登校であることを受け入れ、子どもを守りたい、元気になってほしいと願っている人。
いずれにしても、子どもとどのようにコミュニケートすればいいのか、悩んでいる方が多いのです。

たとえば標題のように、子どもが、
「もう死にたい。ぼくなんかこの世にいないほうがいいんだ」
などと絶望を口にします。
「なにをやってもうまくいかない。やる気が出ない。ぼくはどうしようもない人間なんだ」
と愚痴をこぼす。

それを聞くと親も悲しくなります。
なんとか奮起させようと励ましたりします。
あるいはどうしたらいいのかいっしょにかんがえたり、提案したり、なにか有効な手段を探してそれをやらせようとしてみます。

なかにはただ話を聞き、受け入れ、つながり、安心させようとする人もいます。
しかし、どうやって話を聞き、深くつながることができるのかわからず、とほうに暮れてしまう人もいます。
せいいっぱい聞こうとするのに、子どもはおなじ話を何度も繰り返すばかりで、毎回堂々巡りのようになって疲れはててしまう、そういう人がいます。

そんなとき、どうすればいいんでしょう。
どうやったら子どもの話を深く聞き、受け止め、つながりあい、そしてこちらのことも子どもに伝え、受け取ってもらえるようになるんでしょうか。
この方法は、不登校の子どもばかりでなく、仕事に行けない大人や、やる気が出ないとか生きる希望がないという人にも応用できるかもしれません。

そのことについて、いまから書こうとして、コラムとして書くには内容的にボリュームが大きくなることに気づきました。
このテーマについては、いま発刊の準備をしている「共感ハンドブック」のシリーズでくわしく書くことにします。

本が待てない、いそいで知りたい、という方は私の共感カフェにご参加いただくか、ボイスコーチングの個人セッションにお申しこみください。

9月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(9.30)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、9月の開催は22(木)20時/30(金)20時です。

2016年9月24日土曜日

朗読まつり参加者感想

先日9月19日(秋分の日)に下北沢でおこなった朗読音読群読まつりというワークショップに参加してくれた方から感想をいただきました。
抜粋して紹介させていただきます。
「☆」印のところは水城のコメントです。

◎今日は一日、参加できてよかったです。とても楽しく、充実した時間でした。
「スッキリ、まっ白」な状態で、あまり書けることが出てこないのですが、「自分に対する共感」それを深められるメソッドとして興味をもちました。
また機会が合えば参加したいですし、何かのコースを検討してみたいと思います。

☆最後は私をふくめ、みなさんがごちゃごちゃした日頃の憂いや思考を手放して、「いまここ」につながったすっきりといきいきしたお顔になっておられたのが印象的でした。
私も気持ちよかったです。
またお会いできるとうれしいです。

◎ちょっと最近ツラいことが重なっていた中、思い立って参加して良かったです。久々に朗読ができて気持ちがスーッと軽くなったような気がします。
今日初めて会った方達と楽しくワークをすることができたのも、げろきょ(現代朗読協会)ならではだなあとやっぱり久々に痛カンしました。
また同じような機会があったら参加したいです。

☆生きているとつらいことも悲しいことも苦しいこともいろいろやってきて、避けることはできませんが、自分に活力があってそれらをなんとか乗りこなしていけるといいと思っています。
その活力を取りもどす方法のひとつが表現であり、そのなかでももっともとっつきやすい身体朗読が効果的ですよね。
また会いましょう。

◎一つ一つ、とてもていねいにご指導や、アドバイスを頂き、目からウロコがおち、肩の力も抜け、心のしばりもなくなりました。とても楽しく学べました。大変お世話になりました。
読み聞かせメンバーにも、伝えたいと思ってます。またお会い出来る日を楽しみにしております。

☆遠方からのご参加でした。ありがとうございます。
お仲間が集まればこちらからおうかがいすることもできますので、気楽にご相談くださいね。

◎午前中にやっていたことが最後のあのパフォーマンスにつながるとは想像できなかった。
まる一日、かなり疲れるだろうと予想していて、体力がもつか実は心配だったけれど、終わってみたら楽しんで最後までできたのが嬉しかった。
またワークに参加したいです。

☆行き当たりばったりにやっているように見えて、じつは流れがあるんですね、現代朗読のワークには。
とはいえ、その場のみなさんのエネルギーや流れを大切にして臨機応変に組み立てていることも事実ですが。
長時間、おつきあいいただき、ありがとうございました。

現代朗読の音読群読ワークショップはまた年内にも開催したいと思っています(場所や日程は未定ですが)。
また現代朗読に興味がある方は、「朗読生活のススメ」という講座への体験参加をおすすめします。
単発参加も歓迎です。

すべての人が表現者へと進化し、人生をすばらしくするために現代朗読がお送りする、3回完結の講座です。2016年10月は「朗読本の世界」というテーマで8日/15日/22日の3回、それぞれ土曜日の午後6時半から、世田谷区内某所にて開催します。

2016年9月23日金曜日

朗読まつりは楽しかった

9月19日の敬老の日は、下北沢の北沢二丁目区民集会所で「朗読音読群読まつり」を開催しました。
内容はワークショップで、午前10時から午後8時までかなり詰めこんだ内容でしたが、「まつり」と呼ぶにふさわしい楽しい集まりになりました。

「いまここ」を意識しながら、それぞれのワークに集中してもらったので、夜に終わったときにはほぼ全員が、「午前中になにをやったのかまるで忘れてしまった」という状態になっていました。
とはいえ、午前中のみの参加の方もいましたし、午前中は午前中で充実した内容だったと思いますよ。

午前中になにをやったかというと、まずは現代朗読のかんがえかたについての座学をすこし。
それを受けて、朗読という身体表現における「運動」や「身体」と声、呼吸の関係を実際にたしかめてみるべく、ペアになったり輪になったりしてのワークをいくつかと、呼吸法、発声へと進みました。

午前中に使ったテキストは宮沢賢治の「原体剣舞連」。
これを輪読したり、群読したり、身体を動かしながら読んだり、声と身体のつながり、身体のまとまりのワークなどをおこないました。

午前中の最後は、表現の場における共感的コミュニケーションの強力な働きについて、とくに自分を守るために、そして表現の純粋さを確保するために、どのようにもちいればいいかについて解説したり、ちょっとしたワークをおこなったり。

昼食は雨降りということもあって、すぐ近所のインドカレー屋にみんなでなだれこみました。
みなさん、感覚がじゅうぶんにひらいていきいきとしているせいか、まあにぎやかなこと。
店のインド人もあきれ顔(ひょっとして迷惑顔?)でした。

午前だけの参加の方とはここでお別れ。
ランチ後は午後の部がスタートしました。

午後は夏目漱石の「坊っちゃん」をテキストに使いながら、個別の朗読を試したり、それを受けてさまざまなワークをやったり、最後には参加者全員で群読パフォーマンスを作りあげることを試みたり。
結局、群読パフォーマンスはあれよあれよと3種類もできたので、それを観客に見立たビデオに向かっておこない、最後にみんなで鑑賞しました。
これが楽しかったんですよね。

長時間にわたりお付き合いいただいたみなさん、お疲れ様でした。
そしてご参加、ありがとうございました。
また「まつり」はやりたいと思っています。
いまのところ、いつになるかまだわかりませんが、開催のご要望があれば遠慮なくお知らせください。

10月開催:朗読生活のススメ「朗読本の世界」編全3回(10.8/15/22)
すべての人が表現者へと進化し、人生をすばらしくするために現代朗読がお送りする、3回完結の講座です。2016年10月は「朗読本の世界」というテーマで8日/15日/22日の3回、それぞれ土曜日の午後6時半から、世田谷区内某所にて開催します。

2016年9月22日木曜日

音楽瞑想のワークショップとコンサート、泰子さんのレポート紹介

9月18日(日)の午後は明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉の3階ギャラリースペースで、音楽瞑想のワークショップとピアノ演奏のコンサートをおこないました。
私にとって、ワークショップはひとつの集大成としての区切り、演奏はひとつの挑戦としてのステップ、という位置づけがなんとなく自分のなかにあって、それらがきっちりと、しかも予想をこえた成果が感じられて、うれしい日となりました。
これもご参加いただいたみなさんのおかげによるところが大きく、感謝しています。

参加してくれた吉房泰子さんが、とても詳細な感想レポートを書いてくれたので、ご紹介させていただきます。
泰子さんは小袖生活案内人として小袖のワークショップの先生であり、また共感的コミュニケーションや瞑想の学び仲間でもあります。
泰子さん、ありがとう。

――――――
【耳を澄まして音と歩く瞑想ワークショップ】

今日は、水城さんの「音楽瞑想ワークショップ」に行ってきました。
日頃の耳の感覚から、少しずつ耳を澄ましていくワークが、たくさんありました。
想像していた以上の面白さでした。

ワークショップの4分の1が済んだ辺りで、私は我慢できず言いました。
「これ、興味ある人が、たくさんいると思う!もっと、どんな体験するのか、内容を伝えたらいいのに~。もったいない!」
…と、水城さんへ詰め寄りました(笑)

それくらい面白いんです。
この後も、手応え充分でした。
照れ屋の水城さんに、ご許可をいただいたので、ネタバレを含む講座内容をシェアします。

ーーーーー
会場のキッド・アイラック・ギャラリーに入ると、とても音が響く空間で、驚きました。
黒いコンクリートの箱は、響きすぎる位です。
その響きが、吹き抜けの二階へ階段を上がっていくと、聞こえ方が変わります。
ここで音楽瞑想ワークショップですよ。何が起きるか、ワクワク!

