2017年1月31日火曜日

新刊:『共感的コミュニケーション2017』(Kindle)発刊しました

新刊『共感的コミュニケーション2017』が、電子ブック・Kindleから発刊されました。

『共感的コミュニケーション〔入門編〕』と『共感的コミュニケーション〔応用編〕』を合本にした『共感的コミュニケーション』『共感的コミュニケーション2』を2015年に出したあとも、多くの勉強会やワークショップを開催したり、案内人として呼んでいただいたりして、さらに事例が増えたり、考察をつづけたりしてきました。
今回、それらがある程度まとまった分量になったのと、すでに出版したものの内容が古びたり書きなおしたくなったりした部分があるので、あらたに原稿を書きくわえ、さらに全面的に書きなおし、また不要な部分は削除したりして、新装版として『共感的コミュニケーション2017』を出すことにしました。

すでにお読みいただいている方には重複した内容がたしかにあるとは思いますが、内容や語り口は全面的に改訂をほどこしています。またあらたに書きくわえた原稿もたくさんあります。
はじめて読んでいただく方には、これが共感的コミュニケーションについての、現時点での私にとっての最新版・決定版であるとお伝えできます。

なお、この本はKindle unlimited(読み放題)にも登録しています。
アマゾンのプライム会員は無料で読めます。

こちらからどうぞ。

紙本もあります(1,500円)ので、必要な方は水城まで直接お申し付けください。
手渡し、郵送などでお渡しできます。

歌や楽器の残念な練習法

1月27日(金)は新代田の音楽練習室で音楽レッスンをおこないました。
ひとコマ30分で、ピアノや歌など、即興演奏や発声や身体表現について、それぞれの参加者がやりたいことをやってみて、それを私がチェックしたり練習法を提案したり、というレッスンで、たぶん一般的なピアノレッスンや音楽教室とはまったくおもむきの異なった内容だったのではないかと思います。

子どものころピアノを習っていて、途中で挫折してしまったという人は大変多いですね。
ピアノにかぎらず、ほかの楽器やボーカルレッスンについても、途中でやめてしまったという人は少なくないんじゃないでしょうか。
そういう人に挫折した理由を聞いてみると、ほとんどが練習がつらくていやになった、というものです。
私にいわせれば、つらい練習などしなければいいと思うんですが、教師からそのように指導されるのでやむをえずやるんでしょうね。
で、結局いやになってやめてしまう。
当然ですよね。

多くの人が、なにかを上達するためには、きつくてつらい練習を乗りこえなければならないと思いこんでいるようです。
楽器にかぎらず、勉強やスポーツにおいても、そういう思いこみがあるようです。
しかし、本当にそうでしょうか。

たしかに、楽器や勉強やスポーツでも、世界にほんのひと握りしかいないような超最先端の世界に行くためには、かなり厳しいトレーニングが必要かもしれません。
実際にそういうレベルの人は厳しいトレーニングを自分に課していることでしょう。
しかしそのことを彼らは「きつくてつらい」と思っているんでしょうか。
むしろ、「きついけど楽しい」くらいに思っているような気がします。

私がいまのように自由にピアノ演奏を楽しめるようになったのは、きつくてつらい練習を こなしてきたからではありません。
むしろ逆で、きつくてつらいことを一切やらずに、自分が楽しくて楽々とやれることだけをやってきたから、途中で挫折することなくここまで来たのです。

あることができるようになるためには――つまり自分が成長するためには、もちろん練習が必要です。
そしてその練習を日々積み重ねる必要があります。
つまり、ながくつづける必要があるのです。
ながくつづけるためには、それが楽しくなければならないし、また楽々とやれなければなりません。
だから、練習は楽しいことだけをやればいいのです。

私の音楽レッスンはその人に共感し、ニーズをいっしょにさがし、なにがその人にとって楽しいことなのかを見つける時間です。
私からはこれまでの自分の経験やレッスンで得られた知見をもとに、いくつか提案し、やってもらいます。
それが楽しいと思えたら、家でもその練習をしてきてもらいます。

そのとき重要なことは、自分自身の「感じ」をつかむことです。
ほんとうに楽しいのか、わくわくしているのか、いやな感じはしないか、もっと楽しみたがっているのか、あるいはもうやめたがっているのか。
自分自身につながりつづけることも、練習で自分を成長させる鍵となります。
私はそのお手伝いもします。
練習しているときの自分の身体や自分自身の感じを観察する練習をしてもらいます。

自分を観察するためには「ゆっくり」が必要です。
楽器の練習にしても歌の練習にしても、たいていの人はスピードが速すぎるのです。
それでは自分をちゃんと観察できません。
自分を「読み飛ばして」しまいます。
自分を読み飛ばさない丁寧さとゆっくりさが、練習では必要なのです。

水城ゆう音楽レッスン@世田谷東北沢(2.26)
2月26日(日)夜、ピアノ付きの音楽室で音楽レッスンをおこないます。13:00から30分単位で、7コマのレッスンを受け付けます。グループレッスンも歓迎。ピアノ、歌、即興、アレンジなど、どうぞチャレンジしてみてください。

2017年1月30日月曜日

映画:レイ

2004年制作のアメリカ映画。
この映画の主人公レイ・チャールズは同年に他界しています。

レイ・チャールズの伝記映画ですが、レイ役を俳優のジェイミー・フォックスが演じてます。
ジェイミー・フォックスは同年公開された「コラテラル」という映画でアカデミー助演男優賞にノミネートされましたが、「コラテラル」は実質的に主演でしたね。
主演はトム・クルーズとクレジットされているけれど、興行的な事情でそうされているだけでしょう。

で、この「レイ」でジェイミー・フォックスはアカデミー主演男優賞、ゴールデングローブ主演男優賞、英国アカデミー主演男優賞をとっていて、むくわれたといっていいでしょう。
そのような外部評価を確認しなくても、観ればたしかにいい映画です。

まずは複雑さがあります。
レイ・チャールズというミュージシャンの複雑さがうまく表現されています。
黒人で盲目というハンディを背負いながらも、音楽的才能にめぐまれて成功していく。
でも、幼時のトラウマがあったり、関係者との確執があったり、なにより女性関係や薬物依存のどうしようもない「クズ男」ぶりも、よくぞここまで描いたなというほど描きこまれています。
そしてその複雑さを、ジェイミー・フォックスが巧妙に演じています。

このあと、たまたま「コラテラル」も観たんですが(後日レビューします)、個人の不安定さや弱々しさや、開きなおったときに現れる強靭さを表現できる、なかなかの俳優です。

ストーリーというか、実話にもとづいた話ですが、レイのサクセスストーリーであると同時に、苦悩と矛盾に満ちた道のりを描いてもいます。
音楽はレイ・チャールズはもちろんですが、ベテランのクレイグ・アームストロングが担当していて、なかなかすばらしいです。
ミュージシャンの伝記映画で音楽を担当するというのは、なかなか難しい挑戦だと思いますが、そこはさすがにベテランです。
そんなあたりも見所かと思います。

観終わったあと、ミュージシャンを含む表現者の人生って、いったいなんだろうなとかんがえさせられるものがあります。
表現者はなんのために表現するのか。
なんのために生きているのか。
あるいは、人はなぜ表現するのか。

いずれにしても死ぬわけです。
レイ・チャールズも死んで13年が経ちました。
私のなかにはレイはまだ生きているような感じがします。
その私も、いずれは死にます。

水城ゆう音楽レッスン@世田谷東北沢(2.26)
2月26日(日)夜、ピアノ付きの音楽室で音楽レッスンをおこないます。13:00から30分単位で、7コマのレッスンを受け付けます。グループレッスンも歓迎。ピアノ、歌、即興、アレンジなど、どうぞチャレンジしてみてください。

