2017年8月26日土曜日

表現と共感ワークショップ終了

このワークショップでは、私個人のテーマとして「統合」というものがあった。
「統合」は今回にかぎらず、ここ何年か、ずっと意識していたことでもある。
京都の祇園でバンドマンとしてスタートしたピアノ演奏、ラジオ番組やオーディオブックの制作、朗読演出、小説執筆、音読療法、音楽瞑想、共感的コミュニーション、武術……一見バラバラで脈絡のないように見えるこれらのことが、たしかに自分のなかではひとつにつながっているという実感があるのだが、それを統一的に表現したり、人に伝えるのはなかなかむずかしかった。
それを今回、「表現と共感」というアプローチで統一的にあつかうことを試みてみた。

かんがえてみれば、自分がおこなってきたワークを完全に統合して、ひとつのワークショップとして開催するのは、これが初めてかもしれない。
ここには、一見バラバラに見えるものをひとつにつなげるものとして、自分につながりいまこの瞬間の自分自身に気づきつづけること、身体がまとまり運動状態にはいること、という方向性がある。

朗読するにせよ、文章を書くにせよ、音楽を演奏するにせよ、だれかとコミュニケートするにせよ、いまこの瞬間の自分自身につながり気づきつづけていること、自分のニーズにつながっていきいきとしていることが必要になってくる。
それができているとき、表現もコミュニケーションも存在そのものも、いきいきと動いている。
存在が「活態」となっている。
そこに目を向けたワークをおこなってみた。

立つこと、まとまること、呼吸と朗読という運動から身体を見て感じること。
活態で人といっしょに動いたり表現してみること、人の表現を受けとること。
活態で自分が受け取っているものを観察し、キャッチし、さらに表現してみること(ことばや文章で)。
活態のなかで自分自身に共感し、ニーズにつながり、そしてまた人にも共感し、ニーズにつながるお手伝いを試みること。
そういったワークをさまざまに試みてみた一日となった。

予想していたことではあるけれど、時間はいくらあっても足りない感じだった。
それはそうだろう、ひとつひとつのワークが何年もかけてつちかってきたものの集大成であり、初めて経験する受講者にとってはそれはほんの入口にすぎないものだから。

またやれるといいな。
国立でなくても、何人か受講者が集まれば出張ワークをやるので、気軽にご相談ください。