この日の参加者は5名。

初めに、水城さんから音楽瞑想ワークショップができた経緯のお話がありました。
自分の音と繋がっていくと、身体が変わっていくことなど。
そして、参加者の参加動機と自己紹介がありました。

いよいよ、色々なワークの始まり。

◆5つの呼吸。
そのままで。前に手を組む。後ろに手を組む。右半身で。左半身で。
1つずつ丁寧に、自分の身体の変化、今の状態に気づいていきます。

◆ソニック・メディテーション(音響効果瞑想)
普段の感覚から、少しずつ耳を澄まして、聴く感覚を呼び覚まします。

◯音のコレクション・ワーク
気づいた音を、記憶してコレクション。
そのまま聴く。目をつぶって聴く。
これだけで、いつも聴いていない音に気づきます。

◯空間を動くワーク。
歩く。音を聞く。ハミングして動き回る。
この段階で「すごい集中と面白さ」にワクワク!楽しい~♪(≧∇≦)
各ワークの間に、短い感想のシェア時間があります。
同じ空間で、それぞれの感性の気づきを聞いて、さらに感受性が広がっていきます。

◯手拍子のワーク
前の人の音を真似て音を出す。

◯立って座るワーク
一人の人が立ち座る姿に、音を見つける。
集中して、客観的な視点で、感じたままを言葉にします。

◯紙爆弾
これは笑いも出て、参加者に印象深かったようです。面白かった。

◯コウモリの瞑想
目を瞑りハミングして壁に向かって歩く。

◯椅子に座る瞑想
ここまでに色々なワークがあり、静かに座る瞑想が新鮮に感じられます。
それだけ順番にワークをすることで、日常の感覚から深く自分と繋がっていきます。

この瞑想ワークの深いプロセスは、水城さんの見守る、安心安全なガイドのおかげです。
参加者が見つける気づきを、水城さんも好奇心で楽しんでいるからでしょう。
さすが15年の経験を基にして、色々なワーク組み合わせています。

◯声を出すワーク
二手に分かれて、2つの音を声に出します。
5度、短3度、2度など、音程を変えて聴き合います。
これは、イメージが様々な感想が出て、面白い。
感想を受けて、水城さんが、平均律、自然律の違いなど、音楽の構造の解説をします。
忘れた楽典で学んだ事よりも、体感的かつ実質的で、興味深い内容ばかりでした。

◯ピアノの音を聴くワーク
自分の体の空間にある水に、音の波紋が広がるように聴く。
もうここの前の段階で、私は、すっかり瞑想は仕上がっちゃいました。
ピアノの音が感性にビリビリと響きすぎて、二階へ行って音源から距離を取りました。
皆さんのシェアリングも、かなり深く、深い感性の言葉が溢れます。

◯自由に動いて色々な音を出すワーク
会場のあちらこちらに置かれた音の出る、小さな楽器を使って、耳を澄ましながら音を聴き合います。
一人一人の呼吸と集中した耳。とても敏感で豊かな広がりある感受性。
鈴を鳴らす人、壁を叩く人、カスタネット、足音…音が重なり、すれ違う。

私は、30個程の木の実を縄に繋げた楽器をお供に、散歩しました。
椅子の上の音から床へ、床を引きずる。シャラシャラ、シューシュー
引きずって階段を上る、カラカラカラ…カラカラ…小さな音
引きずって階段を降りる、カラカラカラ、グシャガラン!大きな音
ガラスケースの上、ケースの中、金属トランクの上、全部違う音が出る。
どんな音が出るのか?好奇心で動き回り、音を見守り味わう。
子供の頃に、こだわって1つの動きを何度も繰り返したように。

参加者それぞれが、自由気ままに動いているのに、見事に音が調和している状態が続きます。
自分と深く繋がって、呼吸と共に動く。
操作も意図もなく、ただ音の集中を味わう。
虚無を漂い音と歩く。観察し続ける。

静謐なハーモニーがありました。

水城さんの生み出す空間を、言葉で表すには限界があります。

私がなぜ、参加したのか?
自由な表現を安心安全の中で、味わいたいから。
批判やコントロールなしに、誰かの決めた制限なしに、心のままに。
そして参加して。
こんなに予想を超える、いえ、予想より深く堪能できて、ビックリしてます。
音楽瞑想ワークショップ。実に深く、面白み満載です。
水城さん、参加者の皆さん、音空間を共有してくださり、ありがとうございました。

夜の部のコンサートも、ワークショップの余韻のままに味わうと、自分の瞑想状態があるおかげで、より一層深く楽しめました。

2016年9月21日水曜日

映画:ザ・ライト〜エクソシストの真実

2011年公開のアメリカ映画。
主演はコリン・オドナヒューという知らない俳優ですが、彼に対峙する重要な役柄でアンソニー・ホプキンスが出ています。
これがかっちょええ!
監督はミカエル・ハフストロームというスウェーデン出身の人らしいですが、私は知りません。

主人公のマイケルは葬儀屋の息子で、神学生です。
冒頭は損傷した亡骸に死化粧をほどこすシーンで、ちょっとショッキングですが、この映画が注意深く作られていることもわかります。
おそらくわざとですが、荒く処理された画面も、映画全体の空気感を作っています。

マイケルは神学生でありながら、みずからの信仰を疑いながら、最終学年で神父になることを辞退することを決意します。
そんなとき、自分と恩師がからむ交通事故で、目の前で女性が臨終を迎えます。
瀕死の女性にこわれて、彼は祈りを捧げるのです。
その態度は立派で、恩師にほめられます。

マイケルは成績優秀で、恩師から推薦されて悪魔払いの講習を受けるためにバチカンへ派遣されます。
しかし彼は、悪魔はおろか、神の存在にすら懐疑を抱いているのです。
当然、悪魔払いの儀式もなにかトリックがあるのではないかと疑っています。

彼の前に、熟練の悪魔払い神父があらわれます。
それがアンソニー・ホプキンスで、謎を含んだ人物像を巧妙に演じているところはなかなかの見ものです。
そしてマイケルの前で不思議なことがつぎつぎと展開していきます。

悪魔払いといえばもちろん「エクソシスト」が超有名ですが、私は大好きなんですよね。
映画自体もすぐれてますが、映画音楽を担当したマイク・オールドフィールド(だっけな)の音楽もすばらしく印象的です。
その手の映画は音、音楽が非常に重要だと私は思いますが、この映画はアレックス・ヘッフェスという、私の知らない人ですね。
全体をとおして悪くないけど、あんまり印象に残らない。

ちなみに、この映画は特定の人物と事件をもとに作られているそうです。
緊迫感のあるよい映画だと思います。

10月開催の次世代作家養成ゼミ(10.2/16/23)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。オンライン(zoomシステム使用)のみのクラスで、単発参加も可。

2016年9月20日火曜日

映画:ハミングバード

2013年公開のイギリス映画。
主演はアクション俳優のジェイソン・ステイサム。
ごぞんじ、「トランスポーター」シリーズや「ワイルド・スピード」のシリーズ、「エクスペンダブルズ」のシリーズで有名ですね。

監督のスティーブン・ナイトという人の経歴がちょっと気になってます。
もともと小説家だったのが、映画の脚本も書くようになり、そしてこの映画ではついに監督デビューした、という人です。
脚本もこの人です。

私もふくめて小説家のなかには映画に興味を示す人が多く、それはやはりテキストという非常にプアな表現の世界にいると、映画という総合的なリッチ表現にあこがれるということがあるんじゃないかと思います。
どうでしょうね。
私は小説以外に音楽というリッチ表現の世界にもいるので、それほど映画へのあこがれはありませんが、でもごぞんじのように観るのは大好きです。

ジェイソン・ステイサムが演じる主人公は、ジョゼフというアフガン戦争で特殊部隊にいた元兵士で、軍法会議から逃亡したことでいまはホームレスになりはてています。
精神状態もかなり不安定で、アルコール中毒でもあります。
そんな彼がひょんなことから、リッチなアパートメントの部屋に住むことになります。
そこの住人は有名なカメラマンで、仕事のためにニューヨークに出かけて長期間の留守にしているのです。

住まいばかりか、住人の衣服、クレジットカードなどを使って、ジョゼフは表向き、まともな生活を取りもどしていきます。
しかし、事件に巻きこまれてしまいます。

なかなかよくできたストーリーで、先行きが読みにくく、はらはらします。
路上生活者を助けている修道女もなかなかいい味を出しています。
エンディングはちょっとわざとらしい「オチ」になっていますが、まあエンタテインメント映画の世界ではやむをえないところでしょう。

この監督のべつの作品を観てみたいですね。
どうやらこの初監督作品のあとにも撮っているようなのです。
しかしやはり本業は脚本らしく、こちらはたくさん作品があります。
とくに「マダム・マロリーと魔法のスパイス」という作品が気になっています。

10月開催:音声コンテンツ製作コース「収録実践編」全3回(10.2/16/23)
オーディオブック、ラジオドラマ、ポッドキャスト、YouTubeやニコ動、Ustreamなどの動画配信など、音声を中心としたコンテンツを収録したり製作・配信するためのコースです。
毎月3回、テーマごとに完結するシリーズで、2016年10月は「読み手の技術編」ということで全3回開催します。

自己表現としての朗読(など)

奥ゆかしい国民性ゆえでしょうか、日本人には「自己表現」ということばに多少のとまどいをおぼえる方がいらっしゃるようです。
たとえば、私が専門としていることのひとつの朗読の世界では、
「それでは自分が出すぎ。もっと作品の世界を大切にするように」
といったアドバイスを受けることがあります(私ではありませんよ)。
「作品や作者の思いに寄りそって、自分はあくまで控えめに」
という態度がよしとされる世界があり、またそのことに美徳を感じる人たちがたくさんいます。

もちろんそれはそれでいいと思います。
そのようなアプローチもあって当然のことですし、そちらに価値を感じておられる方々がいることも尊重したいと思います。

それはそれとして、私は朗読という表現行為を「自分をあらわす」手段としてもちいるアプローチを研究・実践してきました。
ピアニストが「月の光」(ドビュッシー)を弾く目的は、それがどのようにすばらしい曲なのか聴き手に伝えることではなく(そんなことはとっくにみんな知っています)、自分という弾き手はその曲をどのように演奏する人間なのか、ひいては自分はどういう人間なのかを聴き手に提示すること、でしょう。