2017年1月29日日曜日

テキスト表現の必要性と可能性

文章を書く、文章で自分を伝える/表現する、文章でコミュニケートする、といったことの必要性や必然性が、インターネットの普及によって劇的に変化しました。
かつては文章を書くというと、仕事とか手紙とか、作文とか報告書とか、そのようなある一定の「型」や「場面」における必要性があったり、その方法があったりしたんですが、ネット社会ではそのような「型」がどんどん崩れつつあります。

いつ、どんな場面で、どのような方法でテキストを書かなければならないか、まったく予測つかない世界になっています。
その予測不能は、逆にいえばテキスト表現の無限の自由さと可能性を示唆しています。
つまり、どんな人もことばを使って自分をさまざまな手段で伝えることができるようになったともいえます。

たとえば、詩や小説、エッセイといった、かつてはある特殊な人々や業界に囲いこまれていた手段も、いまや万人のものとなっています。
どんな人も好きなように書いて、好きなだけ全世界に向かって発信できるのです。
なんだったらそれを紙の書籍をふくむコンテンツにして、収益を得ることも可能です。

そんな世界でクローズアップされてくるのは、いかに文章がうまいか、ではなく、いかにユニークでオリジナリティのある表現力があるか、ということです。
そしてそれはテクニックをろうしたり、たくらみをでっちあげることではなく、自分に嘘をつくことなく正直に誠実に自分のことばを使って表現することが求められている、ということです。

テキストだけでなく、世界は言語でおおわれていて、そこには国家主義、資本主義、効率主義という成長プログラムにもとづいた対立と競争のためのことばがあふれています。
政治や経済の世界を見るまでもなく、人々は対立と競争のことばをたがいにぶつけあって、疲れきっています。
そこで疲れていない、消耗していない人は、繊細さとはかけ離れた鈍感さを武器にしていたりします。

しかし、いまや私たちは、行き詰まりがわかりきっているそちらの世界に行きたいのではなく、対立と競争の代わりに共感と対話の世界に行きたいのです。
そのためのことばを獲得する必要があるのです。
それにはまず、自分自身にも共感し、自分自身との対話からスタートしなければなりません。
いま、従来の方法とはまったくちがったテキスト表現の可能性をさぐることは、自分自身との共感と対話の方法とそのことばを探すということでもあります。

自分自身につながる、自己共感するための方法はさまざまにあります。
私もいろいろ試行してきました。
マインドフルネスをベースにした瞑想や呼吸法、共感的コミュニケーション、ヨガやアレクサンダー・テクニークなどのボディワーク、そしてさまざまな武術、とりわけいま取り組んでいる韓氏意拳。
いずれもたくさんの気づきがあり、有効性がありました。
そのひとつとして、私の専門分野ともいえる「ことば」を使ったテキスト表現による練習も、大変有効ではないかと気づいたのです。

収益を得るための商業行為としてのテキストライティングではなく、自分を伝え表現するためのテキストライティング。
自分につながり、相手にもつながり、共感し、対話するためのテキストライティング。
これが可能であり、有効だろうと思っています。

単純に昔から、多くの人が日記をつけていたでしょう。
多くの人がだれに読まれるともわからない文章を書いていたでしょう。
いまは書けばそれは、その気がありさえすれば、かならずだれかに読まれることは可能になっているのです。
日常のなかに「書く」という自己共感の習慣を置き、自分自身とつながる。
そしてそれを世界に向けて放つことで対話を作る。
その対話は対立的ではなく共感的であり、持続可能なつながりをめざす。

なにかを書いて発信する、というシンプルな行為が広まりつながっていったとき、ひょっとしてなにか社会変革につながるようなムーブメントが起きる可能性もあるんじゃないか、と私は思っています。

自分とつながるテキストライティングWS(3.11)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを3月11日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。

2017年1月28日土曜日

2月26日:水城ゆう音楽レッスン@世田谷東北沢

2月26日(日)午後、13時から16時半までピアノ付きの音楽室を借りることができたので、音楽レッスンをおこないます。
こんな方にご参加いただけます。

・ピアノを習いたい ・即興演奏で遊びたい
・ボーカルレッスンを受けたい
・音楽演奏や歌唱のための身体性をチェックしたい

13:00から30分単位で、7コマのレッスンをおこないます(グループレッスンは2コマを使います)。
申し込み順に希望の時間をお聞きします。
他の方のレッスンの見学も自由にどうぞ。
レッスンを受ける方は他の方から見学されることもあることをご了承ください。

◎日時 2017年2月26日(日)13:00〜16:30
◎会場 小田急線東北沢駅徒歩2分の施設
    参加申し込みをされた方に詳細をお知らせします。

◎対象者 中学生以上ならどなたでも(グループは2人以上5人まで)
◎参加費 ひとコマ 5,000円(グループはひとグループ1万円)

※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらのフォームからメッセージ本文に「音楽レッスン」とご記入いただき、希望時間帯も書きそえてください。

※水城ゆうのプロフィール、著書、ブログなどはこちらから。

共感的コミュニケーション(NVC)を学んでいるからこそ落ちこむこと

共感的コミュニケーション(NVC)を学んでいると、どうしても避けられない「学んでいるからこそ落ちこむ瞬間」というものがおとずれます。
私の体験としては、それには2種類あるようです。

ひとつめ。
共感的コミュニケーションを学びはじめてすぐ、そのすばらしさに気づき、これをいままで知らなかったことを激しく残念に思う瞬間。
「これをもっと早く知っていればいままでの人生、もっと楽だったろうし、楽しかったろうし、有意義だったに違いなかったのに……」
と落ちこみます。
それほど共感的コミュニケーションは自分の人生を豊かに、有意義にしてくれることに貢献してくれるもので、そのことに気づくことでかえって、それを知らなかった自分の過去の人生がとても悔やまれる、という経験です。
いかがでしょう?
学びはじめた多くの方が経験することではないでしょうか。

ふたつめ。
共感的コミュニケーションを身につけて、ある程度できるようになったと思っていたのに、実際には全然身についていなくて、たとえばだれかとの必要なつながりをまったく作れなかったという瞬間。
「充分に練習して身についたと思っていたのに、実際には役に立たなかった。というか、ちゃんと身についていなかった」
と落ちこみます。
人の話を聞いたり、共感したりして、相手や自分とつながる経験をたくさんして、充分に身についてきたはずなのに、肝心な場面でだれかとつながることに失敗して、激しく挫折感を味わう、という経験です。
そんなときは共感的コミュニケーションに絶望感をおぼえ、これ以上学んだり練習したりすることをやめてしまいたくなります。

実際にそのようにして学びの場から去っていってしまった人を私はたくさん知っています。
ひとつめはやむをえないとしても、ふたつめは残念なことです。
ふたつめについていえば、失敗したことに痛みがあって失望が大きくなってしまいがちなんですが、ちょっと待ってください。
失敗した事例はともかくとして、成功事例もたくさんあることを忘れていませんか、ということです。

とかく人は失敗に目が向きがちですが、うまくいったことを忘れがちです。
うまくいったことをお祝いして、さらに成功を重ねていくことで、いつしか失敗したようなことも失敗しなくなっていくものです。
しかし、一度の失敗で練習をやめてしまえば、それは永久に克服できません。

失敗して落ちこんでしまうことは多々ありますが、そんなときこそうまくいっていることに目を向け、しっかりお祝いして、またものごとがうまくいくことにチャレンジしつづけたいと思います。

2月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(2.6)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、2月の開催は6(月)20時/20(月)20時/27(月)16時・20時です。

2017年1月27日金曜日

身体文章塾とテキストワークショップ

「自分とつながる」というねらいでおこなうテキストライティング(執筆)ワークショップに多くの方が興味を持っていただいて、おかげさまで2月18日(土)に開催する回が定員いっぱいとなり受付を締め切らせていただきました。