絵描きがひまわりの絵を描くのは、ひまわりがどんな花なのかを人に知らせるためではなく、自分はどのようにひまわりを描く絵描きなのかを知ってもらうためですね。

表現行為は、自分自身という唯一無二のユニークで貴重な存在である生命現象を、その行為をつうじて外側に提示すること、と私は定義しています。
朗読においても、朗読者は朗読という表現行為をつうじて、自分自身の存在を提示するのです。
そのときにもちいるのはテキストであり、それはたまたまだれかが書いたものですが、その内容は読みあげればいやがおうでも伝わります。
あるいは内容を知るだけなら、聴き手はそれを自分で読めばいいのです。
それをわざわざ朗読者が音声化して伝えるということの意味を、よくかみしめてみたいと思います。

ところで、ひとつやっかいな問題があります。
朗読が自分を表現する行為ととらえたとして、では自分とはなんだろう、という問題です。
自分とはいったいなにか。
どこからどこまでが自分なのか。
この目の前のテキストをこのように読みたいと思っている自分は自分本体なのか。
ひょっとしてこのように読みたい、という思いこみはどこか自分の外からやってきて刷りこまれているものなのではないか。
本質的でまったくオリジナルな自分の本体と、社会生活をいとなんでいく過程でさまざまに刷りこまれ与えられてきた、いわば「我執」とを、どうやって見極め、分けることができるのか。

たいへんやっかいで、難しい問題ですが、ここへの挑戦がじつはものすごくおもしろいのです。
自分自身を知るための挑戦といっていいでしょう。
もちろん、世の中にはそんなめんどうなことからは遠ざかっていたい、毎日気楽に生活できればそれでいいのだ、という人はたくさんいますし、それはそれでいいと思いますが、なかには私のように自分自身を深く知りたい、その生命活動を表現してみたい、と思っている人もいるのではないかと思います。
もしそういう人がいたら、ぜひ会って、話したり、挑戦したり、試したりしてみましょう。

10月開催:朗読生活のススメ「朗読本の世界」編全3回(10.8/15/22)
すべての人が表現者へと進化し、人生をすばらしくするために現代朗読がお送りする、3回完結の講座です。2016年10月は「朗読本の世界」というテーマで8日/15日/22日の3回、それぞれ土曜日の午後6時半から、世田谷区内某所にて開催します。

2016年9月18日日曜日

失敗してしかられた記憶が能力をさらに奪う

共感カフェでかなりの頻度で持ちだされる悩みがあります。
職場で失敗したときに上司から責められることが多く、上司からは「できないやつ」というレッテルを貼られているような気がして、自分に対する態度だけが厳しいように感じてつらい、というものです。

こういう状況におちいっているとき、こちら側に起こっていることがいくつかあって、それをまず客観的に理解しておくことは、自分が落ち着くことの役に立ちます。

まず、なにか失敗して上司や同僚から叱責される経験があると、そのときの感情が自分の身体にしみついてなかなかそこから離れられなくなる、ということがあります。
しかられたときに「こわい」と感じた、「情けない」と自分を責めた、「悲しくなった」「寂しくなった」など、いくつかの感情の記憶が、あなたのなかに相手にたいする一定のイメージを作りあげてしまいます。
つまり、その感情から来る相手へのイメージです。

「こわい人」「冷たい人」「自分を大事にしてくれない人」「つながりを感じられない人」「敵対的な人」といったイメージが、あなたのなかで作りあげられます。
これを「エネミーイメージ」といいます。
いったんだれかにたいしてエネミーイメージを持ってしまうと、その人と自分のあいだで「いまこの瞬間」起こっていることに目を向けにくくなります。
固定化されたフィルターを通して起こっていることを受け取ってしまいます。

これが何度か繰り返されると、エネミーイメージは強固なものになり、その人を見るたびに特定の感情が呼びおこされます。
相手があなたを責めようとか、非難しようとしていないのに、相手が近づいてくるだけであなたの身体は防御のためにこわばってしまいます。

そのような状態では相手のいうことも冷静に聞くことができないし、本来の能力を発揮することもできません。
相手もあなたがそのような感情を持っていることを、意識的にせよ無意識的にせよ、おそらく受け取っていることでしょう。
相手のなかにも警戒心が起こってしまいます。
このような関係性のなかでものごとがうまくいくことはなかなかありません。

自分の失敗を責められたり、しかられたりすると、こちらはつい、
「もっとやさしくいってくれればいいのに」
「ほかにいいようはないの?」
「失敗したくて失敗したんじゃないのに。なぜ失敗したのか、ほんとはどうしたかったのか、まず聞いてくれればいいのに」
と、無言の非難のことばが相手にむかいます。
直接ことばを相手に伝えなくても、その態度は相手にも伝わります。

この不幸な関係性から抜けだすには、まずあなたが強固につかんで離さないエネミーイメージを、まずは手放すことです。
つまり、相手にもかならず切実なニーズがあるのだ、ということを思いだすのです。

相手のニーズを推測すること、すなわち相手に共感することが、エネミーイメージを手放すためのもっとも近道です。
そして強力な方法でもあります。

でも、その前にひとつ、やっておくことがあることを忘れてはいけません。
それは自分自身に共感しておくことです。

水城ゆうがファシリテートする共感おはなしカフェ、国立での初開催です。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。

2016年9月17日土曜日

組織から円満に抜けたい

会社やボランティア団体などのなんらかの組織、あるコミュニティに所属していて、しかしなにか事情があってそこを抜けたい・脱退したいというとき、だれしもそれがトラブルにならず、後味が悪くなることなく円満に進むことを願うと思います。
しかし、往々にしてそれはトラブルを引きおこし、ひどい場合は対立を生んで二度と顔を合わせられないような関係におちいってしまうことがあります。
こういった事態を避けるにはどうしたらいいのでしょうか。

共感的コミュニケーション(NVC)ではいつも、つねに、「お互いのニーズを大事にする」ことを心がけます。
これを私なりに具体的な表現に翻訳すると、たとえば話しあいの場などでは、
「こちらと相手のニーズをあきらかにして、テーブルの上にいつも出しておく」
ということになります。

手順としてはつぎのようになります。

 1. 自分のニーズにつながり、明らかにしておく。

 2. 相手のニーズを推測する。

 3. 相手に共感し、相手のニーズを聞く。
 この時点で相手のニーズがテーブルの上に乗ります。

 4. 自分のニーズを相手に伝える。
 この時点で自分のニーズもテーブルの上に乗ります。

 5. 相手のニーズを尊重しつつ、自分のニーズにしたがったリクエスト(組織をやめたいこと)を伝える。

このとき、相手がまだ聞く耳を持たず、自分のリクエストを受け入れてくれないことがあります。
それはこちらが相手にまだ十分に共感できていない証拠です。
相手に十分に共感し、相手が相手のニーズにつながるお手伝いをしましょう。
そのお手伝いは、こちらのニーズを相手に聞いてもらうためにどうしても必要なことなのです。

相手がこちらのいうことを聞いてくれないと、相手にたいして腹が立ちますが、それは相手のせいではなく、こちらのニーズと感情の問題だということを知っておく必要があります。
こちらのことを相手に伝えるためには、まずは相手とのつながりを「こちら側から」作っておく必要があるのです。

国立での共感おはなしカフェ(9.24)
水城ゆうがファシリテートする共感おはなしカフェ、国立での初開催です。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし&勉強会です。ミズキランチ付き。

2016年9月16日金曜日

自分ウェブサイト、再構築(というかゼロから作り直し)

1990年代のなかごろだったと思うんですが、私が初めて自分のホームページというのを作ったのはいまから20年くらい前のことです。
それ以前はパソコン通信の時代で、ニフティサーブやビッグローブという大手のサービスや地域のBBSと呼ばれる小さなプロバイダを利用していました。

最初にどこのサーバーに自分のサイトを置いたのか、いまとなっては覚えていないんですが、初期のHTMLで記述したファイルを自力でFTPでサーバーにアップロードしたことは確かです。
その後、レンタルサーバーではありますが自分のドメイン「juicylab.com」を取得し、いまに至っています。
途中、自前の独自サーバーでサイト構築を試してみたこともあります(あまりに大変でやめましたが)。

初期導入者のジレンマですが、最初から手作りでなんとかやってきたものだから、手打ちのいいかげんな記述ファイルをどんどん増やしていったあげく、収拾がつかなくなって、なにがなにやら、どこがどうリンクしているのやら、わけがわからなくなって、ついには自前のサイト構築をあきらめて、ほぼ全面的にブログサービスに移行しました。
これが10年近く前かな。

ふと気がつくと、ここ一年くらいの間にクラウドサービスが劇的な成長と進化をとげ、それにリンクしたアプリケーションも使い勝手のいいものがたくさん出てきました。
ウェブサイトを作るのも、DreamWeaver などというプロ仕様の難しそうなものだけでなく、コード記述の知識が一切なくてもDTP感覚でやれるものが出ているではないですか。

私が注目したのは、アドビのMuseというソフトです。
アドビのDTPソフトである InDesign の開発チームが作ったというだけあって、チラシや電子書籍を作る感覚で作れそうです。
さっそく勉強をはじめて、いま、自分のサイトを一から作りなおしているところです。

ところで、自分のウェブサイトをインターネット上に公開することで、私はなにをしたいんでしょう。
もちろん、第一には、自分がやっていることを人に知ってもらいたいということがあります。
しばしば述べているように、私には、
「あんた、いったいなにをやってる人なの?」
という質問にすんなり答えられない、というジレンマがあります。
そういう問いに対して、
「ここ見てね」
といえるサイトを作っておきたいのです。