「自分とつながる」というテーマでのワークショップは、昨年・2016年の年末に5回シリーズで切り口を変えておこないました。
現代朗読、共感的コミュニケーション、音楽瞑想、音読療法といった、私がこれまで追求してきたことについて「自己共感」および「マインドフルネス」というアプローチでそれぞれワークをおこなってみたんですが、テキストライティングもそのひとつでした。

テキストライティング、つまり文章を書くことは、私がずっとやってきたことです。
古きには小学生のときの読書感想文からはじまっています。
夏休みの読書感想文を苦痛に感じた人も多いようですが、私はそれほど嫌ではありませんでした。
なにか賞をいただいたこともあります。
以来、中学生、高校生と、作文は好きで、本を読むことはもっと好きでした。
そして20代になっても書きつづけ、29歳のときに職業小説家になったのです。

その後、ニフティサーブというパソコン通信サービスのなかで、「本と雑誌フォーラム」というコーナーの世話人となり、そこで「小説工房」という文章道場のようなことを主宰しました。
これは二冊の本にもなっています。

その後、カルチャーセンターで小説や文章の講座を持ったこともあります。
つまり、自分も書くのが好きですが、人の書いたものを読んだり、意見交換したりすることも好きだったのです。

2006年に設立した現代朗読協会では、スピンアウト・ゼミとしてテキスト表現ゼミをおこない、その後「次世代作家養成」という名前で講座やゼミとしてつづけてきました。
そのゼミは、現代朗読協会のゼミシステムが終了するとともに縮小し、終わっていく予定だったのですが、最後まで「同人」として付きあってくれた奥田浩二くんや知念満二さんを中心に昨年いっぱいまでつづきました。
最後のチャンスとして「自分につながる」シリーズで身体表現としてのテキストライティングのワークを年末におこなったわけですが、みなさんから「つづけてほしい」という要望があまりに強かったため、「身体文章塾」という名前で今年からあらたに再スタートすることにしました。

これまで次世代作家養成ゼミや、年末のテキストワークショップに参加してくれた人を限定的なメンバーとして、とりあえず今月からスタートします。
自分の「身体」と「ことば」「文章」を探求し、テキスト表現のオリジナリティを探ろうという試みです。
キーワードとして「自己共感」と「マインドフルネス」があげられるでしょう。

共感的コミュニケーション(NVC)における自己共感、すなわち自分自身のニーズにつながり、いきいきと活力あるなかで自分を表現していく、というもの。
そして、いまこの瞬間の自分自身とまわりのことに気づき、思考や判断をまじえずにありのままを感じ、受け取りつづける状態であるマインドフルネス。
これらをテキスト表現においても訓練することによって、どのようなオリジナリティが現れてくるのか探求しよう、という塾です。

これは現在、クローズドメンバーによる集まりですが、ここに参加したい人は、だれでも参加できるオープンな場である「自分につながるテキストライティング・ワークショップ」にまず参加していただきたいのです。
2月開催回は定員に達しましたが、キャンセル待ちは受け付けていますし、3月開催回もあります。

自分とつながるテキストライティングWS(3.11)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを3月11日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。

2017年1月26日木曜日

映画:パーカー

2013年公開のアメリカ映画。
原作はリチャード・スタークの「悪党パーカー」シリーズの『悪党パーカー/地獄の分け前』。

リチャード・スタークは別名ドナルド・E・ウェストレイクといい、私が最高に好きなクライムノベルの「ドートマンダー」シリーズを書いた人です。
多才で多作な人で、ほかにもタッカー・コウ、サミュエル・ホストなどの名義で、さまざまな小説(ペーパーバックノベル)を書きまくりました。
ビートルズの曲に「ペーパーバック・ライター」というのがあるけど、それを連想します。

ウェストレイク名義で書いたドートマンダーのシリーズでは『ホット・ロック』『強盗プロフェッショナル』『ジミー・ザ・キッド』『悪党たちのジャムセッション』など、何度読み返したことかわかりません。
私が29歳のときにSF冒険小説でデビューしたあと、いろいろな出版社から注文を受けて書いたとき、もっとも影響を受けていたのがウェストレイクでした。
いまはなき朝日ソノラマの新書で出した『軌道戦線』という小説は、SFの様式を借りながら、じつはウェストレイク式のクライムノベルだったという思い出があります。

そして監督はテイラー・ハックフォード。
「愛と青春の旅だち」や「カリブの熱い夜」「レイ」などを作っています。
とくにレイ・チャールズの伝記映画である「レイ」は、このあとレビューしようと思っています。

パーカー役の主演はジェイソン・ステイサム。
助演女優にジェニファー・ロペスが控えています。
このジェニファーがいい感じなんですねー。

お金に困っているしがない不動産業の営業ウーマンを、じつに欲深い感じで演じています。
でも、憎々しいのといとおしいののギリギリのラインを演じている。
これは原作にも負うところが大きいのかも。
ウェストレイクとはすこし毛色が違うけれど、私のもうひとりの最高に好きなクライムノベル作家としてエルモア・レナードという人がいましたが、そのあたりとも通じる複雑な人間味あふれる感じがあります。

ジェイソン・ステイサムもなかなかいいですよ。
バカ映画にたくさん出ている典型的な俳優ですが、私はこの作品が彼のもっともいい味を出しているんじゃないかなと思います。

水城ゆう音楽レッスン@世田谷新代田(1.27)
1月27日(金)夜、ピアノ付きの音楽室で音楽レッスンをおこないます。18:30から30分単位で、6コマのレッスンを受け付けます。グループレッスンも歓迎。ピアノ、歌、即興、アレンジなど、どうぞチャレンジしてみてください。

2017年1月25日水曜日

コミュニティ型音楽教室(レッスン)?

子どものころにピアノを習っていた人は多いと思います。
ピアノでなくても、音楽教室にかよったり、べつの楽器をならっていたことがある人もいるでしょう。

そんな音楽教室には、かならず発表会がありましたよね。
私がかよっていたピアノ教室にも、一年に一度、発表会がありました。
子どもたちの晴れ舞台で、市民会館かなにかのホールを借りて大々的にとりおこなわれた記憶があります。
親兄弟や友だちも駆けつけてくれて、ステージでは緊張にふるえながら日頃の成果を発表したものです。

ピアノ教室では、自分の時間のすこし前に遅刻しないように行くことになっていて、ほかの生徒がレッスンを受けている最中にはいっていきます。
自分以外の生徒がどんな曲を弾いているのか、どんな腕前なのか、そしてどんな子なのか、そのときに見ることができるわけです。
そして今度は自分がレッスンを受けているとき、つぎのレッスンに来た生徒にそれを見られるわけです。

その感じって、ちょっと恥ずかしいような、でもちょっと好奇心を満たされるような、不思議な時間でした。
そして発表会になると、教室の生徒が一同に介して、初めて全員が顔をあわせるわけです。

何年かつづけて習っていると、いっしょに習っている人や、先輩の生徒、あるいは後輩の生徒、という認識もできてきます。
ひとりの先生を介して、一種のコミュニティのようになっていたんだな、と思うわけです。

今週の金曜日の夜に、たまたま音楽室の予約が取れたので、そこで音楽レッスンをやってみようと思いたちました。
その際、時間を区切ってはいますが、前の人のレッスンや、次の人のレッスンを見学できるようにしようと思ったのです。
いや、レッスンを受けない人も見学できるようにしたらどうだろう、なんて思いついてます。

自分がレッスンを受けるところを人に見られるのが嫌な人はいると思います。
だから、そういう人はあらためて別に個人レッスンを申しこんでほしいのです。
でも、ほかの人のレッスンを見たり、自分のレッスンをほかの人と共有したり、ときにはそんな参加者たちがコミュニケーションをとったり、といった音楽レッスンの時間があるのも楽しいんじゃないでしょうか。
一種の一時的なコミュニティとしての音楽教室です。