しかし、それだけではありません。
自分が多岐にわたっておこなっていることは、どこか一貫性があって、そこに通底しているものにはなにか共通のスピリッツがあるのだ、という実感と確信があるのです。
それをなんとか伝えられないか。

これを文章でやるのはけっこう大変です。
そもそも、人が辛抱強くそれを読み通してくれるとは限りません。
よほど私に関心を持ってくれている人ならともかく、通りすがりの人がいちいちそんな文章にじっくり目を通すというようなめんどくさいことをやってくれるとは思えません。
それならば、パッと見て、一目瞭然のサイトを作れないか。
その作業は、自分自身を整理することことの役に立つのではないか。

ここ数日、Museの勉強をしていて、おおまかなハンドリングはマスターできたと思います。
あとは実際のサイト構築をやってみるだけです。
どんなビジョンがそこから現れてくるのか、ちょっと楽しみなのです。

一日集中自力出版講座@国立(10.1)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを半日集中講座でシェアします。会場はJR国立駅から徒歩5分の某所。ランチをはさんで7時間、がっつり学んでください。

2016年9月15日木曜日

村山槐多生誕120年に寄せて

あまり知られてはいないかもしれませんが、村山槐多という夭折の画家がいました。
1896年9月15日生まれですから、ちょうど生誕120年にあたります。

私が彼のことを知ったのは、明大前の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉がきっかけです。
そもそも、コンクリート打ちっ放しの、ちょっととっつきにくいたたずまいのホールの前を、なにかの用事でたまに通りかかるとき、そこに貼りだされている「今日のイベント」的なポスターが有名なバイオリニストだったり、高名な作家のトークイベントだったり、コンテンポラリーダンスのライブだったりしていて、いつか自分もこういうホールでなにかやれるといいなあ、と思っていたのでした。

その地下に〈ブックカフェ槐多〉という喫茶店があって、そこは当時、日中ほとんど閉まっていたんですが、そこでも朗読会のような催しをやることがあるということを知りました。
ホールは敷居が高いけれど、カフェのほうならやや気楽になにかやれるんじゃないか、と思って、相談したのがきっかけでした。

その結果、2012年の2月20日(槐多の命日)に最初の「槐多朗読」という、私のなかでは「沈黙の朗読」シリーズに位置づけられる連続の朗読会を、野々宮卯妙とともにスタートすることになったのです。

店には小型のシンセサイザーを持ちこみ、音をつけました。
朗読テキストは村山槐多の詩や小説を中心に、私のオリジナルで縫いあわせるような形で構成しました。
槐多はかなり多くの文章の創作を残しているのです。
とても表現欲求の強い人だったんでしょう。
そしてそのどれもが、熱くこちらに訴えかけてくるエネルギーを持っています。

「槐多朗読」はキッド・ホールの好意で隔月ペースで1年半にわたって継続されました。
この経験は私にとって大きなものとなっています。

その間にメインのホールのほうで現代朗読の「キッズ・イン・ザ・ダーク」シリーズの公演も何回かおこないました。
待望のホール公演です。
また、カルメン・マキさんとの公演や、自主公演もいくつかやらせていただきました。
槐多朗読がなければ、いずれもありえなかったものでしょう。

出会いもありました。
画家の内村水美さんは、村山槐多をとても大切に思っておられる方で、槐多について多くのことを教えていただきました。
水美さん自身の展覧会にもうかがわせていただきました。
多くの刺激をいただきました。

9月15日が槐多の誕生日であるということを思い出させてくれるメールを水美さんからいただきました。
いっしょに槐多の誕生日をお祝いしたいと思います。

「沈黙の朗読」はさらに発展して、昨年のはじめにキッド・ホールの上のギャラリーにピアノが設置されたことをきっかけに、生ピアノを使った音楽と朗読のライブとしてあらたにスタートしました。
それが、「沈黙[朗読X音楽]瞑想」コンサートです。
沈黙の朗読と音楽瞑想をひとつのプログラムとして合体させています。

これはなかなか興味を持っていただくのが難しいのですが、実際に体験していただくのが一番いいとしかいいようがない、体験型コンサートだと思っています。
演奏者、朗読者、聴衆が、ひとつの空間と時間を共有し、共感的につながりあう体験を提供します。
その核となるのが、朗読であり、即興音楽であり、そして沈黙です。

ところで、残念な知らせが舞いこんできました。
キッド・アイラック・アート・ホールが年内をもって閉館するというのです。
どうやらこれは事実のようです。
私はできるだけ限りある機会をとらえ、これまでの試みをさらに結実させたいと思っています。

まずは18日(日)におこなう音楽瞑想関連のふたつのイベントに、どうぞお越しください。

音楽瞑想ワークショップ@明大前キッドギャラリー(9.18)
ここ数年「音楽瞑想」として結実させたワークを、よりわかりやすく楽しめる形でみなさんとシェアします。深く自分自身の身体とこころにつながる体験を提供します。年内閉館が決まった明大前キッド・アイラックにて。

音楽瞑想コンサート@明大前キッドギャラリー(9.18)
ともに深く、音、静寂、ピアノの即興演奏、そして空間とご自分の存在そのものをあじわうこと。ご来場いただいたみなさんにある種の「体験」を提供する試みです。17時半開場、18時スタート。

2016年9月14日水曜日

楽しい瞑想とマインドフル表現

「瞑想」や「マインドフルネス」がもてはやされていて、その定義もさまざまですが、私がおこなっているものは一貫して、
「思考を手放し、いまこの瞬間の自分自身とまわりの世界とつながっている(認識する)状態の持続」
を意味しています。
いわば「目が覚めている」状態といってもいいでしょう。

もともと音楽演奏や朗読表現のライブクオリティをいかに詰めていくかという過程で、これらの有効性(というより必要性)に気づいたわけですが、現代人がいかにそのことが苦手になってしまっているか、そのための練習が必要になっているのかがわかってきたとき、かなり愕然としたものです。

さまざまな書物を読んだり、話を聞いたり、実際にマインドフルネスや瞑想の会をさまざまに体験して、私なりのアプローチをさぐってきました。
私にとってももっとも幸いだったのは、現代朗読協会の仲間たちがいつもいて、十年以上にわたって私の試みに付き合ってくれたということです。
いわば実証実験の場を確保できていたわけです。

先日は短時間ではありますが、あらためて座禅を体験する機会がありました。
そのとき感じたのは、私がさぐってきたアプローチは本質からはずれておらず、しかも現代的な手法もうまく取りこめていて現代人にも有用な方法になっている、という確信に近いものです。

冒頭に書いたように、いまこのようなことが必要とされているがゆえにもてはやされ、一種のブームのようになっている観すらありますが、そのなかで私がもっとも注意をはらってきたのは、それらの「流れ」に乗ってしまうのではなく、本質的な方向性を見失わなわずに、その上で自分なりの工夫を試してみる、ということでした。
それがいま、音楽瞑想やディープリスニング、ソニック・メディテーションや音読・群読のワーク、音読療法に生かされ、結実しています。
なにより私自身がそれでたすかっています。

現代生活をいとなんでいる人がわざわざ時間と場所を確保してじっくり座る(座禅をおおこなう)ことは大変ですが、本質的におなじ練習と体験をめざすことができるのが、私がおこなっている各種のワークだとみなさんにおすすめできます。

この連休の9月18日(日)と19日(月/敬老の日)は、音楽瞑想のワークと、音読・群読をもちいた表現のワークを、それぞれ用意しています。
どちらも上記のような、いまこの瞬間の自分自身が目覚めていることをめざすワークで、爽快なリフレッシュ体験もしていただけるのではないかと思っています。
いまのところ、いずれも参加者はとても少人数なので、みなさんどうぞ気軽にご参加ください。

音楽瞑想ワークショップ@明大前キッドギャラリー(9.18)
ここ数年「音楽瞑想」として結実させたワークを、よりわかりやすく楽しめる形でみなさんとシェアします。深く自分自身の身体とこころにつながる体験を提供します。年内閉館が決まった明大前キッド・アイラックにて。

音楽瞑想コンサート@明大前キッドギャラリー(9.18)
ともに深く、音、静寂、ピアノの即興演奏、そして空間とご自分の存在そのものをあじわうこと。ご来場いただいたみなさんにある種の「体験」を提供する試みです。17時半開場、18時スタート。

朗読音読群読まつり@下北沢(9.19)
9月19日(月/敬老の日)に下北沢で「現代朗読のいま」をすべて詰めこんだライブ付き一日ワークショップを開催します。群読エチュードや音読療法も体験できます。通し参加も部分参加も歓迎。

世界と、その理解のレイヤーの表層と深淵

小石川の見樹院で「地球交響曲ガイアシンフォニー」の連続上映会が滑川直子さんの主催でおこなわれていて、私は一番と二番をすでに観たんですが、つい先日は第三番を観に行ってきました。
第三番で焦点があてられるのは、カメラマンの星野道夫さん(故人)です。

星野さんを中心に、彼に関わったさまざまな人々や土地、その風景が登場します。
このシリーズは映像が美しいことはもちろん、全体に映像詩というか、まさに交響曲のような趣があるんですが、この三番はややメッセージ性が強まり、ことばが多く使われています。
星野さんが書いたことばだけではありません。

アラスカからカナダにかけて住む先住民族――いわゆるエスキモー――や、ハワイの先住民族の血を引く若者らが、星野道夫について語りながらも、海、森、大自然、人の英知についての深い洞察に満ちたことばをつむいでいきます。
そして宇宙物理学者のフリーマン・ダイソンと、かつては対立し絶縁状態にあったその息子のジョージとの交流なども、示唆に富んだものとして伝わってきました。