そんな感じで楽しくやれたらいいな、と思っていますので、これまでピアノにさわったこともないけど一度弾いてみたかった、とか、歌をのびのびと歌いたいけれどどうやって練習すればいいかわからない、とか、楽譜に書かれているとおりではなくもっと自由に弾いてみたい、といった人を歓迎します。
私やほかの人とおしゃべりしながら、じゃあこんなふうにやってみない? というトライアルに参加してみたい人、どうぞ気軽にいらしてくださいね。

水城ゆう音楽レッスン@世田谷新代田(1.27)
1月27日(金)夜、ピアノ付きの音楽室で音楽レッスンをおこないます。18:30から30分単位で、6コマのレッスンを受け付けます。グループレッスンも歓迎。ピアノ、歌、即興、アレンジなど、どうぞチャレンジしてみてください。

2017年1月24日火曜日

ちょっと先のイベント紹介

いつも直近のイベントのご案内が多くなってしまっているんですが、今日はちょっと先のイベントまで見通してご案内します。
もしどこかでお会いできるチャンスがあればうれしいです。

まず、中京・関西方面の方に。
3月3日に大阪、3月4日に名古屋で、ワークショップと公演をおこないます。

3月3日(金)は中崎町の〈創徳庵〉というところで、午後に「表現と共感」のワークショップを、夜に「沈黙[朗読X音楽]瞑想」コンサートをやります。

3月4日(土)は名古屋の御器所〈クロッキーF美術館〉で、午前10時から午後にかけて身体表現としての「現代朗読」のワークショップを、夜は栄のナディアパーク〈アートピア〉で「沈黙[朗読X音楽]瞑想」コンサートをやります。

その前になりますが、福井・北陸方面の方に。
2月12日(日)午後2時から福井県立図書館にて「文学カフェ」を、2月13日(月)午後1時半から福井県立病院にてピアノコンサートをおこないます。

その他、隔月でおこなっているのは三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉と下北沢〈Stay Happy〉での共感カフェ(共感的コミュニケーション(NVC)の勉強会)です。
来月2月は3日にオハナで、3月は1日にステイハッピーでおこないます。

毎月恒例のものについてははぶきますが、2月からあらたに「テキストライティング」のワークショップを開催します。
これは身体性にもとづいたオリジナリティを追求するための執筆ワークショップで、定員制の塾「身体文章塾」に参加したい方はまずこちらを受けていただく必要があります。

あらたにスタートする「身体文章塾」については、またあらためてお知らせしようと思います。
大変楽しく、すでに参加していただいた方々には好評をいただいている試みです。
興味を持っていただけるとうれしいです。

2017年1月21日土曜日

1月27日:水城ゆう音楽レッスン@世田谷新代田

1月27日(金)夜、18時から22時までピアノ付きの音楽室を借りることができたので、音楽レッスンをおこないます。
こんな方にご参加いただけます。

・ピアノを習いたい ・即興演奏で遊びたい
・ボーカルレッスンを受けたい
・音楽演奏や歌唱のための身体性をチェックしたい

18:30から30分単位で、6コマのレッスンをおこないます(グループレッスンは2コマを使います)。
申し込み順に希望の時間をお聞きします。
他の方のレッスンの見学も自由にどうぞ。
レッスンを受ける方は他の方から見学されることもあることをご了承ください。

◎日時 2017年1月27日(金)18:30〜21:30
◎会場 京王井の頭線新代田駅徒歩1分の施設
    参加申し込みをされた方に詳細をお知らせします。

◎対象者 中学生以上ならどなたでも(グループは2人以上5人まで)
◎参加費 ひとコマ 5,000円(グループはひとグループ1万円)

※参加申し込みおよび問い合わせは、こちらのフォームからメッセージ本文に「音楽レッスン」とご記入いただき、希望時間帯も書きそえてください。

※水城ゆうのプロフィール、著書、ブログなどはこちらから。

映画:スター・トレック、イントゥ・ダークネス

子どものころ、夢中になってテレビにかじりついて観ていたシリーズ。
「鉄腕アトム」「エイトマン」「宇宙少年ソラン」「サンダーバード」「タイムトンネル」「スパイ大作戦」そしてこの映画のもととなった「宇宙大作戦」。

2009年公開の「スター・トレック」と、2013年公開の「イントゥ・ダークネス」の2本をつづけて観ました。
ともに監督はJ・J・エイブラムス。

テレビシリーズのあとに、おなじ配役で映画も何本か作られましたが、この2本はそれらとはギャップがある、いわば現代版リメーク。
配役がまったく変わっています。
カーク船長といえばウィリアム・シャトナーでしたが、現代版ではクリス・パインが演じています。
スポックといえばレナード・ニモイでしたが、現代版ではザカリー・クイントが演じています。
ただし、レナード・ニモイも老いたスポック役で出演しています。
そしてニモイは2015年にすでに他界しました。
ほかにもおなじみのキャストは、ほとんどが別の俳優が演じています。

映像も大幅にクオリティがあがっていて、模型を使った特撮から、CGを駆使したゴージャスなものになっています。
ただ、模型もかなり使っている感じがします。
そのあたりはフィルム撮影にこだわったJ・J・エイブラムスの色が出ているかもしれません。

ストーリーは「スター・トレック」と「イントゥ・ダークネス」ではつながりはほとんどありません。
前者はカークがUSSエンタープライズ号の船長になる、いわばデビュー戦の話。
後者はすでに船長になっていて、その後の宿敵となるカーンとの戦いの話。
映画としてどちらがすぐれているかというと、私は前者に旗をあげます。

後者は壮大な宇宙艦隊と強大な敵という設定なのに、結局のところ、局所的な撃ち合いとか、個人的な殴り合いで「おい、それで解決しちゃうのかよ!」というせせこましい作品作りでかなり失望。
殴り合いとか撃ち合いとか、もういらねーよ、映画に。
あと、カーチェイスも。
「イントゥ・ダークネス」にはカーチェイスこそありませんでしたが、「スター・ウォーズ」で使い古された宇宙船チェイスが出てきてうんざりします。

すでにこのシリーズの最新作「ビヨンド」が公開ずみのようですね。
まあ観ますよ、観ますけどね、期待してませんよ、はい。

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著作権フリーの「水色文庫」

正確には「著作権フリー」ではなく、「著作使用権フリー」ですが。
某FMラジオ局の制作の方から、番組で「水色文庫」の作品を使いたいとの連絡をいただきました。

――――――
HPにて水城様の水色文庫を拝読させて頂きました。
とても素晴らしい内容で、感激いたしました。
つきましては、弊社のラジオ番組放送内で朗読、またラジオドラマなどで使用さ
せて頂来ます事は
お許し願えますでしょうか?
――――――

うれしいな。
けっこう頻繁に「読みたい」という連絡をいただくんですが、たいていは読み手の方からの連絡です。
アナウンサーやナレーターの方が、自分が持っているラジオ番組のなかで読みたい、というもの。

もっとも多いのが、アマチュアの朗読者が朗読会で読みたいというもの。
そして、ニコニコ動画やYouTubeなど、自作のコンテンツで読みたい、というもの。

ラジオ番組の制作者からの連絡はひさしぶりでした。
水色文庫は著作使用権を開放しているので、連絡なしでも自由に使っていただいていいんですが、ひとこといただけるのはやはりうれしいですね。

水色文庫はこちら

2017年1月19日木曜日

コミュニケーション能力(コミュ力)とはなにか

私がやっている共感的コミュニケーションの勉強会(共感カフェ)に、
「コミュニケーション能力がないといわれたので」
という理由で来る人が時々います。
そのたびに「コミュニケーション能力とはなんでしょうね」という話をします。
なんだと思いますか?

コミュニケーション能力――いわゆる「コミュ力」が高いというのは、どういう状態をいうのでしょう。
コミュニケーション能力というのは、だれかとコミュニケートする能力のことであり、相手のことを理解したり、こちらのことを伝えたりすることができるスキルといっていいでしょう。
つまり、「相手とつながる能力」といっていいと思います。

相手とつながる、つまり相手を理解し自分を伝えるためには、三つのステップがあると私はかんがえています。

(1) なにを伝えたいのか、なにを伝える必要があるのか、まずは自分自身につながる。
(2) 相手はなにを必要としているのか、どんなことを大事にしているのか、相手を理解する。
(3) 自分が必要としていること、大事にしていることを、相手に伝える。

(1)は共感的コミュニケーション(NVC)では「自己共感」といいます。
(2)は「相手に共感する」です。「共感的に聞く」ともいいます。
(3)は「お願い」または「リクエスト」という形をとります。つまり、自分のことを聞いてもらうことです。

(1)と(2)は「つながり」を作るためのステップです。
(3)は「自分を伝える」または「表現する」ことです。
共感的コミュニケーションではこれらひとつひとつに、具体的で、だれにでも実行可能なステップ(プロセス)があります。
それを理解し、やってみる(練習する)ことで、いわゆるコミュ力がアップしてくるわけです。
しかし、それは結果であって、コミュ力アップそのものが目的ではありません。
共感的コミュニケーションの目的は、自分自身と相手とのつながりを作ることです。

共感おはなしカフェ@かまいキッチン(1/20)
安心して親子連れで行ける店として有名な下北沢〈かまいキッチン〉で、1コマ60分間×2部制で、 #共感的コミュニケーション の勉強会を開催します。1部15時から、2部16時から。

2017年1月18日水曜日

譜読み(譜面の読み方)がいまさら変わる

去年の終わりごろから、クラシックピアニスト(というより現代音楽ピアニスト)の中村和枝さんに、いまさらですがピアノを習っています。
ピアニストの私がピアノを習う、なんていうと変な感じかもしれませんが、ピアノ演奏について私にはごっそり欠落している部分があります。
それは「譜読み」であり、「譜面に書かれた曲を演奏する」ことです。

子どものころ、ピアノ教室に通っていたことがあって、楽譜は普通に読めますし、むしろ初見なども得意なほうですが、和枝先生から習う譜読みとその演奏はまったくちがいます。
毎回、おそろしく深遠な世界を垣間見たり、またそこへ突き落とされるような感じです。
いや、わるい意味ではなく、もちろん暴力的な意味でもなく、つまり私にとっては冒険のようなスリリングな世界がそこにある、ということです。

譜面は普通に読めるし、音楽を構造的に解釈し理解することもできると自分では思っていましたが、まったく層のちがう世界がそこにあることに気づかされます。
クラシック演奏家の頂点の世界を見させてもらっています。

課題曲としてモーツアルトの「きらきら星演奏曲」とか、バッハのインベンションをやっているんですが、もちろん弾くだけなら簡単な曲です。
楽譜どおりに書かれているとおりに、間違えずに弾けるようになるだけなら、小学生でもできるでしょう。
しかし、和枝先生には「音楽として」弾くことを要求されます。
モーツアルトやバッハが魂(命)の発露として表現しようとした世界を、私も見ることを要求されます。
その上で、私自身の魂がそれをどのように表現したいのか、ようやくそこにたどりつくわけです。
まだまったくその入口にしか達していません。

おそろしくむずかしく、遠い道のりですが、やりがいがあるし、わくわくする道程です。
自分の命の限度内にある程度のところまで行けるのかどうかすらわからないけれど、この挑戦は楽しいのです。

クラシック音楽だけでなく、私がやっている即興演奏の世界にも、そして朗読や文学や身体表現の世界にも、深いレイヤーがあって、そこに気づいたり進入していくことがどれだけ苦しくも楽しいことなのか、すこしでも知ってもらえると私はうれしいし、なにより理解しあえる仲間がいると心強いですね。
あらゆる表現や仕事、そして生活や生き方についての話ですよ。

水城ゆうの音楽レッスン
ピアノの即興演奏、オリジナルアレンジ、実用的な演奏方法、ボーカルレッスンを含むユニークな音楽レッスンを随時おこなっています。真に楽しむための音楽へのアプローチを学びましょう。

2017年1月17日火曜日

映画:アデル/ファラオと復活の秘薬

2010年公開のフランス映画。
監督はリュック・ベッソンです。
「あの」リュック・ベッソンです。

監督がだれなのか知らないまま、というか気にせずに、そもそもフランス映画だということも知らずに、見始めた映画でした。
はじまってすぐにフランス映画だということはわかりましたが、リュック・ベッソンだとはしばらく気づきませんでした。

フランス映画特有のややもってまわった導入や、セリフまわしが鼻につく部分が多少ありましたが、それにしてもテンポよく、フランスでもこんな映画が作れるのね、と関心していたら、なるほどリュック・ベッソンでしたか。
ベッソンは「サブウェイ」「グランブルー」「ニキータ」「レオン」「フィフス・エレメント」「ジャンヌ・ダルク」と、ずっと観ています。
とくに初期の作品は印象に残っています。
いちばん好きなのはやはり「グランブルー」ですかね。

この「アデル」もなかなかです。
アデル役の主演女優ルイーズ・ブルゴワンもなかなか魅力的です。
いささか乱暴で強引なところがあるけれど、繊細なわがままさを持っていて、妹思いの愛にあふれた姉役を、魅力いっぱいに演じています。

ストーリーは漫画ですよ。
荒唐無稽なお話です。
ライトノベルか、というような筋です。
ほとんど破綻していますが、ベッソンはストーリーを描きたかったわけではないでしょう。
じゃあ、なにを描きたかったのか、といわれれば、映画という表現手段を使ってどこまで遊べるか試してみた、という感じがあります。
そのへんも余裕ですね。
第一次世界大戦前のフランスが舞台なので、そのあたりのノスタルジーというか、懐古的な映像も楽しめます。

観たからなにか役に立つとか、触発されるとか、とくにあるわけじゃありませんが、エンタテインメントとして頭からっぽにして観られるバカ映画という意味では、きちんとしてますね。

ボイスセラピー講座@新代田(1.20)
呼吸や声を使って自分自身や身近の人を癒し活力を養うボイスセラピーの概要を、半日で学び身につけるための講座です。この講座の受講修了が音読トレーナーの資格取得講座の受講要件となります。1月20日(金)19時から新代田駅すぐ近くの会場にて開催。

2017年1月16日月曜日

【YouTube】共感的コミュニケーション(NVC)の基本原理

2017年1月11日。
下北沢〈Stay Happy〉で隔月開催している共感的コミュニケーションの勉強会「共感カフェ」から、一部抜粋です。

 世話人 水城ゆう

映像はこちら

2017年1月15日日曜日

「書く」という行為で自分と深くつながる

年末の「自分とつながるテキストライティング」講座で、参加者のみなさんに投げかけてみた質問があります。
「小説家とライターのちがいはなんでしょう」

ライターというのは、雑誌やネットの記事やコラム、商品や店などの紹介や対談をまとめたりして、お金をいただく仕事をしている人のことです。
つまり、文章を書くという仕事の対価を生活の糧にしている人です。

そういう意味では職業小説家も、文章を書いて原稿料や印税収入を生活の糧にしているわけで、似ているといえるでしょう。
しかし、この二者には決定的にちがっていることがひとつあります。

ライターは仕事の依頼があって初めて、文章を書きます。
依頼もないのに、あるいは収益が発生する見込みもないのに、文章を書いたりしません。
しかし、小説家はちがいます。
仕事の依頼があろうがなかろうが、とにかく書きたいのです。

なかには依頼がないと書かない、という職業小説家もいるかもしれません。
しかし、彼とて最初はだれにも頼まれていないのに、小説を書きはじめたのです。
つまり、小説を書きたいから、あるいはやむにやまれぬ表現衝動に突き動かされて、小説を書きはじめるのです。
それが小説家です。