私がこの映画を観ながら、あるいは観終わってからもっともつよく感じたのは、自分をふくめ人間の英知というものは、どこまでも可能性のあるものではあるけれど、ものごとの理解はパイの皮のように折り重なったレイヤーになっていて、なにかひとつのことを理解できたと思っても、さらにその下にはより深い理解のレベルがあって、とうてい人知のおよばない深みがこの世にはあるのだ、ということです。
しかしえてして、なにかを理解したつもりになってそれ以上の探求をとめてしまったとき、私たちは決して世界の深みを見ることはできないのです。

また世界を理解することには深みだけでなく、アプローチがあり、ダイソンも語っていますが、科学もそのひとつの方法ではあるけれど、宗教や音楽、芸術、先人の知恵、儀式といったものもないがしろにできるものではないのです。

私は(私たちは?)世界理解のほんの表層にたたずんでいるにすぎず、とうてい人知のおよばない複雑で深淵なしくみで世界は存在していて、そのことにたいする畏怖の念を忘れたとき、自分自身もそれだけの表層的な人生しかあたえられないのだということを痛感します。
映画を観終わったいま、もっともっと英知のメッセージを、先人から、先住民から、ものいわぬ動植物や自然から、聞き取りたいという思いに私はかられています。

音楽瞑想ワークショップ@明大前キッドギャラリー(9.18)
ここ数年「音楽瞑想」として結実させたワークを、よりわかりやすく楽しめる形でみなさんとシェアします。深く自分自身の身体とこころにつながる体験を提供します。年内閉館が決まった明大前キッド・アイラックにて。

2016年9月13日火曜日

17日から三日間のミズキ祭(うそ)

参加者があまり集まっていないので(正直)、告知です。
集まっていないのは知られていないのと、イベントが立てこんでいるせいもあると思うので、整理して告知します。
今週土曜日・9月17日から三日間、私がかかわるイベントが連続であります(祭と表題に書いたのはうそですが)。

〔9月17日・土曜日〕
国立駅徒歩5分の某所にて、「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会を開催します。
夜です。
ごはん食べて来てください。お茶かコーヒーをお出しします。
食事を持参してもいいですよ。
困ったこと、問題を感じていることがあれば、遠慮なく持ちこんでください。
詳細はこちら

〔9月18日・日曜日午後〕
明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉のピアノがあるギャラリースペースで、音楽瞑想のワークショップをおこないます。
瞑想、マインドフルネス、感覚覚醒、音声と身体表現、そういったことに興味のある方、ぜひいらしてください。
ある程度の人数がいれば、楽しい群読と音響のワークもやってみようと思っています。
詳細はこちら

〔同日夕方〕
おなじ日の夕方17時半から、おなじ場所で音楽瞑想コンサートをおこないます。
ワークショップからつづけてご参加いただくもよし、こちらだけ単独でおいでいただくもよし。
ひさしぶりに水城がひとりでピアノ演奏をおとどけします。
即興演奏ですが、テーマやモチーフを現在準備中です。
ピアノの状態にもよりますが、公開録音もおこなうかもしれません。
詳細はこちら

〔9月19日・月曜日/敬老の日〕
下北沢の某会場を一日借りきって、「朗読音読群読まつり」を開催します。
午前の部、午後の部、ライブの部とありますので、全部通して参加いただくもよし、一部つごうのよいところだけ参加いただくもよし。
現代朗読が10年以上にわたってつちかってきた身体表現としての朗読・群読のワークをすべて詰めこんだ一日となるでしょう。
音読療法の一端もご紹介するプログラム構成を用意しています。
詳細はこちら

以上、三日間で4種類のイベント、みなさんのご参加をお待ちしています!

2016年9月12日月曜日

自力出版講座の初回が終了

オンラインでおこなう自力出版講座全3回の初回が終了しました。
今回の参加者は近場から2名と、遠方から1名、それに近場の方のご家族が興味しんしんで見学されたので、4名とカウントしましょう。

まずは一般の書籍出版の世界の概略説明。
大手出版社、中小出版社、個人出版社、そして自費出版の解説。
これらはグラデーションのように重なり合っている部分があるとはいえ、それぞれ明確に区別することができます。
なぜそのような区別を明確にしておく必要があるかというと、この講座の目的である「自力出版」がそのどれともちがう世界をめざしているということを明らかにしておきたいからです。

自力出版は自立出版ともいえます。
英語でいえばインディペンデントの世界です。
音楽や美術の世界ではなじみの深いことばですね。
大手の組織や系列などにたよらず、個人が自立して自分の制作物を世に問う世界です。
インターネットがテキスト作品をもそれを可能にしました。

自費出版とはちがって、自力出版は初期費用が不要です。
自分のコンテンツを世に出すのに、費用はほとんどかかりません。
資本力のない個人が、初期費用をほとんどかけずに、自分のコンテンツを世に広く配信することができる。
これが自力出版の世界です。
なぜみなさんはこれにもっとチャレンジしないのでしょうか。
不思議でなりません。

自力出版の概念をおおまかに説明したあと、実際に自力出版をするための具体的な手続きに進みました。
自力出版のためにはいまやさまざまな方法やツールが用意されているんですが、まずは私が解説するのは、そのもっとも簡略で確実な方法です。
すなわち、アマゾンのKindleで自分の本を配信するためのKDPへの登録と、KDPにアップロードするための電子書籍データを作るための電子本編集販売サイトBCCKS
への著者登録です。

このふたつがあれば、電子本の著者として全世界に自著を配信することができます。
やりかたによっては大きな収益を得ることも可能です。

今回は、全3回講座のうちのその入口の部分を解説してみました。
私にもチャレンジがあって、オンラインでのネットミーティングシステム(Zoom)を使いながら、画面共有や、MacBookに接続したiPadをホワイトボードのように使って手書きで解説を書いたりすることが、うまくいったのです。
受講している人にできるだけわかりやすく見せたいと思っていたんですが、ある程度はうまくいったようです。

自画自賛になりますが、この講座はとても有用なものだと思うので、興味がある方はぜひ次回のチャンスをのがさず参加してみてください。
全3回すべてに参加できなくても、講座は動画での全記録をとっていますし、補講もありますので、挑戦してみてください。

一日集中自力出版講座@国立(10.1)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを半日集中講座でシェアします。会場はJR国立駅から徒歩5分の某所。ランチをはさんで7時間、がっつり学んでください。

自力出版講座、全3回@オンライン(10.17/24/31)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを全3回でシェアします。ネット会議システムを利用したオンライン講座なので、どなたも居ながらにして参加できます。10月17(月)/24(月)/31(月)、いずれも19時から2時間。

2016年9月11日日曜日

映画:はじまりのうた

古いソングブックをたまたま開いたページの曲をピアノで弾いたあとに映画を観ていたら、まさにその曲が流れてきてびっくりしました。
「For Once In My Life」と「As Time Goes By」

「オーシャンズ11」のシリーズを3本つづけて観て、さすがにぐったりしたので、かるい気持ちで音楽映画でも、と思って目についたのを観はじめたのです。
なぜこれを選んだのかというと、タイトルも評判も一度も聞いたことがなかったのと、それなのにキーラ・ナイトレイという女優が主演だということで、興味をひかれたからです。

キーラ・ナイトレイといえば「スター・ウォーズ」や「パイレーツ・オブ・カリビアン」などにも出演している超メジャー女優です。
また「アンナ・カレーニナ」の演技はなかなかでしたし、個人的には「シルク」や「イミテーション・ゲーム」での存在感がとても印象に残っています。
そんな彼女の主演の音楽映画が、これまでまったくアンテナに引っかからなかったとは(もちろん知っている人は知っているんでしょうが)。

この「はじまりのうた」は2013年公開のアメリカ映画です。
監督はジョン・カーニーという人で、まったく知りません。
アイルランドのダブリン出身で、アイリッシュ・ロック・バンドでベースを弾いていたそうです。
その後、短編映画、長編映画と進出し、『ONCE ダブリンの街角で』では大きな話題を呼び、2007年のインディペンデント・スピリット賞の外国映画賞を受賞しています。
観てみたいな。

キーラ・ナイトレイは才能あるシンガー・ソング・ライターですが、一緒に活動していたボーイフレンドのほうが先にメジャーデビューしてしまいます。
そして彼が浮気して、失意のもとに元バンド仲間の安アパートにころがりこみます。
元バンド仲間はいまだに夢を追っていて、だれも聴いてくれないのにストリートで歌ったり、小さなライブハウスでライブをやったりしているんですが、彼女を元気づけようと自分のライブに誘い、さらにステージで一曲歌うことをリクエストします。
なにしろニューヨークですからね。

しかし彼女はあまりやる気がなく(男にふられたばかりだし)、お客の反応もいまいちだったんですが、そのなかに音楽プロデューサーがひとり、彼女の歌を聴いていたのです。
プロデューサーもいまや落ち目で、失意のまっただなかいたんですが、彼女の歌を聴いてなにかが動きはじめます。

この映画の白眉は、なんといってもニューヨークの裏町のあちこちでライブレコーディングされるデモ音源の収録シーン。
これがじつに楽しいのです。
音楽ってこれだよね、って感じ。

そして無事にデモ音源が完成し、レコード会社から契約を持ちかけられるんですが、しかし彼女は……
というラストもなかなかひねりのきいたものになっています。

不覚にも私はエンディングで涙してしまいました。
いい映画です。
未見の方はぜひとも観てみてください。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(9.17)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるためのオンライン勉強会を9月17日(土)夜におこないます。

2016年9月10日土曜日

国立からの初げろきょネットライブ

9月6日夜、国立に引っ越して初めてのネットライブを、国立の〈春野スタジオ〉から配信しました。
げろきょネットライブで、まだスタジオの準備が完全ではないので、私のピアノ演奏はなしでした。
てんトコラと野々宮卯妙による朗読のライブでした。