収益を目的とせずに、あるいはなんらかの見返りを設定せずに、自分自身を表現するために文章を書くためには、まず自分自身を注意深くさぐる必要があります。
自分はなにを書きたいのか。
自分のなかからどんなお話が、どんな風景が、どんなことばが出てくるのか。
自分はどんなことばをつかって自分のことを人に伝えたいと思っているのか。

経験や記憶や、それによって形成された性格が、その人の個性だと思っている人がいます。
というより、むしろ大多数の方がそう思っているのではないでしょうか。
社会的にもそのように規定されているように思います。
しかし、テキスト表現においてその規定は役に立ちません。
経験や記憶や性格は、後天的に、社会的に作り上げられてきたもので、厳密には書き手のオリジナリティを担保するものではないのです。

では、書き手のオリジナリティ――つまりその人がそこに生き生きと存在しているユニークさそのもの――はどのように表現されるのでしょうか。

私がおこなっている「自分とつながるテキストライティング」のワークショップは、そこに向かってさまざまな試みをおこなってみます。
ワークショップで私はいくつかのワークの提示をします。
それははっきりいって、直感と思いつきによって生まれたものです。
手探りです。
それがうまくいったり、うまくいかなかったりしますが、どちらにしてもさまざまな気づきが生まれます。
提案されたワークが機能するかしないかより、それによって参加者がみずから気づくことが大切なのです。
そのためのワークの方向性――すなわち書き手のオリジナリティを表現する――だけはあやまらないように、私は厳密に注意を払っています。

と、いろいろ小難しいことを述べましたが、実際に参加していただければわかるように、とにかく楽しいのです。
書くという、小学校以来の原初的な表現行為。
この楽しさと可能性を再発見してほしいのです。

ことば=テキストという、非常に限定された世界のなかで、いかに自分に向かいあい、つながり、発見できるか。
なにも全員が小説家になりなさいといっているわけではありません。
ことばで自分を表現することの不自由さと可能性に向かいあったとき、この現代という時代においてそれが意外に役立つということを、きっとわかってもらえるだろうと思っています。

自分とつながるテキストライティングWS(2.18)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを2月18日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。

2017年1月13日金曜日

【YouTube】てんトコラの朗読とピアノの即興セッション

2017年1月12日。
下北沢〈Com.Cafe 音倉〉でおこなわれたオープンマイクでのパフォーマンスです。

 朗読テキスト
 『野鳥雑記』柳田国男
 『花野菜』宮沢賢治

 朗読 てんトコラ
 ピアノ 水城ゆう

映像はこちら

グループでのボーカル(音楽)レッスンをしました

私の専門はピアノで、とくに即興演奏やアレンジですが、それ以外の音楽レッスンもおこなっています。
しばらく前の羽根木時代に「音楽塾」というものをやっていて、そこでは即興のワークショップや、音楽という表現芸術についての秘密を解き明かしたり、みんなでうなりのない(ゼロビート)はもりを試みたり、いろいろな実験を楽しみながらやっていました。

ボーカルレッスンもやっていました。
とくにアドリブで歌ってみたい、というような人には、ジャズ理論の入口にあたるような音楽的知識を解説しながら、スケール練習をおこなったりしました。

今回、星須美さんが企画したグループ展のオープニングでおこなった音楽セッションに参加した人から、ボーカルレッスンをやってほしいというリクエストがあり、グループレッスンをおこなうことになりました。
ボーカルのグループレッスンはこれまであまりやったことがなかったんですが、やってみるとなかなか楽しくて気づきが多い会になったのです。

歌にしても朗読にしてもそうなんですが、声の表現は「身体表現」ととらえています。
声は喉から出てくるだけではありません。
声帯という器官(それもまたさらに細分化できますが)を使うだけでなく、呼吸、姿勢、あるいは身体全体をどのように使うかによって、発声のクオリティは大きく変化します。
歌というと、音程(ピッチ)や声量、声質、響き、ビブラートなど、さまざまにテクニカルな問題がありますが、これらも身体の使い方で解決することが多いのです。
部分的なテクニックより、身体全体の使い方を整えたり、注目して気づいたりすることで、多くの問題が解決してしまいます。

また、今回参加したみなさんは、自分らしい嘘のない声でのびのびと歌いたい、という共通のニーズがあったので、なおさら個人の身体性に注目するトレーニングは有効だと判断しました。

まず、自分の持っている音程をチェックしたあと、簡単な童謡を低い音域で歌う、中音域で歌う、高い音域で歌う、その過程で自分の身体の変化に注目する。
あるいは身体性が変化したとき、声はどのように変化するのか観察する。
さまざまなアプローチを試みてみました。
そして最後は、ひとりでできる歌の練習法を伝授しました。
身体を丁寧に味わいながら自分の声を読みとばさない練習法です。

楽しくて、最後には、このグループで今度はコーラスにも挑戦したいね、という話が出たりしました。

単独のボーカルレッスン、グループレッスン、またピアノなど楽器の即興演奏や楽曲のアレンジのレッスンなどおこないますので、興味がある方は気軽にお問い合わせください。

水城ゆうの音楽レッスン
ピアノの即興演奏、オリジナルアレンジ、実用的な演奏方法、ボーカルレッスンを含むユニークな音楽レッスンを随時おこなっています。真に楽しむための音楽へのアプローチを学びましょう。

2017年1月12日木曜日

映画:ロスト・バケーション

2016年公開のアメリカ映画。
いわゆる「サメパニック映画」です。

かんがえてみれば、「ジョーズ」以来の系列を長々と持つ、いわば伝統的なパニックサスペンスですね。
じつに繰り返し繰り返し撮られ、作られてきた。
襲い来るサメ、その強大な力の前になすすべもない人間、そしてお色気。
この映画もそれらすべてが揃っています。

最近はサメ映画もネタが尽きてきたのか、知能が進化したり、巨大化したり、集団化したりと、さまざまにエスカレートしてきていますが、この映画は「ジョーズ」以来の基本を抑えているといえましょう。
じつにオーソドックスなサメものです。
これだけオーソドックスなアプローチでそれなりに「見せる」映画を作るには、なか
なかの技術が必要なのではないかと想像しますし、たしかにいたるところにいぶし銀のような演出や隠し技術が見え隠れしているのです。

監督はと見ると、「アンノウン」「フライト・ゲーム」などのジャウム・コレット=セラではありませんか。
「フライト・ゲーム」は最近レビューしましたね。
なるほど、なかなかの手練れでしょう。
しかし、なんでいまさらサメもの?

調べてみたら、どうやら自分の映画製作会社を立ちあげ、そこで低予算ながら楽しめるホラーサスペンス映画を作りはじめているようです。
予算的リスクを最小限におさえ、しかし確実にリターンが取れるものを、ということで、このサメものになったんでしょう。
それにしてもリスクがまったくないわけではないですね。
アイディアと演出の自信があったのかもしれません。

サメが苦手な人、ホラーやサスペンスが苦手な人、血を見るのがいやな人は避けたほうがいいでしょうが、そうでなければさくっと楽しめる映画だと思います。

水城ゆうの音楽レッスン
ピアノの即興演奏、オリジナルアレンジ、実用的な演奏方法、ボーカルレッスンを含むユニークな音楽レッスンを随時おこなっています。真に楽しむための音楽へのアプローチを学びましょう。

2017年1月11日水曜日

映画:ゴーン・ガール

2014年公開のアメリカ映画。
原作は2012年に発表されたギリアン・フリンによる同名の小説。
監督はデヴィッド・フィンチャーで、「セブン」「ファイト・クラブ」「パニック・ルーム」「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」「ドラゴン・タトゥーの女」を手がけてる、といえばその独特の手触りを思いだす人も多いんじゃないでしょうか。

この「ゴーン・ガール」は公開時にかなり話題になったんですが、私は未見でした。
じつはおなじギリアン・フリンの原作をもとに作られた「ダーク・プレイス」が2015年に公開されていて、なぜか私はこれが「ゴーン・ガール」の続編だと思いこんでいたんですね。
で、「ダーク・プレイス」は主演がシャーリーズ・セロンなので、「これは見なければ」と思っていたわけなんですが、続編からではなく、先に公開された「ゴーン・ガール」をまず見なければと思い、見たわけです。
実際には別の映画です。

妻が失踪します。
殺人事件かもしれない証拠がいろいろと出てきます。
マスコミがわんさか介入してきて、ベン・アフレック演じる主人公のニックは悪者に仕立てあげられていきます。
ニックは実際にかなりろくでもない男なのです。

謎解き要素が多い前半ですが、後半になると映画の要素は一変します。
意外な展開です。
意外すぎて、破綻ぎりぎりです。
いや、これ、映画作品として構造は破綻しているでしょう。
意外な展開なんだけど、ある意味、典型的な展開ともいえます。
あ、やっぱりね、という展開でもあります。

妻役のロザムンド・パイクがなかなか鬼気迫る演技を見せています。
(鬼気迫りすぎてオトコとしてはツラい)

この映画の世評として、「恋人同士で観に行ってはいけない」というものが多かったそうです。
さもありなん。
「親密な関係」をきちんとつながりの修復していかないとこうなるよ、という警告でもありますね。

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2017年1月10日火曜日

2017年にパワーアップシリーズその4

今年2017年に探求して、さらにパワーアップしていくシリーズのその4です。

ヒトの脳というのはやっかいなもので、ほうっておくと平気で自分の都合のいいように事実をねじまげます。
記憶を捏造する、感覚を捏造する、聞きたいことを都合のようにしか聞かない、見たいものを都合のいいようにしか見ない、などなど。

マインドフルネスや瞑想のトレーニングにおいても、この「脳が捏造するイメージ」にだまされないように注意する必要があります。
マインドフルになっている「つもり」、身体の感覚をわかっている「つもり」、体感している「つもり」、内観している「つもり」。
朗読や音楽演奏などの表現においても、これはとても邪魔で、いわば表現の純粋性をそこないます。

感覚のような内部情報や、音や視覚やコミュニケーションなどの外部情報を、経験や記憶という「捏造フィルター」を通すことなく、ありのまま受け取り観察することは、相当トレーニングが必要になります。
そのトレーニングそのものも、自分の都合がいいようになっていないか、みずからチェックをする技術も必要になります。

今年は引きつづき、音楽瞑想をはじめ、朗読や音読のエチュードをとおして、ありのままの自分自身とつながり、自己共感や自己承認をとおして活力や自信を深める方法を、みなさんといっしょに練習していきたいと思っています。

またこれはだれにでもおすすめできるものではありませんが、私個人でいえば韓氏意拳という武術をとおして、上記のようなことにより厳しくアプローチをつづけていきたいと思っています。
なにしろ武術ですから、そこに厳密さを失ったとき「殺られる」ことになります。
すこしでもイメージでものごとをおこなったり、わがことから離れたりすると、そこには「隙」が生まれるのです。
武術は自分自身とつながるための厳しい稽古として、私にとっては大変有効なのです。

もしこのようなことに興味がある方がいたら、私が世話人をさせていただいている講習会が毎月ありますから、参加してみてください。
今年最初の講習会は、駒井雅和中級教練を国立にお招きして、11日の午後におこないます。
これは会員向けということになってますが、会員になる気まんまんの方なら初参加でも受け入れる用意があります。

2017年1月9日月曜日

2017年にパワーアップシリーズその3

昨年末に5回連続講座でおこなったことを、ひきつづき今年、探求してパワーアップしていくシリーズのその3です。

昨年は音読療法(ボイスセラピー)にあらためて興味を持ってもらえる人が増えて、ボイスセラピー講座や音読トレーナー養成講座もやりがいがありました。
音読療法のすばらしさについてはかねてから強調していましたが、ここであらためてポイントをまとめてみたいと思います。

・子どもからお年寄りまでだれでもとっつきやすい簡便な方法。
・いつでもどこでも道具不要ですぐにできる効果的な健康法。
・心身の調整や(こころの病を含む)病気予防に大変効果的。
・知的好奇心を刺激する側面があるので、誇り高い大人も参加しやすい。
・自立した社会貢献を仕事にできる(音読トレーナー)。
・自分と身近な人のつながりを作り、心身の健康向上に貢献できる。

自分自身がこれでとても助けられています。
なにより、まったく病気をしなくなりました。
私は今年60歳になるという年齢ですが、今後気になるのは、加齢によるおとろえが進んでいったとき、要介護者になってしまうことです。
一方、だれの介護も受けず、死ぬまでピンシャンと元気なまますごす方もいらっしゃいます。
それを私もめざしたいと思っていますが、その手段のひとつとして、音読療法はとても有効だと思っています。

これほど有効な方法があまり知られていないことを、とてももどかしく感じています。
いっしょにこれを広め、実践していく仲間がもっとほしいと願っています。
今年はぜひとも、できるかぎり普及につとめてみたいのです。
ちょっとでも興味をひかれた方は、どうぞ気軽に私にコンタクトしてみてください。

この音読療法の全貌の概略を知り、また自分自身に使える健康法としての音読療法を学べる「ボイスセラピー講座」が、1月20日の夜に下北沢近くの新代田で開催されます。
みなさん、ぜひおいでください。
詳細と申し込みはこちら

2017年1月7日土曜日

2017年にパワーアップシリーズその2

昨年末に5回連続講座でおこなったことを、ひきつづき今年、探求してパワーアップしていくシリーズのその2です。

昨年は、とくに、オンラインでつながることが容易になり、とくにパソコンやデジタル機器に習熟していないような人も気軽にオンラインミーティングに参加できるような環境がととのったような気がします。
Skype、Hangoutなどの元々あったオンラインミーティングシステムに加えて、LINE、フェイスブックなども気軽に無料で音声電話やテレビ電話のようにつながれるサービスを提供しはじめたほか、専用のミーティングアプリもたくさん登場しました。
それらがパソコンだけでなく、スマートフォンやタブレット端末で使えるようになったので、いつでもどこでもだれでも、おたがいにネットを通じてつながりあったり、ミーティングに参加できるようになりました。

私もSkypeやHangoutを使って個人セッションをやっていましたが、昨年はZoomというネット会議システムを使って共感セッションを個人的にやったり、何人かのグループで共感茶話会をひらいたりしました。
今年はさらに気軽にみなさんとつながっていけたらと思っていますし、みなさんもせっかくのつながり道具を積極的に、そして気軽に使っていってほしいと思います。

ITの進展やデジタル機器に拒否反応をしめす人がいまだにいますが、私たちは現実にそのような環境の変化とツールの進化のなかにいるわけで、それを拒絶するか享受するかは、ゼロ百の問題ではなく、その時々のシチュエーションの選択肢の問題でしょう。
これまでは大企業の特定のサービスを通じてしか利用できなかったものが、非常に安価に個人の手のなかにツールとしてやってきたわけですから、最大限これを利用できることがグローバル経済にのみこまれないための防衛手段のひとつですらあるかもしれない、と私はかんがえています。

ちょっと話がおおげさになりましたが、ようするに今年はさらにみなさんと気軽に、オンラインで、自宅にいながらにして、遠方の方ともどんどんつながっていきたいな、ということです。
そして機会があれば、実際にリアルにお会いできればうれしいのです。

何か月か前に、オンラインで何度か会っていた人とリアルに会う機会がありました。
リアルに会うのがそれが初めてだということを私はすっかり忘れていて、会ったとたん「ひさしぶりー!」なんとハグしていたんですが、実際には初めてリアルに会うのだということを指摘されてびっくりしたくらいです。