午後からずっとスタジオの配信準備に取りかかっていて、朗読なので椅子に座って本を読む一角が確保できればいいんですが、そこにマイク、カメラ、収録機材、コンピューター、ネット回線、ネット回線とリアルタイムにつなぐための装置などのセッティングが必要です。
これらは羽根木の家で使っていたものをそっくりそのまま持ってきました。

そして春野スタジオはネット回線が良好で、LANではなくWiFiルーターを通してネットに接続するんですが、こちらも好調でした。
その点に関してストレスがなかったことが、もっともうれしいことだったかもしれません。
ここが保証されていると、今後どんどんやっていけるし、朗読にかぎらずピアノ演奏などの音楽ライブも配信していけます。

20時スタートでしたが、てんちゃんは自分の仕事が終わってから、新宿経由・中央線で国立まで来てくれて、ちょうど帰宅ラッシュの時間帯だったのでけっこう大変だったようです。
そんななか、たどりついて、しかもライブまでやってくれてありがとう。

てんちゃんは連続朗読をやっていて、それは私の『赤日の曠野』という大長編なのです。
今回は予定より長く読んでもらったので、かなりじっくり楽しませてもらいました。
主人公が罠にハメられ、濡れ衣を着せられて憲兵に拘束されたシーンのあとで、いよいよ話が動きはじめるところです。
私がまだ娯楽小説を書いていた時期に、日中戦争のさなかの旧満州を舞台に書いた長編冒険小説です。

一方、野々宮も連続朗読をやっている夏目漱石の『趣味の遺伝』を朗読しました。
夏目漱石のなかではあまり知られた作品ではありませんが、こちらもなかなか興味深いのです。
次回のげろきょネットライブは10月3日(月)夜を予定してますので、ぜひ聴いてみてください。

6日夜のネットライブの模様は、こちらに記録映像があがっています。

2016年9月9日金曜日

映画:マリー・アントワネットに別れをつげて

2012年公開のフランス、スペインの合作映画。
監督はブノワ・ジャコで、テレビ・ドキュメンタリーを多く手がけている人らしいですが、私はまったく知らなかったです。

主演はレア・セドゥという若い女優で、なんとなく見覚えがあるなあと思っていたら、「ミッション・インポシブル」や「007」などのメジャーハリウッド映画にも出演しているらしい。
いろいろな賞にノミネートされたり、受賞したりと、話題の女優のようです。
なるほど、なかなか存在感のある演技で、この映画ではフランス革命直前のマリー・アントワネットの「朗読係」という役を演じてます。

朗読係などという仕事があったのかどうか知りませんが、設定としてはおもしろいのです。
2002年にフェミナ賞を受賞したシャンタル・トマの小説『王妃に別れをつげて』が原作らしいんですが、設定や話運びはたしかにいかにも小説っぽい。

マリー・アントワネットという王妃に象徴される人間のパワーゲームの頂点にいる贅を極めた世界を、一介の下級使用人の目から見ている視点と、そこにひたひたと迫りくる民衆の血なまこに満ちた怒りがないまぜになって、ドラマチックな映像が造りあげられています。
ストーリー性というより、この時代のひょっとしてあったかもしれない空気感、緊迫感、貴族とはいえしょせん生身の人間の大衆やおびえのにおいといったものが、めいっぱい画面に詰めこまれていて、ちょっとうざったい感じすらあります。

エンディングはあっけなく、結局なにがいいたかったんだ、といういらだちのような感情が残るんですが、そこからなにかを逆に突きつけられるような気もします。
それを狙っていたとすることは買いかぶりすぎだと思いますが、なんとなく印象に残ってしまう映画であることは否定できません。

音楽瞑想コンサート@明大前キッドギャラリー(9.18)
ともに深く、音、静寂、ピアノの即興演奏、そして空間とご自分の存在そのものをあじわうこと。ご来場いただいたみなさんにある種の「体験」を提供する試みです。17時半開場、18時スタート。

2016年9月8日木曜日

10月19日:水城ゆうピアノコンサート@福井県立病院

ご好評をいただいている福井県立病院でのソロピアノ・ミニコンサートのお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の秋の唱歌や童謡など、懐かしいメロディーを中心に、水城のオリジナル曲もまじえ、自由なアレンジでお送りする予定です。
どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2016年10月19日(水)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

ちなみに水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。
ダウンロードしなくても全曲試聴できます。

読む力は書く力と比例している

先日の「次世代作家養成ゼミ」でうれしいことがありました。
前にも書いたことがあるかもしれませんが、長らくゼミに参加しつづけている奥田浩二くんがこのところぐいぐい実力をのばし、既成の作家をしのぐほどの小説の書き手に成長してきていることは、毎回のゼミ開催でも楽しみなことです。
今日はどんな作品を読めるんだろうと、いつも楽しみにしています。

先日は作品を読む前に、奥田くんの最近の気づきとして、
「野坂昭如の童話を読んで、すごいなと思った」
という話を聞かせてもらいました。

野坂昭如はいうまでもなく、アニメ化された『火垂るの墓』で有名な作家ですが、じつは戦後の巨人作家のひとりで、全貌をとらえることがむずかしい複雑な書き手だと私は思っています。
奥田くんは野坂の作品をこれまで読んだことがなかったらしく、しかしなにかの折に野坂の童話作品を読んだようです。
そのとき、野坂昭如という作家が持っている力の一端に触れたようで、
「あるテーマにたいする切りこみかたの鋭さ、多面性、無駄のなさ、どれを取ってもすごいなと思った」

私はそれを聞いてうれしくなったのです。
なにがうれしいかといって、野坂昭如という作家のすばらしさはもちろんですが、それを正しく読みとき、受け取れるようになった奥田浩二という書き手の成長を感じたからです。
すばらしい作品を読んだとき、それがどうすばらしいのか、なぜすばらしいのか、的確に把握できるとしたら、それは読み手にも力があるからです。

その力は、書く力にも比例しています。
すぐれた書き手は、読む力もあるのです。
逆にいえば、読む力がついてくれば、書く力もつきます。
すぐれた作品を読んで、「これはすぐれている」と受け取れるかどうかは、大変重要です。

その作品がすぐれているかどうかを見抜く力は、そのまま自分の書いているものがよいものかどうかを見抜く力にもなります。
時にはつらい選択をしなければならないこともあるでしょう。
しかし、自分が書いたものを捨て去る判断ができるかどうかもまた、書く力のひとつだといえるでしょう。

9月開催の次世代作家養成ゼミ(9.11/25)
身体性にアプローチするという斬新な手法でテキスト(文章/文字)を使った自己表現を研究するための講座。オンライン(zoomシステム使用)のみのクラスで、単発参加も可。

2016年9月7日水曜日

国立共感ランチ転じて共感閑話

共感カフェならぬ共感ランチに、近所にお住まいの治療師の藤田さんが来てくれました。
藤田さんとは不思議なご縁があって、最初は羽根木の家に共感カフェと現代朗読の勉強会においでいただいたのです。

そのきっかけとなったのは朗読家の野々宮卯妙で、彼女が国立でやっていたNVCの集まりの春野会に参加したとき、藤田さんとお会いしたのです。
私はそのときそこにはいなくて、藤田さんが野々宮のやっている朗読に興味を持ってくれて、羽根木の家に来てくれることになりました。

以来、藤田さんとは朗読でも共感的コミュニケーションでも治療会でも、音楽瞑想ワークショップでもマインドフル練習会でも、何度もご一緒し、そして偶然にも藤田さんの治療室がある国立に私も越すことになりました。

藤田さんがおこなっている治療だけでなく、そこにいたるさまざまな経験や世界観、興味の向かっておられる方向は、私にとっても示唆の多いことばかりで、いっしょにいるだけで刺激的な方です。
共感ランチでも、これからの共感的コミュニケーションの方向性やありかた、変容の可能性などについて話ができて、刺激的でした。

マーシャル・ローゼンバーグが提唱し体系化したNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)は非常にすぐれたもので、人種や年齢、性別などすべてを超えて人と人が思いやりをもってつながり、お互いに尊重しあうことができるようになる、まさにいま、この現代に必要で大変有効な方法です。
日本はもとより、世界中で学ばれています。

普遍的な方法ではありますが、コミュニケーションである以上、やはりまずは言語をもちいます。
日本で学ぶには、日本語を用いることになります。
外国からトレーナーを招聘してワークショップを開催するにしても、通訳が必要です。
英語がわかる人にしか学べない、というものであってはなりません。

私も微力ながら、自分なりに消化したり、経験した事例をもとに、日本語で『共感きコミュニケーション』という解説本を書きましたが、最近はそれだけでは物足りなく感じています。
NVCの考え方や方法は言語を超えてすべての人に役に立つもので、もちろん日本人にとっても有効なものです。
が、英語で書かれたり、英語で教えられたものを「翻訳する」という作業をとおして日本語化されたものを、私たちは学んでいます。

そうではなく、日本人としてNVCを身体化し、おもいやりのつながりを体現できたとき、そこには日本語オリジナルとしてどのような言語化がありうるだろうか、日本語として再体系化されたNVCはいったいどんなことばで語られることになるのだろうか、といいう興味が、私にはあります。

そのことを藤田さんとお昼ご飯を食べながら話をしていました。
藤田さんも「英語から翻訳された体系としてのNVC」にはどうしても違和感をぬぐえないとおっしゃいます。
私のなかにもそれはずっとあります。
最近は慣れてしまって、違和感を感じることは少なくなりましたが、そのこと自体が問題です。

私はもちろん、自分がNVCを身体化できているなどとおこがましいことは思っていませんが、自分がNVCを完全に身体化していることをイメージしたとき、それを説明する言葉としてどのようなものが紡ぎ出されてくるのか、大変興味があります。
とても難しいことかもしれませんが、それに挑戦してみたい気持ちがむくむくと湧き出てきているのです。

9月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(9.15/22/30)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、9月の開催は9月15(木)16時・20時/22(木)20時/30(金)20時です。

2016年9月6日火曜日

映画:オーシャンズ11、3連発(つまり11、12、13)

「オーシャンズ11」は2001年公開のアメリカ映画だけど、大ヒットしたせいか、その後「オーシャンズ12」「オーシャンズ13」と作られました。
それぞれ2004年、2007年公開です。

いわずと知れたジョージ・クルーニー演じる天才泥棒のダニー・オーシャンが、仲間たちと難解な盗みを働く、というシリーズです。
私はコン・ゲームと呼んでもいいこの手のクライムストーリーが昔は大好きで、その手の翻訳小説をさんざん読んだものです。

コン・ゲームの映画としては、テレビシリーズ「スパイ大作戦」から発生した「ミッション・インポシブルもそれにいれてもいいんじゃないかと思いますが、古いところではロバート・レッドフォードとポール・ニューマンが主演した「スティング」なんてのもありますね。
いい映画だったなあ。

小説ではジェフリー・アーチャー、ジャック・フィニィ、トニー・ケンリックあたりが有名ですが、私はとくにドナルド・E・ウェストレイクという人の「ドートマンダー・シリーズ」というのがユーモラスで大好きでした。
ウェストレイクは多作の人で、ほかにもリチャード・スタークとかタッカー・コウというペンネームでも書いていて、スターク名義では「悪党パーカー・シリーズ」という犯罪小説をたくさん書いています。
これもコン・ノベルとして大好きで、ドートマンダーとは違ってシリアスなタッチですが、ほとんど読破しました。

話がそれましたが、とにかく一見不可能に見える仕事を可能にしていく男たちの話、というのは痛快ですね。
「オーシャンズ11」の最初の話は、カジノの金庫に集まった現金をまるごといただくというもので、それこそ難攻不落なガードを破る不可能をどう可能にするかというスリルです。
ハリウッド映画なのに銃も殴りあいも出てこない作りになっています。

監督はベテランのスティーブン・ソダーバーグで、これだけの有名俳優陣をうまく取りまとめ、アクションなしで観客を最後まで引っ張る映画を作る腕はさすがといわざるをえません。
有名な監督作品としては「セックスと嘘とビデオテープ」「わが街 セントルイス」「エリン・ブロコビッチ」「チェ 28歳の革命/39歳 別れの手紙 」なんてのがあります。
「ソラリス」というリメイクのSF作品もあるんですが、これは私としてはちょっと……という感じですけどね。

ともあれ、ブラッド・ピット、マット・デイモン、ジュリア・ロバーツ、アンディ・ガリシア、ブルース・ウイリスといったそうそうたる俳優陣のネームバリューに頼るだけでなく、映画としてストーリーと豪華な絵でぐいぐいと持っていくのは、なかなか見応えがあります。

と思って、勢いで「12」と「13」もつづけて観たわけですが、やはり「11」が一番おもしろいんですね。
コン・ゲーム映画としてよくできているのは「11」だけです。
「12」は大泥棒同士の勝負、みたいな漫画チックな設定になっちゃってるし、「13」も傷つけられた仲間のための復讐ゲームみたいな設定で、肝心の仕掛けもちょっとリアリティを欠いてしまっている感があります。
そんなことをいえば、「11」だってリアリティを欠く仕掛けがないことはないんですけどね。

私としては、この手の映画は自分では「良質の暇つぶし映画」と呼んでおくことにしましょう。
なにかといそがしい現代人のなかで「暇つぶし」の必要がある人なんてほとんにいるのかな、という疑問はさて置くとして。

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2016年9月5日月曜日

東松原・寿美ちゃんちカフェは楽しくもしみじみと深く

毎月第一木曜日に開催することが決まっている寿美ちゃんち共感カフェの9月分が、9月1日に開催されたので、ファシリテーターとして参加してきました。

場所は東松原で、7月まで住んでいた羽根木の生活圏内です。
前に住んでいた羽根木の家からも、たぶん徒歩5分くらい。
国立からだと1時間くらいはかかります。

国立の家でのんびりしていたら、フェイスブック経由で寿美ちゃんから、
「今日のランチは現地集合?」
とメッセージが来て、あわててしまいました。
そうだった、今日はランチも来れる人はご一緒にどうぞ、という話なんだった。

私がおすすめの某レストランに行ったところ、
「にぎやかな感じですか? うちはカウンターだけで、おひとり様が静かに楽しんでいただくような店なので」
といわれ、店を変えることにしたとの連絡も。
この件はあとで、勉強会での学びのネタというかよい教材になりました。

駅すぐ近くの〈あるがまま〉という食堂に変更したというので、私も遅れて合流。
寿美ちゃんと美緒さんとローズマリーさんの3人に、あとでさらに博子さんも加わったんだけど、まあにぎやかなこと。
最初に予定していたレストランだったらたしかに迷惑だったかも(笑)。
〈あるがまま〉ではにぎやかな一行も歓迎されました。

スタート時間が近づいたので寿美ちゃんちにもどったら、直子さんがちょうど到着したところでした。
そのあとかおりんとみきこさんも来て、寿美ちゃんちカフェは定員6人くらいかねーなんていっていたのに、私もいれれば8人。
全員女性で、まあにぎやかなこと。

そんな楽しい雰囲気のなか、勉強は勉強としてまじめにスタートしました。
例のレストランの一件。
よくあることですが、どこかお店に行くと「感じ悪い」とか「とても感じがいい」とか、「二度と行かない」「どうせならこういうお店にお金を落としてあげたい」など、いろいろ感じたり思ったりしますね。
これらはすべてこちらの思考であり判断のなせるわざですが、なんらかのニーズに反応しています。

お客さんとして尊重してもらいたかった、受け入れてほしかった、こちらのニーズを理解してもらいたかった、そういったことが満たされない対応をされてしまったとき、ムカッときます。
それはそれで当然の反応です。
まずそれをキャッチし、味わったうえで、自分のニーズにつながり、そして相手のニーズも推測してみます。
相手にもなにか大事にしていることがあって、そのような対応をしたんでしょう。
その対応はたまたまこちらのニーズにそうものではなかったけれど、相手にもニーズがあったということを尊重してあげる必要があります。
結果的に、それが自分にとってもよいことをもたらすからです。

ムカついて「二度と行くか」と切りすててしまったとしたら、世界がそれだけ狭くなってしまうわけで、ひょっとしてひとりで静かにだれにも邪魔されずにおいしい料理とワインを楽しみたい、と思ったときに行ける場をひとつ失ってしまうかもしれません。

お店にかぎらず、人と交流するとき、相手の言動がこちらのニーズを満たすものであったとき喜びますし、満たさないものだったらムカついたり悲しくなったりしますが、いずれにしても相手にもなにか大事なニーズがあり、それを満たそうとしておこなっていることなんだなという推測と理解があると、こちらにスペース(ゆとり)が生まれますし、相手とのつながりの役にも立ちます。

まあ、そんな感じのことを前半では話しあいました。
後半では個別の事例を取りあげて、さらに深く関係性を見ていったんですが、自分のことについて深い気づきがあったとき、ときにそれはショッキングなこともありますね。
そのケアは、寿美ちゃんちのような安心・安全な場があることで保障されていて、だからこそ深いところにはいっていけるんだと思います。
寿美ちゃんにはこのような場を作ってくれたことに感謝です。

来月の寿美ちゃんち共感おはなしカフェは、10月6日(木)です。

寿美ちゃんち共感おはなしカフェ@東松原(10.6)
東松原在住で自宅をイベントに開いている星寿美さんが、共感おはなしカフェを主催してくれます。おたがいに深く聴きあうことのできる場で自分自身の価値とニーズにつながるためのサポートをおこなうおはなし会です。

2016年9月4日日曜日

国立での初共感カフェを開催

8月28日(日)は国立に越してきて初めて、国立の家〈春野亭〉で共感カフェを開催しました。
参加者は私をいれて4名という少人数の会だったんですが、とてもリラックスして楽しくやれました。

なかのひとりは今年になってから頻繁に私の共感カフェに参加してくれているんですが、こんなことをいってました。
「参加しはじめたときは職場の人間関係が本当に大変で、もういまにも辞めてしまおうかという状況だったんだけど、いまは状況はそんなに変わってはいないけれど自分の気持ちのありようが変化して、本当にいきいきと毎日をすごせるようになりました」

共感的コミュニケーションがとても役に立っているといいます。
とてもうれしいことです。
いわれてみれば、たしかに彼女は最初に来はじめたとき、本当に大変そうで、つらそうで、生命力も弱っているような印象を受けていたことを思いだします。
そしていまあらためて見てみると、いきいきとしてなにごとにもチャレンジングで、勉強会に参加していても好奇心いっぱいで活力にあふれている感じがあります。

職場の状況はそれほで変わっていなくて、むしろ大変になっていることすらあるかもしれないけれど、それに対処したり、自分自身をいきいきと保っていることによって、圧倒されないようになってきた、ということでした。
それこそ共感的コミュニケーションのパワフルな面ですね。
いつも自分自身につながり、自分らしくいることで、活力を失わずにいられる。

たしかに自分の周囲を変えるのは難しいのです。
が、自分が変わることによって、ひょっとしていずれ周囲も結果的に変わることも起こるかもしれません。
彼女はそこのところをあきらめず、希望を持ちつづているようでした。
活力に満ちている状態でなければそういう心境にはなかなかなれません。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(9.17)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるためのオンライン勉強会を9月17日(土)夜におこないます。

2016年9月3日土曜日

9月からの活動のメインとなる4本の柱

国立に引っ越して、この9月から活動を本格的に再起動します。
4本の柱を用意しました。

(1)音声コンテンツ製作コース

毎月1テーマをもうけ、毎週土曜日に開催、3回で完結するコースです。
テーマは毎月変わります。
9月のテーマは「収録実践」編、全3回です。
オーディオブック、ラジオドラマ、ポッドキャスト、YouTubeやニコ動、Ustreamなどの動画配信など、音声を中心としたコンテンツを収録したり製作・配信するためのノウハウを学ぶコースです。
この楽しさについて書いた水城ブログはこちら。
⇒ http://juicylab.blogspot.jp/2016/08/blog-post_25.html