個人セッションも共感茶話会も、今年はもっともっと気楽にみなさんとつながっていきたいと思っていますので、みなさん、コンタクトしてね。
今年最初のオンラインセッションは1月10日(火)夜の共感茶話会となります。

1月開催:水城ゆうのオンライン共感茶会(1.10)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、1月の開催は10(火)20時/19(木)20時/30(月)16時・20時です。

2017年1月6日金曜日

2017年にパワーアップシリーズその1

昨年2016年はいろいろなことが私のなかでひとつのつながり、「統合」のニーズがたくさん満たされた年でした。
今年2017年はそれらをさらに探求し、パワーアップし、自分とみなさんの役に立てるように研ぎあげていきたいと思っています。

そういうことがいくつかあるんですが、まずはそのひとつとして「共感的コミュニケーション」があります。

私が案内人をつとめる共感カフェや共感茶話会は、もともと、共感的コミュニケーションをみなさんに紹介し、知ってもらうために、できるだけ敷居を低くしてどなたも参加しやすく、という形でスタートしたんですが、昨年はそれが自然に形を変えていきました。
共感的コミュニケーションを教えたり伝えたり、というより、実際に共感の場を作ったり、実践するための方法や練習の方法を伝えたり、といった場になっていきました。

私もそれは歓迎で、なぜなら、共感的コミュニケーションやそのもとになっているNVCは、学ぶことが目的ではなく、使えるようになることが大切だと思っているからです。
だから、日常生活のなかで実際にどのように使えるのか、こんな場合にはどうしたらいいのかといった具体的なエピソードを扱いながら、勉強会を進めるようになってきています。
今年もその方向をさらに進めていこうと思っています。

今年最初の共感的コミュニケーションの勉強会は、「親密な関係における共感的コミュニケーション」です。
この週はこれを皮切りに、1月9日(月)から毎日、なにかしら共感的コミュニケーションの勉強会がある共感ウイークです。

オンラインで遠方からも、自宅にいながらにしても参加できる会もあります。
いずれも実践的に、できるだけ実際の生活のなかで起こるシチュエーションを取りあげながら、自分とつながって共感的に生きる方法をさぐっていきます。
どなたも気軽にご参加ください。

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(1.9)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会。

2017年1月5日木曜日

ガイアエデュケーション説明会

もう明日のことになってしまいましたが、お知らせするのをすっかり忘れていて、あわてて告知させていただきます。

ユネスコが認証している教育プログラムで「ガイアエデュケーション」というものがあります。
今年2017年4月から9月にかけて、日本でも開催されます。
その講師に呼んでいただきました。

このプログラムは持続可能な地域づくりを実現することを目的としていて、修了者にはユネスコとガイアエデュケーションから修了証書が授与されて登録されます。
詳しいことはこちらをご覧いただきたいんですが、私のほかに講師として、辻信一さん、谷崎テトラさん、榎本英剛さん、設楽清和さん、そしてアズワンの小野雅司さんや岸浪龍ら、魅力的な顔ぶれがそろっています。

明日はその東京での説明会が18時半から、渋谷の国連大学ビル1階のGEOC(地球環境パートナーシッププラザ)であります。
参加費は無料なので、みなさん、おいでください。
私も行きます。
会場でお会いできたら、と思います。

2017年1月3日火曜日

2017年最初の共感週間

みなさん、2017年のお正月はいかがおすごしでしょうか。
私は昨日から北陸の実家に帰省しています。
雪がすくなくて楽です。

実家には6日までいて、その日に東京にもどります。
その翌週、9日からはじまる週は共感ウィークです。
金曜日まで毎日、なにかしら共感的コミュニケーションの勉強会があります。

9日(月)夜は「親密な関係における共感的コミュニケーション」の勉強会

10日(火)夜は私のオンライン共感茶話会

11日(水)夜は下北沢〈ステイハッピー〉での共感カフェ

12日(木)午後は世田谷・東松原の星寿美ちゃんちでの共感おはなしカフェ

13日(金)昼は国立の古本ブックカフェ〈門〉でのもけごはん付き共感カフェ

どこかでお会いできるとうれしいですね。
お待ちしてます。

2017年1月2日月曜日

新年2017がスタートです

みなさん、あけましておめでとうございます。
いつもお読みいただいてありがとうございます。
あたらしい年もどうぞよろしくお願いします。

みなさんはこの年末・年始をどのようにおすごしでしょうか。
私は昨日から北陸の実家に帰省しています。
このところ何年か、ずっとこのパターンになっています。
元旦は汽車も飛行機もガラガラなのです。
この日をねらってかなり前からチケットを予約しておけば、超割などというサービスで移動費も節約できます。

年末は初めての試みだった5日間連続の「自分につながる講座」を開催しました。
あわただしい時期にもかかわらず予想以上の方に参加していただき、ありがとうございました。
5日間の内容は、それぞれ「音楽瞑想」「朗読と身体表現」「音読療法」「共感的コミュニケーション」「テキストライティング」で自分とつながることを試みるというもので、私がこれまでおこなってきたことの総集編のような感じでした。

今年もこれらをさらに深める方向で進めていきたいと思っています。
私にはどれもはずせません。
全部必要なことです。
これらを「マインドフルネス」というキーワードでつないでいきます。

「マインドフルネス」は「自分とつながっている状態」といいかえてもいいでしょう。
自分に気づき、まわりに気づき、いまこの瞬間に起きていることをありのまま、思考や判断など自我のバイアスをとおさずに受け取り、観察している状態のことを、マインドフルネスといいます。
これをさらに深めていきたいと思っています。

そうそう、この練習にとても役に立つ武術、韓氏意拳もはずせませんね。
こちらも毎日、かかさず稽古をつづけていきたいと思います。

2017年1月1日日曜日

2016最終国立共感茶話会とHiYoMeKi会

本当にあたたかなつながりを感じた、心休まる時間でした。
2016年最後の国立での共感茶話会は、ランチ付きではなく、終了後のクリスマス会月でおこないました。
頻度のちがいはあっても、昨年ずっと私が案内人をつとめる共感カフェや茶話会に来てくれていた人たちが集まり、さながら共感忘年会みたいな感じになりました。

共感的コミュニケーションにすでに接したことがある人が集まったときには、説明はせずにいきなり共感セッションにはいることが多いんですが、今回は私にしてはめずらしくワークからスタートしてみました。
やや人数が多めということもあったし。

最初は「お祝いのワーク」。
昨年一年をふりかえって、自分で「これはうまくいったな」とか「あれがうれしかった」というような、なにかニーズが満たされたようなできごとを、思いつくかぎり書きだしてもらいます。
そしてそれをみんなの前で発表してもらい、そのとき満たされたニーズをみんなで推測してみる、というものです。

「みんなで推測」というところがポイントです。
自分では「このニーズが満たされた」と思っていても、ほかの人から共感してもらって思わぬニーズが満たされていたことに気づくことがよくあります。
今回もそうでした。
昨年一年もそれぞれがたくさんのニーズを満たすことができたことに気づき、それをみんなでお祝いしました。
このようなお祝いの積み重ねが、自己承認という力強い人の土台を作るのです。

つづいて、今年の抱負をみなさんに書きだしてもらいました。
そしてまた、それによって満たそうとしているニーズをみんなで推測しました。
これからなにかやりたいことがあって、それが自分のどんなニーズを満たそうとしているのかわかっていると、いつもそれにつながってパワフルに行動できます。
ニーズにつながった行動はいつも力強く、クリアなのです。

茶話会のあとはクリスマス会。
なごやかに飲み会。
私も一品作ったので提供しました。

共感でつながっている場は、なにをいっても受けとめてもらえる安心感とあたたかさに満ちていて、本当に心あたたまる会となりました。
ご参加いただいたみなさんには心から感謝します。
今年もよろしくね!

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(1.9)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会。