(2)朗読生活のススメ

こちらも毎月1テーマで、毎週土曜日に開催、3回で完結します。
テーマは毎月変わり、9月は「表現者として生きる」編、全3回です。
すべての人が表現者へと進化することで、人生をすばらしくする、というねらいの講座です。
水城ブログ「水の反映」で「朗読生活」と検索するとたくさんの記事が出てきますが、たとえばこういうもの「表現と生活」もあります。

(3)自力出版講座

インディペンデント(独立)な出版社をだれでもいつでもノーリスクではじめるためのノウハウを学ぶ講座です。
オンラインで全3回完結のコースと、半日で集中的に学ぶリアル講座のふたとおりがあります。
私の著書『デジタル出版で生きていく』もご参考までにどうぞ。

(4)次世代作家養成ゼミ

いわゆるテキスト表現ゼミで、現代朗読協会時代から長くつづいているなか、大変ユニークですぐれた書き手が育ち、集結しつつあります。
ここに来て、機関誌『HiYoMeKi』の定期発行をめざしつつ、作家集団〈HiYoMeKi〉の存在感をアピールしていく展開を進める計画です。
このネット時代でこそテキストで表現するおもしろさがあります。
だれでも気軽に参加できるテキスト表現の世界でお待ちしてます。

これら4本の柱は、それぞれもの作り、表現、自立、コミュニケーション、身体性、マインドフルネスといったキーワードがあります。
気になる方はまず体験参加されることをおすすめします。
体験参加はいつでも歓迎です。

iPadなどのタブレットやスマホで気軽につながりましょう

オンラインでの共感的コミュニケーションの勉強会「オンライン共感カフェ」や、オンラインでのボイスコーチング、講座など、ネットを経由したミーティングシステムを利用するイベントをいくつか開催しています。
最近はiPadなどのタブレット端末やiPhone・アンドロイドなどのスマートフォンを利用して気軽に参加してくれる人が増えてきていますが、まだまだうまくいかないんじゃないかとためらっている人も多いと聞きます。
そこで、私のオンライン勉強会やコーチングにつながる方法を、簡単に説明しておきましょう。

タブレット端末やスマホはすべての機種にカメラとマイクが内蔵されています。
それを利用すれば、インターネットを利用したテレビ電話やテレビ会議が簡単におこなえます。
ほとんどのアプリは無料です。
デフォルトの通信費以外に接続のための追加料金は不要です。

テレビ電話・会議ができるアプリはたくさんありますが、有名なところではまずSkypeがあります。
Skypeは他のケータイや一般電話にも電話をかけられる便利なアプリですが、テレビ会議のようなグループミーティングも最近無料でできるようになりました(以前は有料でした)。

ネットミーティングができるサービスで先行していたものは、グーグルが提供しているHangoutです。
グーグル+(プラス)という無料アカウントを取ると、だれでも利用できるようになります。
ほかにもLINEやFacebookでも無料でネットミーティングができるようになりましたね。

どれを使ってもいいんですが、私が使っているのは、個人セッションの場合はSkype、グループセッションの場合はZoomというテレビ会議システムです。

Skypeは無料アプリをだれでもインストールするだけで、あとはお互いのSkypeネームを知っていれば呼びあって、カメラを使った対面でも、音声のみでもミーティングができます。
Zoomはホスト側は有料なんですが、参加者は無料で使えます。
いずれにしても、私のセッションでは、初参加の方とはあらかじめ接続テストをおこなっておいて、本番のときにはスムーズに参加してもらえるようにしています。
接続テストでは必要ならば、直電やチャットなどでサポートもしてますので、ご安心ください。

Zoomがいいのは、あらかじめアプリをインストールしておく必要がなくて、私がアクセス用のURLをメールなどで送りますから、それをクリックして、指示されたとおりに必要な操作をおこなえば、簡単にミーティングルームに接続できるようになる、ということです。
どなたもかならずアクセスできます。

ひとつだけコツがあります。
スマホやタブレットでつながる場合、イヤホンを使ってほしいということです。
マイク付きイヤホンだとなおいいですね。
ブルートゥースのマイク付きイヤホンだと、わずらわしいコードもないので、外出先でも軽快に使えますし、家でも身軽に歩きまわりながら、なんて感じで参加できます。

マイク付きイヤホンを使うと、どちらかというと非力なスピーカーの音が聞きづらいということもないし、まわりのノイズを拾うことも少なくなります。
いながらにしてだれとでもつながることができる環境がすでにあるなんて、ひと昔前からは想像もできなかった夢のような世界です。
ぜひみなさん、気軽に挑戦してみてください。

自力出版講座、全3回@オンライン(9.5/9.11/10.3)
自作の出版を、既存の出版社から独立出版へと完全移行した水城ゆうが、そのノウハウを全3回でシェアします。ネット会議システムを利用したオンライン講座なので、どなたも居ながらにして参加できます。9月5(月)14時/9月11(日)18時/10月3(月)14時、いずれも2時間。

2016年9月2日金曜日

共感的コミュニケーションや音読療法関係のイベント9月

社会貢献や社会変革にかかわることを積極的におこなっていきたいと思って、現代朗読協会もNPO法人として設立して学校やさまざまな施設、地域との関わりを持つように活動してきました。
それが音読療法協会としてより明確に社会貢献活動の広がりを作ろうとしてきています。

こういったことに関連して、NVCをベースにした共感的コミュニケーションやマインドフルネス、瞑想などの勉強会も展開しています。
興味があればチャンスをとらえて参加していただけるとうれしいです。

国立での共感おはなしカフェ(9.4)

こちらは私が自分で主催する共感的コミュニケーションの勉強会で、今回はランチサービス付きです。
食事しながら、お茶飲みながら、気楽に楽しくつながって学びあいましょう。

共感カフェ@下北沢ステイハッピー(9.7)

長らくつづいている下北沢の旅カフェでの共感カフェです。
おいしいオーガニックな飲み物を楽しみながら学びあいます。

共感おはなしカフェ@かまいキッチン(9.15)

この夏からスタートした下北沢のカフェ〈かまいキッチン〉での勉強会です。
子連れ参加も歓迎です。

9月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(9.15/22/30)

毎月3~4回のペースで開催しているオンライン勉強会です。
時間も60分限定と参加しやすくなっているので、自宅にいながらにして、あるいは移動中でも、気軽にご参加いただけます。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(9.17)

パートナーや親子関係など、近ければ近いほどやっかいなこともあるコミュニケーションについて勉強します。
この切り口で事例と経験を積んでいる水城がファシリますよ。

音楽瞑想ワークショップ@明大前キッドギャラリー(9.18)

マインドフルに自分自身と自分が受け取っていることに気づきつづけること。
自分の感覚をとぎすまし、活力にあふれる身体を取りもどすこと。
音楽に誘導された瞑想によってそこへとお連れします。

音楽瞑想コンサート@明大前キッドギャラリー(9.18)

すべて「いまこの瞬間に生まれる」あたらしい音、純粋即興演奏の世界へようこそ。

朗読音読群読まつり@下北沢(9.19)

2001年から水城が、現代朗読協会が、音読療法協会が経験し、獲得し、築きあげてきた有用なノウハウをすべと開示し、みなさんとわっしょいします。
そして最後は全員で表現を共感的に受け取り合います。
楽しみましょう!

朗読など表現関係のイベント9月

国立に居を移して、ようやくいろいろなことが本格的に動きはじめました。
きゅうにいろいろ動かしはじめたので、自分でもちょっと混乱しそうになっています。
そこで、整理をかねて、あらためてご案内させていただくことにしました。
まずは朗読・音読をはじめとする表現関係のイベントのご案内です。

9月開催:音声コンテンツ製作コース「収録実践編」全3回(9.3/17/24)

オーディオブック、ラジオドラマ、ポッドキャスト、YouTubeやニコ動、Ustreamなどの動画配信など、音声を中心としたコンテンツを収録したり製作・配信することに興味のある方のためのコースです。

朗読生活のススメ9月「表現者として生きる」編全3回(9.3/10/24)

生活に表現を。表現者として生きる。生活者として表現する。
そういうテーマで、リアルな身体と朗読表現の関係をいろいろやります。

自力出版講座、全3回@オンライン(9.5/9.11/10.3)

だれでも自分で出版したり、出版社を作ったりできるんです。
そういうネット環境をフルに活用しましょう、という講座。

げろきょネットライブ(9.6)

朗読と音楽のライブをネット配信している現場へ、まずは観覧においでください。

9月開催の次世代作家養成ゼミ(9.8/15/22)

(これから)注目の作家集団(になる予定)〈HiYoMeKi〉の虎の穴です。

身体表現者のための韓氏意拳講習会@下北沢(9.16)

表現は身体あってのもの。
でも、私たち現代人には身体がないんです。ほんとうですよ。参加してみればわかります。

音楽瞑想ワークショップ@明大前キッドギャラリー(9.18)

マインドフルに自分自身と自分が受け取っていることに気づきつづけること。
自分の感覚をとぎすまし、活力にあふれる身体を取りもどすこと。
音楽に誘導された瞑想によってそこへとお連れします。

音楽瞑想コンサート@明大前キッドギャラリー(9.18)

すべて「いまこの瞬間に生まれる」あたらしい音、純粋即興演奏の世界へようこそ。

朗読音読群読まつり@下北沢(9.19)

2001年から水城が、現代朗読協会が、音読療法協会が経験し、獲得し、築きあげてきた有用なノウハウをすべと開示し、みなさんとわっしょいします。
そして最後は全員で表現を共感的に受け取り合います。
楽しみましょう!